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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

性別 女性
将来の夢
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雀のよるべ

19/04/20 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:72

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 “レモン’’が死んだ。
 いつも黄色い服を着ているからレモン。路地裏で生ゴミに頭突っ込んで、白目むいて泡吹いて死んだ。毒々しい色の腕と、地面に転がった注射器が、人の同情を寄せ付けない。
 
「イチゴ、これ、この前シフト代わってくれたお礼」
 モモがにやりと笑い、指先でつまんでみせたのは、名刺大の透明な袋。中に白い粉とカプセルがひとつ入っている。
「モモちゃん頼むわぁ。堂々としすぎ」
 カウンターの奥でママが苦笑した。
 8席しかないこのバーに、午前4時、私とモモ、メロンとミカンとキウイが電線にとまるスズメよろしくケツを並べる。
 全員ハタチ前後。全員同業者。
 仕事が終わるのが3時過ぎ。それからぞろぞろとここに集まり、客の悪口でひとしきり盛り上がり、己の不幸を嘆き、酔っ払ってけらけら笑って泣いて、朝を迎える。
 時折、誰かがふらりとトイレへ行く。さすがにカウンターでやるとママの立場がない。レモンの死も、目先の快楽の前では思い出されることすらないのだった。
「もらっとく、サンキュー」
 私は二本指でそれをつまんだ。
 私たちはそれを“レシピ”と呼んでいた。
 1種類だけヤルのは初心者。混ぜるのが、慣れてる証。カクテルとかちゃんぽんとか言うのは、私たちの間では古かった。
 安心安全の定番レシピ。珍しい材料が混じっていると、裏レシピ。死なないギリギリの組み合わせは神レシピ。そして、それマジでやばい、死ぬっていうやつは、黒レシピ。レモンはこれに手を出した。
 
 レモンが死んでひと月も経たない頃、モモが神レシピを手に入れた。
 マットレスの上で痙攣して泡を吹くモモを見たとき、もう駄目だと思った。救急車は、8分で到着した。こんな私らみたいなところにもちゃんと来てくれることに、妙に感激する。
 クスリで死にかけてる以前に、モモはボコボコにやられていた。まただ。男運が悪い。モモがレシピを使うのは、決まって男に殴られた後だ。忘れたいのだ。痛みも、現実も。

「これ、あたしの黒レシピ。とっておき」
 透明な袋に、白い粉とカプセルがみっつ。私はぎょっとして袋の中身と、まだ目の周りが紫のモモの顔を見つめる。
「懲りないね。いつ使うの?」
 モモがあはっと笑う。
「使わない。お守り。もう本当に駄目だって時のためにとっとくの」
「こないだ死にかけたばっかじゃん。レモンの二の舞だって、まじで」
「知ってる? これ、神レシピと紙一重の差しかないんだって。でもその差が……」
「生と死?」
「それもあるけど、ほかのどのレシピでも味わえない、ほんとーにやばくてほんとーにサイコーのモノが“くる”らしいよ。アドレナリン出し切っちゃってさ、きっと苦しいとか感じないよ」
 だから、ご褒美。と、モモは強い感情がこもる瞳で袋の中身を見つめた。
「死ぬ間際の、最期のご褒美。これがあれば、がんばれる」
 にっと笑い、胸の谷間にそれを押し込む。
 正直、少しうらやましかった。
 私たちは、どこかに、何かに、よすがを求めて生きている。たとえば故国の家族に、男の愛というものに、金に、ありもしない未来に。
 それがないと、怖くて生きていけない。足元は、いつだって暗い闇。底辺に生きているのに、実は底なんかないのだ。

 20世紀の終わりに、モモはこの世を去った。
 腕が奇妙に曲がり、腫れ上がった顔から目玉が飛び出していた。胸の谷間にしまわれた黒レシピを、最期のちからを振り絞り口に、喉に押し込んだかどうかはわからない。
 私は、52の今日まで生き延びた。あの頃の仲間がどこでどうしているか、もはや知る由もない。
 モモに黒レシピを見せられてからずっと、考え続けている。私にとっての黒レシピとはなにか。よすがとはなにか。
 あの街からそれほど遠くないここで小さな呑み屋を開いた時、軒先に小さな石を四つ並べた。レモンとモモ、あとのふたつはその後に失った仲間たち。
 置いていかれたと、感じた時期もあった。底がない闇に明日も足を踏み出す強さが、常にあるわけじゃない。
 だが、私は誰より卑怯で、意気地がなかった。したり顔でレシピを語りながら、その実ただの一度もやったことがなかったのだ。トイレから出てラリったふりをしたことも何度もある。アドレナリン放出より、私はいつだって、底のなさに震える方を選んだ。
 この歳になっても午前4時まで店を開けているのは、待っているからかもしれない。
 けらけら笑いながら暖簾をくぐる彼女たちを。客の悪口でひとしきり盛り上がり、己の不幸を嘆き、それでも生きていくしかないと、若さゆえの正のエネルギーで朝を迎える。その様子を、私は一緒になって笑い転げて、泣きながら、見守る。
 表の提灯に灯を入れる。赤地に白文字で浮かび上がる、「寄る辺 いちご」。
 目印だ。
 私は、ここにいる。


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