1. トップページ
  2. 幸せのレシピ

吉岡幸一さん

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

幸せのレシピ

19/04/18 コンテスト(テーマ):第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】 コメント:0件 吉岡幸一 閲覧数:71

この作品を評価する

「うちは貧乏なのにどうしてお母さんはいつも幸せそうな顔をしているの」
 私がまだ小学五年生だったころ、台所で肉の入っていないカレーを作っていた母に聞いたことがあった。
「お母さんが幸せそうにしている理由はね……」
 手を止めて振り返った母はうれしそうに話してくれた。

 子供ながらうちの家が貧乏なのは仕方がないと思っていた。失踪して行方不明になった父のせいでうちは貧乏になっていた。父は人間関係がうまくいかないという理由で会社をやめたあと、海老の養殖事業に投資してみごとに失敗した。多額の借金を抱えたまま私と母を置いてどこかに消えてしまった。いまだに父が生きているのか死んでいるのかわからないままだ。
 父がいなくなったと、母は税理士事務所の事務のパートとごくたまにくる工業翻訳の仕事を続けながら父の借金を返していた。当然、家に金はなく、普通の家の子のように新品の服を買ってもらったり、休みの日に旅行に出かけたり、そんな贅沢をすることはできなかった。私はいつもリサイクルの服を着ていて、出かけることといえば、徒歩一時間の場所にある格安スーパーの特売日に小銭を握りしめていくだけだった。
 学校には行っていなかった。買い物に行くくらいだから引きこもりというわけではなかった。貧乏なのを理由に軽いいじめは受けたがそれが学校に行かない理由でもなかった。私は学校にいるごく普通の他の子供たちと比べて、自分の貧乏が恥ずかしくてたまらなかったのである。お洒落な服を着ているクラスメイトを見ては羨ましく、ゲーム機や流行のゲームソフトの話を聞いては妬ましく、家族でテーマパークに行った話など聞こうものなら、なにも私に悪さをしていないにもかかわらず憎らしくさえあった。
 私は周りの子供たちと自分を比較してはイライラしていた。どうしてうちは貧乏なんだろう。理由は知っていたが、関係のない母や私が巻き込まれてしまったことに納得することができず、どうして、どうして、と何度も繰り返してばかりいた。そして私は学校に行かなくなった。同じくらいの歳の子供たちと顔を合わせるのが辛くなっていた。
「学校に行かないの?」
 母は心配そうに聞いてきた。
「うちが貧乏だから……」
 貧乏だから学校に行かないという理由がおかしいことくらいわかっていた。でも当時の私には複雑な気持ちを言葉にできる力はなかった。そんな私に母は怒ることはなかった。
「お母さん、がんばるからね」
 母は気づいていたのかもしれない。父の借金を抱えていることがすべての不幸の源だと。
 私には母が理解できなかった。父のせいで苦労しているにもかかわらず、母は笑顔を絶やさずいつも幸せそうだったからだ。メソメソと泣いて暮らしていた方がしっくりときた。もちろん家の中が明るい方がいい。だからといって本当に幸せそうな母の姿をみると、私はときどき怒りさえ覚えてしまっていた。
 鼻歌を歌いながら料理している母の背中に向かって「ご飯なんかいらない」と、言ってみたり、掃除をしている母の目の前でゴミ箱をひっくり返したりしてみせたが、母はすこしの間だけ悲しい顔をするだけで、やがていつもの幸せそうに微笑んだ顔に戻るのだった。
 母は私が定時制高校を卒業すると同時に亡くなった。膵臓癌の発見が遅れたことが原因だった。発見から死ぬまでは本当に短かった。
 高校を卒業したら私は地元の自動車部品の製造工場に就職することが決まっていた。父の残した借金もほぼ返し終え、これからは人並の暮らしができるはずだった。旅行にも行けるし、新しい服だって買える。母には仕事を減らしてもっと自分の時間をもてるようにしてあげるつもりでいた。
 母の人生はなんだったのだろうか。不幸で貧乏なはずなのに、いつも幸せそうにしていた。理由を知った今でもそう思わないわけではない。ただ母の考え方は私を救ってくれた。正しいのか間違っているかそんなことはわからない。はっきりと言えることは、母が教えてくれた「幸せのレシピ」を、私はこれからも引き継いでいくということだけだ。

 ……肉の入っていないカレーを作る手を止めて振り返った母はうれしそうに話してくれた。
「お母さんが幸せそうにしている理由はね……。愛すること。感謝すること。喜ぶこと。笑うこと。これらをたっぷりとしているからよ。そして少しだけ、悲しみや苦しみや怒りや憎しみの気持ちを隠し味にするの。これがお母さんの幸せのレシピよ。しっかりと覚えて、素敵な幸せをつくれるようになってね」
 カレーの香りを嗅ぐと、いまでもはっきりとそのときの母の言葉を思い出す。
 私は牛肉をたっぷり入れたカレーを作りながら、来春生まれてくる子供にも母の「幸せのレシピ」を伝えようと思うのであった。おなじ職場で知り合った夫はもうすぐ帰ってくる。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン