コジコジさん

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振袖

19/04/05 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:0件 コジコジ 閲覧数:99

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 駅の構内を歩くたびにハイヒールの音が心地良く鳴った。六年振りの帰省だ。
 春子はスーパーへ食品を卸す会社に勤めていたため、正月やお盆など繁忙期には思うように休暇を取れなかったのだった。母には帰ることを電話で知らせておいたが、同級生などには連絡をしていない。もうこの年齢になると子育てで忙しかったり家族優先になるため、今では親しくしている同級生や友人はいない。
 母はまた結婚の話しをするんだろうか。そう思うと足取りが重くなった。春子はもう一人で生きて行く覚悟はできているのに、結婚を期待している母には言い出せずにいたのだ。
 プラットホームへ続く階段に右足を掛けた時、足首が捩れて転びそうになった。このハイヒールが悪いのか、歩き方が悪いのか。多分歩き方なんだろうな、と思いながら春子は何事もなかったように階段を昇り出した。

「何よこれ。もう四十にもなるのに振袖って。私はまだ売れ残ってますよって宣伝して歩いてるようなものじゃない」
 頼んでもいないのに、母は振袖を準備して春子の部屋に飾っていた。春子は母の無神経さに腹が立ち、思わず怒鳴ってしまった。
「いいじゃない。誰も気にしないよ」母は悪びれる様子もなくそう言うと、夕食の支度をしている。テレビから紅白歌合戦の音楽が煩いくらいに聞こえていた。
「スパゲティ作ったよ」
 母が台所からスパゲティを載せた皿を持ってきながら言った。
「何よそれ」
「高校の時、毎日食べてたじゃない」
 春子は思わず苦笑しながら、「いつまでも子供じゃないんだから」と言い訳するように小さな声で言った。実家に来ると何もかもがうまく回らない。
 母はテーブルに置いたスパゲティに粉チーズを振りかけながら、これが美味しいのよね、と独り言のように呟く。春子はそんな母をじっと見つめていた。
「ご飯は少し後にする」
 春子は気分を変えようと、自分の部屋に戻って仰向けに寝転びながら天井を見つめた。それから机の脇に飾ってある振袖と鈍く光るトランペットを交互に眺めた。高校では吹奏楽部に在籍し、毎日練習やスポーツ大会の応援に明け暮れていたのだ。あの時無理して中古のトランペットを母に買ってもらったことを思い出した。それから、振袖も……。
 居間から母の咳が聞こえてきた。

「おめでとう」
 翌朝、春子は初詣の支度を整えると台所で雑煮用の餅を焼いていた母に言った。母は振り向き、少し戸惑ったような顔で「もう出掛けるの?」と聞いてきた。
「うん。いろいろ行きたい所もあるしね」
 そう答えたが特に行く当てなどなかった。
 神社は歩いて行ける距離だったが、道にはうっすら雪が積もっていて歩きづらく時間がかかった。ふと振り返ると、雪の上には揺れるように歩いてきた自分の足跡が付いている。足跡が付いた部分の雪は溶けて、まるで雪の上から墨を落としたようにアスファルトの黒が覗いていた。
 ようやく神社に辿り着くと、雪は鳥居の上にも積もっていた。春子はそれを眼に焼き付けるように眺めた。雪が反射させる朝の陽光が、春子の眼の表面を柔らかく刺激しながら射抜いていく。
 そして神社の鳥居をくぐった時、後ろから肩を軽く叩かれた。春子は叩いた手から肩を通して、悪い予感が伝ってくるのを感じた。思い切って振り向くと、そこには見知らぬ年配の女性二人組が微笑みを浮かべて立っていて、彼女らは唐突に話し掛けてきたのだ。
「ねぇねぇ、あなたのような年齢なら振袖を着ちゃダメよ。柄も派手すぎるしねぇ」
 出たよ、着物警察。正月早々厄介なものに出くわした、と思った。
 春子は深呼吸をしてから満面の笑みを浮かべ、「そうなんですか? 知りませんでしたわ。オホホ。では、ごきげんよう」そう言うと、振り向いてまた歩き出した。今度は真っ直ぐ歩くように注意しながら。
 少し歩いて行くと、右足が捩れて転びそうになった。きっと慣れない草履のせいだ。帰ったら母に相談してみよう。


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