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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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納豆菌のような女

19/04/20 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:184

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 日曜の昼前、敏郎がぼんやり時間をすごしているとき、その訪問者があらわれた。
「こんにちは」
 開けたドアの向こうには、これまでみたこともない、若い女がたっていた。女は彼がまだ何もいわないさきに、彼をおしのけるようにして部屋にあがってきた。
「なんなんですか、きみは――」
 あっけにとられる敏郎に、彼女はいった。
「台所は、こちらかしら」
 と女は、短い廊下のさきを、指さした。たしかにそこには、台所らしきものはあったが、普段はカップ麺を食べるために湯を沸かすだけで、ガスコンロは粘りつく分厚い油にまみれ、足元の床にはゴキブリ捕獲器が、なんどもふみつけられていびつにひしゃげた状態で放置されていた。なにせ、これまでただの一度も掃除というものをしたことがないので、シンク内にはこれまで使った器や皿の類が積み重ねられた空のスチロールのカップの周囲を十重二十重にとりかこんでいて、カップのところどこから枝さながら割り箸が突き出している。
 そんなところに足をふみいれて、いったいなにをするつもりかと敏郎は、いぶかりながら女のあとについて台所に入っていった。
 女は腕まくりすると、シンクとその周辺を、黙って片づけだしたではないか。そこには前述のバベルの塔まがいの堆積した空のカップや、茶碗やコップ、また柄のとれた鍋、ヤカンの類がほったらかしで、将棋崩しよろしく、うっかりそこらのものをとったりしたら、上からなにが崩れおちてくるかもしれず、女はまた危険な行為にとりかかったものだ。
 しかし彼女は根気よく、むっと悪臭がはびこる台所で、額から汗をながして台所の片付けに熱中しだした。さすがにみかねて敏郎も手伝おうと女の横にたったものの、はげしく動きまわる彼女の体にたちまち廊下にはじきとばされてしまった。
 その彼の耳に、ガラガラーッという音や、ゴーンというなにかの当たる響き、瀬戸物が床にあたって砕けるけたたましい音などがひっきりなしにきこえてきたが、そのうちなんの物音もしなくなったので、気になってふたたび台所をのぞいてみた。すると、まるではじめてみるかのような、きれいに整頓された台所で彼女が、どこから探しだしたのかまな板にむかって、とんとんと包丁で何かを刻んでいた。
「きみ、なにをしてくれたんだ」
 感謝するところが、あまりのことに、たしなめてしまうほど彼は動転していた。
「これから、あなたの昼食を作るわね」
「しかし、食材が――」
 食材は彼女が持参したのだろうか。だが、女は背後の冷蔵庫を開いて、中から何やらとりだした。その冷蔵庫に何を入れていたか、敏郎にはとんとおもいだせなかった。このアパートに越してきた数年前には、彼も自炊の真似事のようなことをしてはいた。スーパーで買ってきた食材で、調理をしては、余った材料や、また食べ残したものを冷蔵庫にもどしていた記憶がある。それからどうしたのかは、さっぱり思いだせなかった。
 とにかく彼は、部屋にもどってきた。台所があれだから、部屋が整っているわけがなく、いやむしろ室内は台所以上にちらかっていたが、それをいまさら詳述してもはじまらないだろう。
 壁にはぼほぼ全裸の女の等身大のポスターが貼られていた。藪から棒にやってきた、みもしらない女に遠慮することなどないにもかかわらず、どうにもきはずかしくなって彼は、いそいで壁からポスターをはがしとり、ついでにここにきてはじめての掃除をはじめた。
 やがて台所から、ながれてきたなんともいえない匂いが、彼のすきっ腹を刺激した。
 まもなく彼女が皿にのせてきたものをまのあたりにした敏郎は、おもわず目を疑った。そこにはまさに、フランス料理かとみまがうばかりの、いろどりゆたかな料理が盛られていたのだ。
 しかし、食べてみたら、どんなひどい味が……と彼は、赤ワインで煮た肉のようなものを、鴨のコンフィのようなものを、舌ヒラメのムニエルのようなものを、ブイヤベース風のものを、さらにはデザートにいちごとオレンジのコンフィチュールのようなものを――こわごわ味わってみた。
「うまい」
 おもわず敏郎は嘆声をもらした。そのとき彼のあたまにふいに、汚れに汚れた沼の水を納豆菌を使って浄化する話がうかんだ。突然闖入してきて、汚れきった台所をきれいに片付けたと思ったら、つぎは冷蔵庫に放置されて腐敗した食材から彼女は、それはすばらしい料理をこしらえあげた。
「きみは、いったい――」
 ふりかえったらもはやそこに、彼女はいなかった。納豆菌が沼の泥水を清浄にするとその存在を消してしまうように、彼女もまた、汚れに汚れた敏郎の部屋をきれいにしおえると、どこかにいってしまったらしかった。部屋のみならず、彼の心の中も、どうやらきれいに洗い清めて。


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