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やまぐちなみこさん

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Take me higher.

19/05/08 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 やまぐちなみこ 閲覧数:56

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 はい、できあがり。
 私が頭の中でその言葉を聞いたのは、四年前の二月二十八日の朝だった。目を覚ました瞬間、誰とも知れない声がはっきりとそう言ったのだ。瞬間、私は悟った。
 私は、完成したのだ。
 四半世紀と少し前、あの父とあの母の遺伝子を混ぜ合わせて作りはじめられた私は、ついに完成したのだ、と。
 振り返って数えてみれば、完成までに要した工程は、九千四百九十七。振袖を着ても大学を卒業しても社会人三年目を迎えてもなお未完成であり続けた私の、その完成の日は快晴なだけの平凡だったけれど、喜ばしいことに変わりはなかった。
 私は完成した。私は、そう、私の人生のレシピの全工程を終えてできあがったのだ。
 泣くことでしか思いを訴えられない赤子のときのような、栗ご飯における栗の渋皮を剥く作業に似た、もどかしい工程も。
 クラスのボスが気まぐれに変えるいじめの標的にならないことを常に意識して行動していた中学生時代のような、揚げものにおける熱した油に具材を投入する瞬間に似た、緊張を強いられる工程も。
 周囲の大人の都合次第で大人扱いされたり子ども扱いされたりする半端な年の頃のような、餃子における材料を刻んだり種を皮に包みこんだりするのに似た、面倒で苛立たしい工程も。
 決まった仕事を決まった通りに黙々とこなすだけの社会人生活のような、ビーフシチューにおけるブラウンルゥ作りに似た、永遠にも思えるうんざりな工程も。
 すべてをやり遂げ完成品となった私は、そして、あとはただ味わっていればいい。老舗和菓子屋の、初代が完成させて何百年と経っても寸分違わず当時の味のままで愛され続けるどら焼きのごとく完璧な完成品となった人生を、その最後の一瞬を味わい尽くすまで。
 と、そんな私の完成品の人生は、実際ときに涙が滲むほど安寧な、極上の日々だった。完成品ゆえに新発見や刺激はなかったけれど、だからこそ想定外の事態とも無縁の毎日を、昨日までの四年間、私は深く愛してきた。

 なのに。

 胸もとで、私はマフラーの裾を握りしめる。ひゅっと宙を駆ける寒風が、道行く人間からマフラーを攫おうとしているのだ。四年ぶりに迎えた二月二十九日の今日、「観測史上最大」という看板を派手に掲げてやって来た寒波は、かなりのやんちゃ者らしい。けれど、私の体が凍りついているのは、顔が青ざめているのは、心臓が震えているのは、寒さのせいではない。
 今、私はまぶたを全開にして、真正面を凝視している。何十秒あるいは何分もじいっと、視線を逸らしたいのに逸らせず、囚われ続けている。目の前の、ふいに現れ、同じく私を見つめている者に。
 あなたは……?
 否応なく濃密に絡む互いの視線。ものの五秒で気が遠くなる。立ち眩みがする。辛うじて踏みとどまる。
 探せ。
 脳が命じてくる。探せ、見つけろ、一刻も早く、そいつの汚点を。
 私は従い、必死で探す。深く見つめ合いながら、目の前にいる者の汚点を、ほらこんなのいらないでしょと踵を返すための理由を。ひとつでいい、たったひとつで。祈りながら探す。探す。
 探すほど、焦りが、絶望が、そして期待が、膨らんでいく。
 私は、愛している。満足している。四年前からずっと、心から、この人生を。
 けれど、もしかして。
 もしかして、目の前にいる者を受け入れたなら?
 いわば、そう、アレンジしてみたなら?
 出し巻き卵を食パンで挟んでみるように、天津飯の白ごはんを炒飯に変えてみるように、私の人生に目の前にいる者を加えてみたなら、どうなる?
 ごっくんと唾を飲む。知りたいと、明るい興奮が胸に火を灯し血を温める。同時に恐れる。アレンジという行為に手を出すことはつまり、完成品であるのをやめるということだ。いつなにが起こるかまるで分からない日々を、面倒だったり不愉快だったり辛かったりする工程を、今一度、完成目指してこなしていかなければならない。危険な懸けだ。成功してより素晴らしい完成品ができあがる可能性もあるけれど、最悪の失敗作に転落する可能性も大いにある。アレンジなどしなければ、すでに素晴らしい完成品を、この穏やかな人生を死ぬまで満喫できるのに。しかも料理の世界では、衝動的なアレンジレシピが鉄壁の定番レシピに勝った話はほとんど聞かないのに。
 けれど。
 けれど。
 もう、仕方がない。
 そろり、そろりと、私は歩み寄っていく。あるいは引き寄せられていく。私を待ち焦がれて表情を煌めかせる、目の前にいる者のもとへと。
 仕方がないのだ。思いついてしまったが最後、料理においても人生においても、試さないではいられなくなるものなのだから。その結末は知れずとも、アレンジレシピというやつは。
 まったく、厄介なんだから。ほわっと白い息を吐き、私は大きく一歩を踏み出す。ああ、頬が緩んでいる。


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