碧井空さん

初心者です

性別 女性
将来の夢 小説家・脚本家・音楽家
座右の銘 生きていろ。俺よりはましだから。(江頭2:50)

投稿済みの作品

0

帰省

19/04/14 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:0件 碧井空 閲覧数:97

この作品を評価する

 上司が言った。
「手帳を最近買ったそうだな。それを全部使いきらなければ、ただの札束と同じだ。ほら、飲め」
上司は缶コーヒーをくれた。
「それが、ただのスチールと同じように」
鼻で笑いながら石を蹴ったその先に、少年たちが捕り損ねた野球ボールが転がっていた。上司は機敏な動きで投げ返した。
 鼻の頭に玉のような汗があり、ネクタイに垂れた。
「おまえ、お盆に帰省はしないのか」
岐阜から東京に単身赴任している俺のことを、上司は時々心配する。
「いいんですよ。東京でもゆっくり休めますから」
上司は立ち上がった。
「あのな、おまえは良いんだよ。子供に顔見せないんか。あと、中学んときに亡くなったっていう、ばあちゃんの墓参りは」
3年前から帰省していなかった。東京の同僚と飲みに行くのが楽しかった。
「そろそろ帰ってみようと思います」
「そうだ、それが良い」
 いくら時間があっても、考えて使わなければただのヒトになってしまう。時間を誰か大切な人たちのために使うなら、初めて立派な人間になれるんだろう。
 手帳に帰省を書き込んだ。仕事以外のスケジュールを組むのは初めてだった。
「明日、飲みに行きませんか。俺は残業無さそうなんですが」
「珍しいな。よし、いこう」
 ちょっとした昼休みが終わった。
「これ、コピーお願い」分かりました。
「ここ、間違ってるから直して」分かりました。
電話が鳴る。
「はい。東京商事です。はい。申し訳ありません。すぐに対応します」
付箋のメモをデスクに貼る。7枚になった。
 残業に入る前に手帳を見る。帰省の日付を確認する。
「おつかれ。また明日よろしくな」
早く帰る上司が声をかけてくれた。
 3時間後。満員電車に揺られる。幼児が泣いているのをどこかで母親があやしている。いろいろな人がいる。何度電車に乗っても、何年仕事をしても出会う人にはいろいろな色があると気づく。色なんて関係ない。些細なしぐさや口調の違い。事務的な対応と人情。取り留めなく過去が思い出される。
 今日は疲れているみたいだ。スーツをハンガーにかけてすぐに寝る。いつのまにか手帳を抱いていた。
 同僚と飲んでいる夢をみた。朝になっても覚えていて、冷や汗をかいた。そうだ、今年は帰るんだ。
 仕事はいつものように忙しかった。
 夜。といっても17時半。
「カラオケバーにしてみたんだ。何か歌うか?」
上司が決めた場所に着いた。普段行く居酒屋の店員とはどこか雰囲気が違う。
「おかまバー!?ですか。よく来るんですか」
「まあな」
上司はおもむろに話し始めた。
「実は、息子がトランスジェンダーで不登校なんだ。柔道で痛かったとか僕は普通の男の子じゃないとかそういう話ばかりなんだよ。まあ、そんなとき同じ話だけきかせてやって、とりあえず寝ろって言うんだけどな」
「昨日のたとえ話ですか」
「ああ。お前が授業で使ってるノートだって使い切らなければただのゴミだってな」
 上司の息子さんが自分の個性を認めて、もがいている様子がみえる気がした。手帳に帰省を書き足した自分のように、誰か第三者の支えができるといいのにな。
「そういえば、今年は帰るんだろうな」
「はい。手帳にも書いておきました」
「そうか、手帳に書かないと忘れるようなことか」
まさか手帳を否定するとは。
上司はいきなり「津軽海峡冬景色〜!」から他のお客さんと混じって歌いだした。
「俺の故郷は青森なんだ」
マイクをずっと離さない上司が不思議だった。解決が難しいことはどんな人でも直面するもんなんだな。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン