1. トップページ
  2. 春の夜に

アシタバさん

未熟者ですが宜しくお願いします。

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

春の夜に

19/04/23 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 アシタバ 閲覧数:201

この作品を評価する

「味はどう?」
 と妻が聞いてくるので
「いつもと同じで美味しいよ」
 と僕が答えた。
 柔らかく煮込まれたロールキャベツを箸でほぐし、口へと運びながら、僕は素直な感想をのべた。
「そう良かった」
 自分でつくった味噌汁を啜り、彼女は満足げな笑みを浮かべる。
 ふたりでテーブルを囲んで、夕食をとり、談笑するのは当たり前の日常風景である。
 話す内容も結婚してから数えきれないほど繰り返してきたやり取りだった。
「なら、これもレシピノートに書いておくわね」
「ああ、頼むよ。それにしても、レシピノート大分たまったな」
 僕の両手は箸と茶碗でふさがれていたので、リビングのキャビネットを顎でしゃくった。
 あのキャビネットのなかには妻の手書きのノートが何冊も収められている。
「さすがだね」
「私の特技は料理しかないから」
「その謙遜は自慢に聞こえるよ。覚えているかい? 学生の頃、料理実習でみんながこぞって君を頼りにしていたこと。君は本当に料理上手だった」
 彼女の昔の姿を思い浮かべた。昨日のことのように鮮明だ。
 学生服にエプロンをつけ、頭には三角巾、プロの料理人のような見事な手さばき。
 僕はその頃からずっと、彼女という女性を惚れ惚れする想いで見つめていた。
「懐かしいわね」
「その時は君の料理を毎日食べられるなんて思ってもいなかったよ」
「やあね。そんな大げさよ」と謙遜したが、言葉とは裏腹に彼女は少し照れている。
「いいや、僕は幸せ者だ」
 ちょっとキザっぽいが思い切って言ってみた。正直、恥ずかしい。
 でも、彼女が嬉しそうに笑ってくれたので言ったかいはあったようだ。
「ありがとう。でも、これからは毎日あなたがつくるのよ」
 その一言が胸を絞めつける。
 途端に息が苦しくなった。
「……あと半年か」
「そうね」
 今夜はひときわ静かである。この部屋以外の世界はすべて消え失せてしまったように感じる。
 そんななか、すべてを受け入れた彼女は落ち着いたものだった。柔らかな微笑みすら浮かべている。
「僕にちゃんとつくれるかな?」
 一方で僕は無理に笑顔をつくろうが声に力が入らない。
 男という生き物の精神は実は驚くほどにか弱い。
「どうかしら? あなたぶきっちょだから」
「ひどいな」
 僕の不器用さを一番良く知る人がもうすぐ消える。
 忍び寄る恐怖を誤魔化すように開け放たれた窓の外の夜空を見上げた。
 こんな時でも、月は明るく、まん丸で、とても綺麗だった。
 会話が切れる。
 沈黙が恐ろしい。
 最近はいつもこうだ。残された時間のなかで、僕は少しでも多くと、会話の糸口を必死に探している。
「なあ、僕は不器用だからレシピはなるべく細かく書いてくれよな?」
「OK。たくさん書き残しておくわ。毎日、体にいいものを食べてね」
 料理をつつく音。
 料理を咀嚼する音。
 カーテンが揺れる音。
 いずれとまる君の心臓の音。
 静寂がこの部屋を飲み込もうとしているからこそ、ひとつひとつの音が心にまで染み込んでくるようだった。
 僕は今夜の風景を思い出すだろう。
 記憶のなかで何度も、何度も、思い返すだろう。
 窓から風がはいってくる。
 暖かい春夜のにおいをふくんでいる。
 いい夜だった。
 だけど次の春の夜に、君はもういない。
 瞳の奥が熱くなった。
 彼女の手が僕の頭にのびる。
 僕は子供のように泣きじゃくった。
 涙がぽたぽた、皿へと落ちる。
 抱きしめられながら、胸中で妻に詫びる。
 ごめん。
 泣いたら駄目だよな。
 せっかく君が一生懸命つくってくれたのに。
 本当に泣きたいのは君なのに。
 言葉を絞り出す。
「ごめん」
「わたしこそ、ごめんね」
 悪いがもうちょっとこのままでいさせてくれ。
 あと、少しだから。
 もう泣きやむから。
 そうしたら夕食の続きをしよう。
 楽しい話をしよう。
 君の手料理を食べよう。
 君のレシピでつくった料理の味が、涙で変わってしまう前に。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン