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吉岡幸一さん

性別 男性
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雨つぶ

19/02/13 コンテスト(テーマ):第165回 時空モノガタリ文学賞 【 弾ける 】 コメント:1件 吉岡幸一 閲覧数:284

時空モノガタリからの選評

なんらかの病気療養中であろう主人公を取り巻く、平凡な美しさと静けさに満ちた雨の日常を描いた文章にとても癒されました。オチをつけるばかりが小説ではないのだなあと、感じさせられました。視覚的な情景だけではなく弾ける雨音や湿気を帯びた匂いを含む澄んだ景色など、五感を刺激するような要素が揃っているのが良いと思います。雨水は身体的にも心理的にも人間や動物にとって欠かせないものですが、その生命力は彼女の中に秘められたそれとも重なります。今は小さな雨粒であってもいずれはバケツいっぱいに水を湛えていくように、彼女も快方へ向かうのだろうという希望が持てました。猫や隣人の老人のキャラクターも愛らしいですね。

時空モノガタリK

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 午後になってようやく雨があがった。三日間降り続いた雨は大気を浄化し梅の香りにも色をつけている。空たかく舞うやせたトビの姿もはっきりとして、木の葉をはこぶ風にも影が写るようだった。
 軒下から雨粒が一滴一滴間を開けながら落ちていた。ブリキ製のバケツの底に雨粒はぶつかっては弾けている。耳を澄ませても聞き取れないほどの透明な音をたて、小さな一滴をさらに小さく何滴も扇状にわけてバケツの底にひろがっていた。雨粒が増えればバケツに雨がたまり、雨粒も弾けることなく混ざっていくことだろう。それまでにはあと何滴の雨粒が必要なのだろうか。
 幸恵は縁側に腰をかけ落ちてくる雨粒をながめていた。太陽のひかりは柔らかく日だまりのなかにいると心地よい。
 築五十年の中古住宅を購入してこの田舎町に引っ越してきてから二年が過ぎていた。これといって何も起こらない田舎での暮らで、幸恵はやっと心の平安と安らぎを保つことができた。夫は片道二時間かけて都会の会社に通勤している。疲れているはずなのに疲れた顔をみせることもなく、幸恵に寄り添ってくれている。申し訳ないと思いながらもどうすることもできない。幸恵には静けさが必要だし、夫と離れて暮らすこともできそうになかった。愛しているという甘い言葉ではなく、もっと切実な感情が幸恵の心を縛っていた。
 雨粒をながめていると、石垣の向こう側から山中さんが竹で編んだ笊に金目鯛を一匹いれてやってきた。高齢のためか腰がまがっていて歩く速度もおそい。
「雨があがりましたな。これはうちの舟でとれたものでしてな。よかったら食べてくだされ。あまいと思いますぞ」
 山中さんは皺だらけの顔をさらに皺だらけにしながら言った。
「ありがとうございます」
 幸恵は受け取った金目鯛を笊ごと横に置くと、目をそらしながらわずかに頭をさげた。
「どうですかな。ご病気のほうは」
 山中さんは縁側の少しはなれた場所に腰をおろすと、さりげなく聞いてきた。
「ええ、まあ、落ち着いています」
「ゆっくり静養されるといい。たくさん食べてぐっすり眠って、畑仕事でもすればすぐに元気になりますよ」
 幸恵がどういった病気にかかっているのか山中さんは知らない。そのことを問いただすこともなく、三日に一度はやってきて一言二言話しては帰っていく。
「心配をおかけして申し訳ありません」
「いや、なになに」と、山中さんは答えると、バケツの側までいって底をのぞき込んだ。「雨つぶをためなさっているのかね。これじゃ、まだまだ雨つぶはたまりそうにはないのう」
「そうですね。まだまだ雨つぶはたまりません。でももう少したてば、バケツの底に雨がたまり落ちても弾けなくなります」
 ふほほっ、と山中さんは愉快そうに笑った。
 山中さんが腰を曲げながらゆっくりとした足取りで帰っていったあと、あかい金目鯛だけが目を見開いたまま残っている。幸恵は金目鯛から目をそらせ、時間のたつのも忘れて、ぼんやりとしたたり落ちる雨粒を見つめていた。
 いつの間にか老いた猫が庭に入ってきていた。最近毎日のようにやって来ては、甘えたように鳴きながら餌をせびってくる。泥がつき汚れた毛並みをみれば野良猫だとわかる。野良猫だが、警戒心は薄いようで幸恵が近くにいても逃げることはなかった。
「雨が降った日は、あなたは来ないのね」
 幸恵は三日ぶりにみる猫に話しかけた。雨の日、餌はどうしているのか。そんなことを気にかけながらみていると、足もとにきた猫はにゅうにゅうと鳴いた。
 きっと金目鯛のにおいを嗅ぎつけてきたのだろう。幸恵は両手で猫をだきあげて縁側にのせた。すると猫はすぐに金目鯛の前までいって口にくわえた。
 そのまま咥えて逃げるのかと思えば、幸恵のすぐ横まで運んできてそっと置いた。
「わたしに食べろって言っているの」
 不思議そうに尋ねると、猫はにゅうにゅうと鳴くだけだったので、どうしてほしいのか幸恵にはわからなかった。
 突然、猫が腿のうえにとび乗ってきた。これまで近づいてくることはあっても、腿のうえに自ら乗ってきたことはない。
「あらあら……」
 幸恵はおそるおそる猫の背中をなでた。泥がついてごわごわとした毛並み。腿のうえに猫の鼓動がひびいてくる。すこし湿っているがあたたかい。
「あとで、食べやすいように切り身にしてあげるね」
 幸恵の言葉が通じたのか猫はまたにゅうにゅうと鳴くと、腿から飛びおりて軒下から落ちてくる雨粒にむかって歩いていった。雨粒をすくうように舌をだし、上下にまるめるように舌を動かしながら雨粒を飲みはじめた。ときどき雨粒は舌からはずれ、猫の額にぶつかってちいさく弾けた。
 猫の額で雨粒が弾けるたびに、幸恵はしずかにほほ笑んだ。午後のひかりが猫と幸恵のからだをやわらかく包みこんでいた。日はまだ暮れそうになかった。


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このストーリーに関するコメント

19/02/14 雪野 降太

拝読しました。
面白かったです。雨上がりの庭先を丁寧かつ静かに描写された巧みさに唸りました。雨垂れが溜まることに意義を求めるように、じっとみつめる主人公。その思いを知ってか知らずか、闖入する野良猫。『猫の額』に暗示されるかのように、小さな世界で起きる突発的な出来事も、どこか滑稽に思えてきます。
読ませていただいてありがとうございました。

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