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クナリさん

小説が出版されました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より発売中です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211 twitterアカウント:@sawanokurakunar

性別
将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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宝島より愛をこめて

19/02/19 コンテスト(テーマ):第166回 時空モノガタリ文学賞 【 おくりもの 】 ※時空作者による選考回 コメント:8件 クナリ 閲覧数:310

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 少し昔の、ある田舎町の話だ。
 中学一年生の頃、僕はよく、近所のベーカリーに通っていた。
 南仏風の、穏やかで明るい造形。
 うちとはあまりにも違った。
 僕の家は町の誰よりも大きかったけれど、暖かい場所はひとつもなかった。

 店内のカウンタには川原祥子さんという二十代半ばの女の人がいつも立っていて、厨房ではその夫の剛健さんがパンを造っていた。
 傍目にも二人はとても忙しそうだった。でも、僕にはいつも笑顔だった。

 ベーカリーでどのパンを買うか、僕は毎回真剣に悩んだ。
 メロンパンやあんパンの他、華やかな名前のパイや、芸術的な形のデニッシュも、学校帰りで空腹の僕を強く誘惑した。
 ベーカリーは僕の宝島だった。
「こんな時間に食べると、おうちでご飯が食べられなくなるんじゃない?」と祥子さん。
「育ち盛りでも、まずは三度の食事を大事にな」と剛健さん。
 剛健さんは体は逞しいのに目がかわいらしく、祥子さんと一緒に微笑む姿がとてもよく似合っていた。
 僕は二人が大好きだった。

 僕の土日は習い事で平日より忙しいため、ベーカリーに行けるのは平日の放課後だけだった。
 でもいつも家の外で、物陰でパンを頬張ってから何食わぬ顔で帰宅するのは、本当のパンの食べ方ではないような気がした。
 家では母が毎日、体のあちこちを腫らせて泣いている。
 父の仕業だ。
 僕は僕で、体中の痛みを我慢できても、手足の痣を隠すのには年中難儀していた。
 父は、町の偉い人たちと仲がよくて、父に逆らえる人はいない。

 十一月のある夕方。
 僕はかれこれ数十分、ベーカリーの中をうろついていた。
「それくらい一生懸命選んでもらえると、作りがいもあるけどね」と祥子さんが苦笑する。
 分かっている。何か買わなくては迷惑だ。
 でも、買ってしまったら、この暖かい場所を出て帰らなくてはならない。
 帰りたくない。その頃、父の暴力に対して、僕はもう限界に来ていた。体の痛みよりも、屈辱の方が辛すぎた。
 長袖のシャツと高い襟で傷や痣を隠して、なかったことにできたらいいのに。
 ふと、祥子さんが僕の隣にかがんだ。
「何かあった?」
 そう囁かれて、僕の口が、ふっと綻びた。
「僕は、元々本当は、パンがそんなに好きではなくて……お店に入ったのはたまたまで」
「うん」
「祥子さんと剛健さんに会いに来ていたんです」
「そっか」
「僕の何がいけないんでしょうか。僕は二人の子供になりたい。幸せな家族がいい。たとえばもし僕にもパンが作れたら、あんな家を出て、本当の家族を」
 言い終わる前に言葉は詰まり、涙が流れた。
「家で、辛いことがあるのね?」
 僕は慌てて祥子さんから離れた。
「いえ。何でもありません」
 ベーカリーを飛び出す。
 泣きながら走った。
 最悪だ。もうあのベーカリーへは行けない。唯一の心の拠り所が失われた。そう思った。

 それから僕は、外出する時にベーカリーを避けるようになった。
 ただそれだけで、確かに僕の大切な居場所だったあの店と、全く縁が切れてしまった。
 数週間。数ヵ月。そして一年。
 父の暴力はやがて収まっていった。代わりに、母と僕への執着も失われ、家の外にも家族を作ったようだった。

 ある日曜日の朝、母が僕に大判の茶封筒を差し出した。
「ポストに入っていたの」
 お礼を言って受け取る。
 中には大学ノートが一冊入っていた。タイトルはない。
 首をかしげながらぱらぱらとページをめくり、……そして、僕は家を飛び出した。

