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やまぐちなみこさん

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おとぎのお家

19/04/06 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:0件 やまぐちなみこ 閲覧数:113

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 郵便受けを開けるとヤギがいた。その足もとには紙吹雪。郵便物の残骸だろう。艶めく彩り豊かな紙がもとチラシなのは明らかで、私はほっと吐息する。むろん私宛ての郵便物など、服屋のダイレクトメールだとか、せいぜいが携帯電話の利用料金請求書だとかでしかないのだけれど。
「お腹が空いていたんだね」郵便受けに収まる手のひらサイズのヤギに、私は話しかけ、「古紙回収の日まで溜めておくつもりだったチラシの束、あとで持ってきてあげる」そう約束して、郵便受けを閉じる。ここがマンション一階の集合郵便受けで、二台の監視カメラが設置されていることを意識して、できるかぎり優しい声で。丁寧な所作で。そしてその心がけを忘れずに、階段で三階まで昇り、自室へ帰る。三カ月前からひとり暮らしをはじめた、ちっぽけな部屋へと。
「ただいまあ」
 靴を脱ぎながら、壁のスイッチを押さずともほの明るく光っている部屋の奥へ、挨拶を放る。次の瞬間の出迎えの場面をひと足早く思い浮かべたせいで語尾が甘くとろけているのは、ご愛敬。果たして、期待通りに私のもとに駆けつけてきたのは、一匹の犬。爪がフローリングを叩く音もなしに、ミルクティ色の毛をふわふわと揺らし、しっぽを振るばかりか全身をくねらせる、ダックスフントの女の子。
 ただいまと、今度は彼女に向けて言い、私はリビングに入る。入って、すぐに天井を仰ぎ見る。
 ひとつ、浮かんでいるのは、まんまるの光。
「ああ、今日は、満月なんだね」頬を緩め、私は呟く。胸に広がる、感嘆と安堵。リビングの唯一の照明であるこの光は、月に合わせて充ちては欠ける。美しく、趣深くはあるけれど、新月の日は厄介だ。懐中電灯で夜を過ごすことになる。
「それもまた面白くはあるけれど」なんにせよ、満月の今夜は、穏やかな光輪の中で晩餐だ。帰り際にスーパーで買ってきたお惣菜とおにぎりをソファテーブルに並べ、手を合わせ、食べる。うろうろしたり、私のそばで身繕いしたりしているミルクティ色の犬は、軽々と口が届く高さにあるどの食べもののにおいにも、まるきり無関心でいる。まあ、足音のないものに食欲があるとしたら、そちらの方が不思議なことだ。
 そんな無欲なミルクティ色の犬から、食後、私は体毛を一本もらい、その毛をマグカップに注いだ湯に溶かして、ミルクティを作る。飲むと、白っぽい毛を選んだからだろう、ミルクの風味が濃厚だ。と、三口目を飲み下したとき、るるる、と電話が歌い出す。声音が、私の母親そっくりだ。
「楽しんでるよ」毎度恒例になっている母の「独り暮らしはどう?」に、私は部屋中をうっとりと眺めながら、真剣に答える。心の底から、楽しんでるよ、と。
 ミルクティ色の犬。月の照明。オーロラのカーテン。温泉水が沸く湯舟。ときどき果実が生る柱。電話は歌い、本は羽ばたき、ベッドはいつも太陽の香り。
 この家は、夢で溢れ返っている。親切で、ひょうきんで、愛すべき、幻たちで。
 ほんとうに、なんて素敵ででたらめだろう!
 月明かりを浴びて金色に輝くミルクティに自分の顔を写し、ひとり暮らしをはじめてよかったと、私はしみじみと思う。こんな生活は、ひとり暮らしでなければできなかった。そう、実家ではない家に暮らすのでなければ、決して味わえやしなかったのだ。
 実直で、実用的で、現実主義の家、実家には、夢幻は住みつけないから。
「だけど、実家のよさも身に沁みてるでしょ?」母が問う。すると、ほわり、戯れに強く光ってみせる月。ころり、右半身を下にして寝転ぶミルクティ色の犬。
 受話口を唇から遠ざけて、私は、笑む。


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