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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

性別 女性
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家を生むモノ

19/04/15 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:130

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「あれ、また模様替えした?」
 夫が帰ってくるなり開口一番に指摘した。
「うん、なんかもう少し使い勝手よくならへんかなあと思って」
 ナミエは表情ひとつ変えず、手早く野菜炒めを電子レンジに突っ込み、冷蔵庫からサラダを出す。
 動かしたのは、食器棚とリサイクル用の仕分け箱だ。
「アミもてつだったよ」
 パジャマに着替えた6歳の娘が夫の足にくっついた。夫はそれに適当に構いながら、いつまでも棚とゴミ箱から視線を外さない。
「棚、前の方がよくない? 変な隙間できてるじゃん、ここ」
 予想通りの反応に、それでもナミエの胸に爪で引っかかれたような不快感が走る。

 8年前、結婚を機に夫名義で家を買った。
 そもそも東京になど住みたくなかった。大阪から嫌々引っ越したものの、未練たらたらでいつまでも東京に馴染めずにいた。
 夫との暮らしは、せめぎあいだ。
 ナミエは拠り所を求め、大阪の生家と似たような家具の配置、ものの置き方を好んだ。夫は夫で自分のやり方があり、ナミエがちょくちょく何か替えようものなら、即効で気づき、元に戻してしまう。その不満を抑えるため、「所詮ここは夫の所有物だ」と考えるようになって久しい。
 
 娘の中学の修学旅行と夫の出張が重なったある時、ナミエは久しぶりにひとりで大阪に帰省した。
「あー、やっぱ実家はええな」
 言って、コタツの上でハチの字に両腕を広げ、べたんと机に頬をつける。「何年経っても、東京の家は落ち着かへん」
 お茶を運んできた母が頭上で苦笑した。
「何言うてんの。ええ家やん。綺麗で立派で」
 ナミエが生まれ育ったこの家は、5階建て、6棟が並ぶ団地の一室だ。昔はこの何の特徴もない狭くて古いだけの我が家が嫌いだったが、いまはこれこそ「家」という気がする。東京の家は、妙に近代的でやたら窓が大きく、どの扉もどの引き出しもきしみひとつなく指先のちからだけですっと開く。便利で今風で、心地よさを押し付けるくせに、ここはお前の居場所ではないとでも言いたげな、別の何か。
「ほんものの家はここだけや」
 言い聞かせるように、指先で机のふちを撫でた。

 娘は30で嫁に行くまで延々家に居ついた。
 娘と娘の荷物がなくなると、家が急に広く空っぽに感じた。ふいに、あの子がまだ生まれていなかった頃、新築だった頃を思い出すも、しかしよくよく見ると壁は薄汚れ、床には細かい傷が目立つ。階段下の物置の扉もたてつけが悪くなっていた。
 時間が、こんなにも経っていることに戸惑う。

「あー、やっぱ実家はいいわー」
 嫁に出てわずか1ヶ月。早々に里帰りした娘が、うんと腕を伸ばす。
 その姿を見て、ナミエは頭の中にざっと風が吹いたように固まる。
 娘がソファの上でごろんと横になり、もう十数年使っているクッションを抱きかかえる。ソファとテレビの位置だけは、一度も替えていない。この光景、我が家の風景。娘が小学生の頃から同じようにごろごろする。
 そうか。
 と、唐突に腑に落ちた。
 ここは、この子にとって実家なのか。
 ずっと馴染めず、「本当」の家だと受け入れられなかったこの場所こそ、娘にとっては唯一無二の家なのだ。
 いつの間にか、ナミエは自ら実家を作っていたのだ。

 長い間、ナミエにとって実家とは大阪だった。あの団地もさることながら、あの町、あの環境、あのすべてが、実の家だった。
 だが、気がつけばここで生きた年数が、あの町で生きたそれを越してしまっているではないか。
 動揺し、いきなり激しく揺さぶられた頭を抱え、ナミエはよるべを求めて部屋を見回す。
 入居当初から使っているテレビ台と、食卓に食器棚。2代目のソファと絨毯。壁のカレンダーも時計も机のリモコン置き場も、そういえば入居当初から変わっていない。
「これこれ。リモコンと耳かきの位置、手を伸ばせば届くここじゃないと。ダンナがさー、目に見えるところに雑多なもの置くの嫌いで、全部箱とかにしまわれてんの」
 寝転がったまま腕を伸ばし、耳かきを手にした娘を見て、ナミエは苦笑した。
 ナミエが作った空間が、ひとを、環境を、何が幸せかを、形成した。
 胸の内側がこそばゆい。無意識に上から手で撫でながら、ナミエは娘の頭のてっぺん辺りに声をかける。
「そのうち、変わるわ。使いやすいように折り合いつけながら、変えてったらいいねん。変わってくもんやわ」
 えー、そうかなー、と娘が今度は孫の手に指を伸ばす。
 ソファの脇のマガジンラックに突っ込んである孫の手。これは、大阪の家でずっとこうしていたからだ。でもそのマガジンラックに何故か物差しを突っ込むのは夫のやり方で、今ではナミエにとってもここ以外考えられない定位置となっている。
 ここが、ナミエの家だ。
 受け入れると、急にこの場所が愛おしく思えた。


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