 僕は、呆然と立ち尽くしていた。
 一年ぶりにたどりついたそこは、更地だった。
 母が後ろから追いついてきた。
「私も最近知ったんだけど、ここのご夫婦、あなたのことでお父さんに何度も談判しに来たらしいのよ。それでこの町にはいられなくなって、よそに移ったんですって」
 かつてのあの瀟洒な建物の面影はもうどこにもない。
「それで気が済んだのね、お父さんは」
 僕は手の中のノートを握り締めた。
 中には、あのベーカリーの棚に所狭しと並んでいた、何十種ものパンのレシピが記述されていた。
 これは手紙だ。二人から僕への。それくらいは分かった。
 家族。その二文字が頭に浮かんだ。理由もなく、損得もなく、自分の身を削ってでも尽くしてしまう相手。
 気付かなかった。僕には本当の家族がいた。血の繋がりはなくても、本当の家族が。
 今はもう何もない空き地に吹く風の中、そこに立っていた二人を思い、僕は嗚咽した。
 そして、僕の家族がいかに誇らしくて素晴らしいのか、どうしても誰かに伝えたくなった。

 なぜ僕がパン屋になったのかと言えば、つまりは簡単ながら、そんな理由だ。

 店の棚には、あの時のあの店と同じ、あるいはさらにおいしいパンが、所狭しと並んでいる。


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このストーリーに関するコメント

19/02/19 霜月秋旻

クナリさん、渾身のおくりもの有難うございます。拝読しました。
自分の為にそこまで一生懸命になってくれる「家族」に出会えて、温かい優しさに触れ、主人公はとても幸せだったと思います。パン屋が空地になった時の主人公の喪失感は計り知れないでしょう。とても心にジワリとにじむお話でした。

19/02/19 待井小雨

拝読させていただきました。
とても素敵でなお話でした。ベーカリーというあたたかく幸せな場所に拠り所を求める主人公と、それを救おうとしていた夫婦の気持ちが切なかったです……。
自分もまたパン屋となり幸せな場所を作り出している主人公の強さが素晴らしいと思います。

19/02/19 クナリ

霜月秋旻さん>
文字数の中でできる限り、自分の構想通りに書けたかなと思ったのですが、評価していただけて改めてうれしいです。
更地・ザ・パン屋は映像的に印象的なシーンを入れ込みたくてこのようになったところもあるのですが、主人公は愕然としたと思います(^^;)。

待井小雨さん>
私の中で物語の作り方って、童話がけっこう根幹になってる気がするんですけど、時々「え、いいのそれ」ってくらい残酷なこともあるけど、最後には何かしらの救いがあるイメージなんですよね。
自分の中でもパン屋さんて幸せ空間なので、幸せなまんまでいてほしい気持ちもあったのですが、結果は悪くない…ということで(^^;)。

19/02/20 糸井翼

素敵なお話をありがとうございます。
切ないですが、温かいですね。パン屋さんって温かい感じがして、この話にぴったりです。パンのレシピだけではなくて思いや優しさも受け継がれて、主人公が素敵な人間になっている、そんな姿が想像されます

19/02/21 笹峰霧子

クナリさん 読ませていただきました。

過去の思い出を、包むような表現から次第に伝わってくる真実へ至るまでの描写、
最後に主人公の現在の生活が分かり納得し、感動し、その構成が素晴らしいと思いました。

行間や会話があって読みやすかったのも参考になりました。
少しずつクナリさんの作品を読ませていただきます。

19/02/21 クナリ

糸井翼さん>
パン屋さんの中って、常に温かいイメージがあるので(寒いとパンがすぐ固くなるからでしょうが(^^;))、心安らぐ空間なんですよね。
伝えられた思いが人を作る、ということはあると思うので、良い形で受け継いでいってもらいたいです。
コメント、ありがとうございました!

笹峰霧子さん>
読みやすさは伝わりやすさだと思っておりまして、まさに会話文の配置や改行、段落などは考えて書いております。ありがとうございます。
狭く細い道から、悲しみとともにではあるけれども、大きく展望が開けたように構成できていればよいのですが。
コメントありがとうございました!

19/03/04 雪野 降太

拝読しました。
『そんなに好きではな』かったパンを、幸せな光景と結びつけて拠り所としていく主人公のいじらしさにぐっときました。また他者に依存するのではなく、『もし僕にもパンが作れたら』と、あくまでパンに携わることで自ら幸せを掴もうとする芯の強さが『さらにおいしいパンが、所狭しと並んでいる』という自信に満ちたラストに繋がったのかと思うと熱いものを感じました。
読ませていただいてありがとうございました。

19/03/07 クナリ

雪野降太さん>
「自分は何故こうなのか」という状況を、「ならばどうしたらいいのか」に繋げていくのはとても大変ですが、そうした子供を助けてくれる大人が書きたかったので、主人公のかなり素直かつ克己的な性格は助かりました。
偶然のようなひとつひとつを掴み取って、みんな幸福になってくれたらいいのですが。
コメント、ありがとうございました!

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