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沓屋南実さん

音楽、表社会系、詩、エッセイなど書いております。 よろしく、お願いします。

性別 女性
将来の夢 音楽を聴きながら、一日中本を読んで、小説を書く生活。 行きつけの音楽カフェで、皆とおしゃべりすること。
座右の銘 諦めさえしなければ 良いことは待っている

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デビュー

19/02/18 コンテスト(テーマ):第165回 時空モノガタリ文学賞 【 弾ける 】 コメント:0件 沓屋南実 閲覧数:148

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 女性ピアニストは、それだけで注目を集める。それも小さな子どもだったら。曲芸師のようなピアニストにだけはすまい。音楽を深く理解し、表現できる一流の芸術家を目指すように、自らの意思で求めるように。ヴィークは、リハーサルを終え、支度を終えた娘のクララを感慨深く見つめていた。
 クララは、ピンクの裾の広がった薄桃色のドレス姿の自分を鏡に映してみる。長い黒髪を、ヘルテル家出入りの美容師に結い上げてもらった。黒い瞳は、不安に揺れていた。
 ヴィークは娘の内気な性格を知り抜いていたから、小さな発表の場を経験を積ませてきた。家での毎週のサロン、友人知人の邸宅。主人や奥方が気分をほぐそうと、声をかけるのだが、何しろ寡黙な少女である。さらに、うつむいてしまう。
 ピアノに向かってしまえば、別人のように生き生きとした。クララは、ピアノで語る子どもなのだ。

 1827年9月の薄曇りのこの日、ライプツィヒのヘルテルの屋敷には、クララ・ヴィークのデビューを見届けようと招待客が集まっていた。ヴィークは、確かに名音楽教師だ。元妻も弟子のひとりで、立派にゲヴァントハウスでピアノを弾き、歌を歌った。職業音楽家を育て、今もたくさんの弟子を抱えている。しかし、妻が出て行ったように、娘もあの激しい性格の父の元ではうまくいかないのではないか、と案ずる声もあった。
 グランドピアノの後ろに、ゲヴァントハウスの楽団員、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、オーボエそしてホルンの奏者が並び出て、チューニングの音が広がる。
 広間に整然と並んだ椅子に客人たちは座り、始まりを待っている。期待よりも懐疑が勝るざわめきだ。
「なぜ、変ホ長調の協奏曲なのかしらね」
「モーツァルトなら、もっと他にあるだろうに」
「まだ8歳にも届かない子どもが弾けるとは思えないが」
「子どもが難しい曲を弾くことに意味があるのさ」
「『神童』か? そういうのは飽きたよ。ヴィークはさすがにわかっているだろう」
「もう始まるんだ、すぐに答えは出るさ」

 ヴィークは、クララの顔が蒼白になっていることに気が付いた。
「クララ?」
 呼びかけられて、クララはハッと父親の顔を見た。もう出番である。今までにない大勢の客人たち。それも、これまでのような身内と違って批判的に見るものもいるだろう。
 ヴィークは自身の雑念を払うように言った。
「さあ、時間だ」
 ポンと背中を押されて、クララは楽団員が取り囲む真ん中に置かれたピアノに向かった。
 100人を超す人々は、拍手で小さなピアニストを迎えた。可愛らしい姿に、感嘆する者もいる。クララの緊張はさらに増した。今までにない、熱気に押されるような感覚。やっとぎこちなくお辞儀をした。
 心臓はまだ踊っている。どうしよう。クララは父親の姿を探した。すると、座席の向こうの出入り口に見覚えある女性が立っていることに気が付いた。クララの緊張は一気にほどけ、弾けるような笑顔になった。お母さんだ。わざわざ来てくれた。彼女はクララの視線を受け取るように、うなずいてくれた気がした。
 クララは、ピアノの椅子に座り姿勢を決めた。お母さんが大好きなモーツァルトの変ホ長調のピアノ協奏曲。きっと上手に弾ける。褒めてもらえるように、頑張らなくちゃ。指揮者を兼ねているヴァイオリニストに視線を送った。彼は弓を高く振り上げると、弦と菅のハーモニーがいっぱいに広がった。第一主題に呼応するように、クララのピアノが合流した。申し分のない堂々たるソリストぶりだ。
 ヴィークは最前列の一番端で見守っていた。演奏直前の娘の緊張ぶりに、内心は大慌てだった。本人には知らせていないが、ベルリンやドレースデンから著名な音楽評論家が来ていたのである。クララは弾き始めさえすれば、ものすごい集中力を見せる。いつものクララ。いや、いつも以上のクララだ。観客は、華奢な腕と小さな手にくぎ付けだった。
 変ホ長調の協奏曲の第3楽章すべて終わると、大きな拍手が湧きおこった。全員席を立ち、新しいピアニストのデビューを讃えた。クララは、また元の内気な少女に戻って、ぎこちなくお辞儀をするのだった。
 一息つくと、母の姿を探した。しかし、クララは人々に囲まれてしまって、身動きがとれない。ついに見つけることはできなかった。

 自宅に戻ってから、クララは上機嫌の父親にたずねた。
「お母さん来ていたの?」
 彼は驚いて娘を見つめた。まさか、ベルリンに住んでいる母親が? 再婚した夫との間に生まれた子は、まだ幼いのに。
「いや、来ていないはずだ」
「でもお母さんを見たの。緊張してドキドキしてどうしようかと思ったら、入口のほうにお母さんがいたの」
 しばらく、父は黙って考えていた。
「それは……きっと音楽の女神様だよ、クララ」


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