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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

性別 女性
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雨の日の塩むすび、秋晴れの梅おにぎり

19/04/29 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:195

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 さ、どうぞ、と村田ヨシは緑の団子を盛った皿を縁側に置き、膝に手をついてよっこらしょと腰をおろした。
 さっきまで、ここで背を丸めてすり鉢でごりごりとヨモギをすっていた。そこに練った団子の粉を入れ、力仕事だよ、とすり棒を渡された熊野が戸惑いながら必死で混ぜ合わせたのだ。
「えっと、それで撮影もですね、全部ここでやって。東京に来ていただく必要は全く」
「まあ、先にお食べなさいな」
 フォークはなく、熊野は仕方なく指で団子をつまみ、口へ運ぶ。土臭く濃いヨモギの香りが口いっぱいに広がり、温かな餅がぐいぐい歯を押し返してくる。
 目の前は、森が迫る庭に来月の植え付けを待つヨシの小さな畑。縁側の足元にはタンポポが咲いていた。
 会社から車で3時間。ここに通い始めて4ヶ月、12回目の訪問だ。
 春は忙しい、とヨモギ採りに付き合い、帰り道でワラビとゼンマイも見つけ、摘み草は採ったらすぐなのよ、といそいそと台所で湯を沸かし始めるヨシの隣で、熊野はレシピ本出版の説得を今日もまた、続けるのだった。

「お疲れ、どうだった?」
 熊野が事務所に戻るなり、同僚の仁科が尋ねる。
「草摘み手伝って団子練って団子食って、終了」
「春だねえ」
 呑気ににやにや笑う仁科は、美人と評判の人気ブロガーのレシピ本を担当している。かたや35歳の熊野は、86歳の相手である。SNSの有名人や女優が「ていねいな暮らしへの原点回帰」だと次々に騒ぎ始め、『伝説の料理研究家』村田ヨシは去年あたりからやたら注目されている。
「大体レシピなんて誰もその通り作らないだろ。俺、作らないよ。ざっと読んで、醤油入れすぎだろって思ったら減らす。砂糖いらんだろって思ったら省く」
 文芸畑から移ってきた熊野は、本の世界に疎い「著者」が多いレシピ本に興味はない。情熱は、しかし売れる本を作ることにある。
「86のばあさんの料理なんか、来年にはもう誰も見向きもしないって。本人が言ってるし。ワタシの料理は古いって」
「でも今なら売れるぞ」
「そうなんだよ。だからゴリ押ししてるわけだ。ここだけの話、あと数年経ってばあさんが死んだらドカンとまた重版だ」
「お前ね」
 さすがに仁科が顔をしかめた。

 空振りのまま春は過ぎ、梅雨がやってきた。
 都内から雨雲に向かい車を飛ばす。森に囲まれたヨシの家は雨でけぶっていた。
「この時期はねえ、お米の水加減に気を使うのよ」
 歌うようにぶつぶつ言いながら、ヨシが昼食の準備に行ったり来たりと動き回る。
 熊野もまた、いつも通り独演を続ける。
「レシピを月ごとにカテゴライズするのはどうですかね」
 ヨシは手早く炊き立ての米を握っていく。その手つきを見ながら、熊野はなんとか話を本につなげようと試みる。
「ヨシさんのおにぎり、有名ですよね。インスタで皆真似してます。このレシピは絶対外せませんよね」
 少し黙った後、ヨシが手を洗いながら言った。「熊野さん」
「はい」
「お料理はね、雨が降っても降らなくても味が変わってくる。私がいいと思うものを他人様に本で伝えるのは無理なのよ。他人様に伝えるときはこうして目の前で、今ここにあるもので、伝えないと意味がないの」
「いえ、ですからそれをあえて規格化することで……」と何度も口にした台詞を言いかけたところで、熊野はこちらを振り返ったヨシの顔を吸い込まれるように見つめ、押し黙る。ヨシが表情をゆるめ、「さあどうぞ」とすすめた。
 熊野は握られたばかりの塩むすびをひとつ手に取り、ぱくりとかじった。
 米を水に浸し、タイマーで計るのではなく浸水具合を目と指で確認していた。その上で水を加減し、炊き上がればすぐにほぐす。その空気の入れ具合すら、ヨシの感覚だ。
「これと、同じものができないなら意味はないと、そういうことですね」
「だって、そうでしょう。作り方ならほかの本にも書いてある。それでも皆さん、本の通りには作りませんよ。だったらなおさら、私じゃなくて、いいでしょう」
 自分が散々吐いていた言葉をふいに戻され、ようやく、初めてヨシの思いが味となり舌に触れた気がした。
 しかし、会社としては売れればいいのだ。ヨシがどう思おうが、読者は本を買う。
 世の中、そういうものだ。
 熊野は、口の中で唾液にまみれた米を喉に押し込んだ。

 その月の編集会議で企画を取り下げ、代替案としてSNSで人気の30代貧困女子の貧困飯本を提案し、採用された。
 ヨシには、これまでしつこく訪ねた侘びと企画を諦めた旨を手紙にしたためた。
 ひと月後、ヨシから届いた返事には、夏は忙しい。文月はまず梅を干さないと。秋ごろ食べにいらっしゃい、と書かれてあった。
 文月、あ、もう夏か。と熊野はカレンダーに目をやり、ヨシの梅干とあの塩むすびを想像する。胸の内に、じわりとヨシの味が広がった。


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このストーリーに関するコメント

19/06/27 待井小雨

拝読させていただきました。
その時その瞬間、その人にしか作れないもの。それを目の前でいただく幸福。ラストでヨシさんが作ってくれる「その時」にいただく味わいの深さに気づきはじめた主人公に、あたたかな読後感を覚えました。

19/06/29 秋 ひのこ

待井小雨さま
こんにちは、お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
感想をありがとうございました。
世の中、一体どれだけの人がレシピの作者が作ったものとまったく同じ料理を作っているのだろうと、常日頃から思っていて、そこから出発した話です。そして、レシピ作成者からすれば、自分の料理を皆に作ってもらいたい、と思う人もいるでしょうし、ヨシみたいな人もなかにはいるのではないかな、と……。

あ、場違いで恐縮ですが、「秘伝のレシピ」の受賞、おめでとうございました!(^^)

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