1. トップページ
  2. 終の住み処

桜森湧水さん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

終の住み処

19/03/24 コンテスト(テーマ):第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】 コメント:2件 桜森湧水 閲覧数:169

この作品を評価する

 男は断崖絶壁にしがみ付いていた。
 天高くそびえる塔の岩肌を、ゆっくりと登る。
 雲海を抜ければてっぺんは近い。
 毎年、男はこの仙境を訪れる。
 物好きな冒険家というわけではない。
 ただ、雲の上に実家があるだけだ。

 玄関で息を切らしてへたり込む男を、老婆が出迎えた。
「おかえり。よく来たねぇ。くたびれたろう?」
「ただいま。毎度のことだけど命懸けだよ」
 優しく微笑む母親は息子を居間へ招き入れた。

 天井に穴の空いたあばら家の中で、親子はくつろいだ様子で語らう。
「あんた太ったんじゃないかい?」
「最近、仕事の付き合いで飲みに行くことが多かったから」
「ちゃんと野菜も食べなさいよ」
「霞を食って生きてる母さんに言われてもなぁ……」
 リュックから調味料を取り出しながら、男は答えた。ちゃぶ台に並べられていくボトルを見て、母親は目を輝かせる。醤油、マヨネーズ、お好み焼きソース、胡麻ドレ、ハチミツ、メープルシロップ、ストロベリー、メロン、ブルーハワイ……。
「アレは持ってきてくれたかい?」
「練乳だろ? もちろんあるよ。でも、糖分の取り過ぎに注意して」
「わかってるよ。よし、お昼にしようかね」
 スッと立ち上がった母親は家を出て行った。すぐに戻ってくると、両手で霞を抱えていた。
「あんたはなに味がいい?」
「母さんと一緒でいいよ」
「そうねぇ……、お昼はポン酢にしようかね」
 手頃なサイズに霞を千切っては丸め、千切っては丸める。大福程度の大きさにしてから、だばだばとポン酢をかけた。
「たーんとお食べ」
「俺は少しでいいよ。これ苦手なんだよ。バリウムみたいで」
「慣れよ。慣れ。そうだ、お父さんの分も」
 そう言って母親は仏壇に”霞のポン酢和え”を供えた。隣に男が座り、両手を合わせる。
「……さて、いただきましょう」
 
 食後、男は写真を取り出して母親に見せた。
「ほら、ユウタ。もう4年生だ」
「まぁ、ずいぶんと大きくなったね。日焼けしたみたい」
「野球チームに入ったからね。我儘言ってヨウコを困らせてる」
「まあまあ。ヨウコさんは大変だろうけど、男の子はワンパクな方がいいよ」
「俺は運動苦手だったからなぁ。もしかしたらユウタは父さんに似たのかも」
 親子は仏壇の方を向いた。
「お父さんは岩登りが好きだったねぇ……」
 母親は仏壇を見つめたまま口を閉ざした。しばらく間を置いてから、男が口を開いた。
「なぁ母さん。俺たちと一緒に暮らさないか?」
 男の言葉に、母親は眉を上げた。
「ここでの生活は大変だろ? 俺も会いに来るのが年々しんどくなってきたし、母さんさえよければウチに来ないかと思ってさ」
「でも……、ヨウコさんは嫌がるんじゃない?」
「ヨウコも歓迎してるよ。また働きに出たいんだってさ。母さんには家のことを手伝ってもらうことになるけど、それでも良ければ」
「家事の手伝いくらいどうってことないけど……、そうねぇ……」
 母親はまた仏壇を見た。まるで亡き夫に相談するように。
「土地の手続きなんかは心配しなくていいよ。俺がやるから」
「ええ……」
「どうだろう母さん」
「ええ……」
 しばらくぼんやりとしていた母親だったが、深く息を吐き出すと息子の方へ向き直った。
「それじゃあ……、悪いけどお世話になろうかねぇ」
 その言葉を聞くと、息子の身体から緊張が解けた。
「よかった。それじゃ、さっそくヨウコにも伝えておく」
 肩の荷が下りた、というような笑顔を見せる男。
「悪いねぇ」
「謝る必要なんてないよ」
 と言って男はスマホを取り出した。しかし、圏外の表示を見て舌打ちした。
「今日は泊っていくのかい?」
 母親が尋ねた。
「いや、今夜は出かけることになってるんだ。最近、構ってやれなかったから家族サービスしないとさ」
「そうかい。それはきちんとしないとねぇ」
「ああ」
 男は立ち上がると、リュックから折り畳み式のハンググライダーを取り出して組み立てた。
「それじゃ、今日はもう帰るよ。また準備が整ったら迎えに来る」
「わかったよ。私はいつでもいいからね」

 外に出た親子は冷たい風に吹かれた。男は慣れた様子で崖の先端に立つ。
「じゃあ、また」
「はいよ。気を付けてお帰り」
 崖から飛び降りた男はハンググライダーで風に乗った。岩の塔の周囲をらせんを描きながら滑空する。
 息子が雲海に消えるのを見送ると、母親はひとりで家に戻った。

 就寝前、女は仏壇の前で手を合わせた。
「ここが終の住み処になると思ってたんですけどねぇ。でも、心配かけるのも悪いですから。ごめんなさいね。もうしばらく待っていてください」
 女は上を向く。
 天井の隙間から星が見えた。
 ぴゅうぴゅうと、風が鳴った。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

19/05/06 タック

拝読しました。
仙人一家のお話なのでしょうか?
非現実性と現実性が混在していて、独特な作品だと感じました。
面白かったです。

19/05/12 桜森湧水

タックさん

コメントお寄せいただきありがとうございます!
ご指摘のように、父親が仙人のような人物で母親もそのようになったという設定です。
主人公は下界で普通に暮らしています。
「年老いた親を呼び寄せて同居しようと誘ったけど、母親に断られた」という知人の話を元に書いてみました。
独特な作品、面白かったと評していただき、とても嬉しいです。
ありがとうございます!

ログイン