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吉岡幸一さん

性別 男性
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日が暮れるまで

19/03/25 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:0件 吉岡幸一 閲覧数:172

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 街から片道四時間、電車とバスを利用して三ヶ月ぶりに実家に帰ってきた。懐かしいという感覚はない。落ち着くという感じでもない。ただ実家をほったらかしにしていては心配だから、私は年に四度ほど帰ってきているだけだ。
 父も母も死んだ。すでに亡くなって五年が過ぎている。実家にはだれもいない。私を迎えてくれる人も当然いない。ただ空っぽの家が埃をためて私を待っていてくれるだけだ。
 両親が死んだのは七十歳のときだった。その当時、私は四十歳、仕事を続けるのはそろそろ限界かもしれないと考えていたころだ。だが五年経ったいまでも私は同じ仕事を続けている。実入りは若い頃に比べて半分以下になってしまったが、どうにか食べていけているだけの稼ぎはある。
 夫もなく、子供もないことが救いなのかもしれないとこの頃では考えるようになった。もしも私が結婚をし、子供にでも恵まれていたならきっと耐えられないほどの不幸を背負っていたことだろう。見知らぬ客の子を身ごもって流産したことは、きっと神様が私を哀れんでくれたからにちがいない。
 実家は木造平屋建て、築四十年は経っている。朽ちたブロック塀に囲まれ、小さな庭もある。庭には柿の木が一本あるが実をつけているのを見たことがない。草は伸び放題、草刈りをしなければ廃屋と間違えられても仕方がない。
 実家に帰った私がすることといえば掃除だ。電気、ガス、水道は契約したままにしているので使うことができる。家中に掃除機をかけ、空っぽのタンスやゆがんだ床をふいていく。家の中がきれいになれば、庭の草を刈る。夏の草刈りは日に焼けるだけでなく、力仕事なので好きではないが、荒れたままにしておくと、いつの間にか近所の犬や猫が糞をしていくので欠かすわけにはいかない。
 掃除を終えてしばらくすると、私の帰省をどこかで知ったのか、かならず不動産屋が訪ねてくる。私はわざと不動産屋を家にあげることなく、暑い庭先で話を聞く。冷たいお茶などだしてあげる気にもなれない。
「この土地を売っていただけませんか。この辺は再開発が見込まれていますので、いまでしたら相場以上の金額でお買いしますけど」
 不動産屋はにたり顔で額の汗をふきながら私に売却を迫ってくる。いつものことだ。
「どんなにお金を積まれても売るつもりはありません。お引き取りください」
「いや、しかしですね……」
 不動産屋は諦めることなく、いま売ることがどれだけ有益かを反論のできないほど論理的に話すが、私は耳をふさぐだけだ。
「また伺います」
 一通り話すと不動産屋は帰っていく。そして三ヶ月後、私が帰省するとまたやってくる。
 不動産屋が帰っていった後は、決まって隣の家の主婦がやってくる。窓から不動産屋と私が話をしているのを眺めているのだ。
「いくらで買うって不動産屋は言ったの。……それでなんて答えたのよ」
 久しぶりに会っても時候の挨拶すらすることもなく、隣の主婦は勝手に庭に入ってくる。
「いえ、売るつもりはありませんから」
 いつものように答えると、変わり者を見るような目で私を睨みつけ、そして慌てて愛想よく微笑みかける。
「思い出がいっぱいある実家を売るのは抵抗があるんでしょう。でももういないんだし、売ってしまってもいいじゃないの」
 まとわりつくような甘い声で隣の主婦は説得する。私が実家を売れば、不動産屋が一緒に隣の土地も買い取ってくれることを私は知っている。隣の主婦は土地を売って、もっと都会に引っ越したいと考えているのだ。
 思い出がいっぱいある実家、と隣の主婦は言った。確かに思い出はいっぱいある。
 かんしゃく持ちの母は何か気にくわないことがある度に私を竹の定規でたたいた。成績がよくない。ご飯を残した。歯をみがかない。服をよごした。理由はなんだって構わない。むしゃくしゃしているとき、理由をみつけては叩いた。
 父はそんな母を注意することもなく「おまえがしっかりとしていればいいんだよ」と、ミミズ腫れに目を背けすべて私のせいにしていた。きっと面倒だったのだろう。
 高校を卒業すると同時に家を飛び出した私は、両親が亡くなる当日まで実家へは帰ってこなかった。実家を売らない理由、売れない理由はと聞かれると正直には答えられない。床の下を気にしているわけではない。いまはまだ大切な場所だからと答えるだけだ。
「あんた、あの街で働いているんでしょう。夫があの街であんたを見たんだって。汚らわしい」
 隣の主婦は思い通りにならない私にむかって毒をはいて帰っていく。そんな言葉には慣れっこの私はだまって耳をふさぐだけ。
 日が暮れるまで実家にいた私は四時間かけて街へと戻っていく。また三ヶ月後にここにきて家の掃除をして、庭の草を刈ろう。次に帰るときはきっと秋の気配が漂っていることだろう。



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