1. トップページ
  2. 僕は棒高跳びの選手だった

青苔さん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

僕は棒高跳びの選手だった

19/01/21 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:1件 青苔 閲覧数:101

この作品を評価する

 呼吸を整え、左足を一歩前へ。何度かその場で足踏みをして、最適な位置とタイミングを計る。
 手に馴染んだ長いポールを両手で握りなおし、バランスを確かめる。走るのに邪魔にならないよう、ポールの先は斜め上に向いている。
 視線はまっすぐ前を見据える。他の何も目に入らないくらいに集中力を高める。
 そしてイメージする。空高く跳びあがる、自分自身の姿を。

 僕は棒高跳びの選手だった。
 そして、怪我をして棒高跳びをやめた。いや、怪我をしたからではない。僕は怖くなって逃げだしたのだ。跳べなくなった、と言っても良い。跳べなくなった僕を、気分転換だと言って連れ出してくれた人がいて、僕はその好意に甘えて、逃げた。
 しかし僕は今、再び跳ぼうとしている。
 切実に、跳びたい、と思っている。
 大会でもない、観客もいない、この場所で僕はもう一度、跳ぼうとしている。

 大切なのはイメージ、そしてリズムだと思っている。
 声には出さず、頭の中だけでリズムをとる。すると、胸の奥底から次第に高揚した気分が湧いてくる。
 目の前には五メートルの高さに設定したバーがある。とても高く感じるけれども、今なら跳べる気がする。跳べる気がしなければ、きっと跳べない。

 怪我をしたのは偶然だったけれども、逃げ出したのは必然だった。
 いや、怪我をしたのは、トレーニングが不足していたからだし、基本の動作を体に染み込ませきれなかったせいだし、それは偶然などではなく、そうなるべくしてなったのだ。
 そして怪我をした恐怖を克服できずに逃げ出したのは、人間としての本能であり、意志以前の問題であり、どうすることもできなかったという点では、不運な偶然が重なったとも言える。
 しかし、いずれにしても、跳べる自分をイメージできなくなったという事実は変わらない。

 完全にイメージが確立したところで、足を前へ踏み出し、走り始める。
 踏み込むまでの距離は五十メートル前後。徐々に加速していき、バーへ近付いていく。
 ポールを持つバランスはしっくりしている。助走を妨げずに、きちんと手の中にある。
 足首から太ももへかけての筋肉の動きも好調だ。不自然な力みはどこにもない。速度に乗れる。僕は跳べる。

 一度逃げ出した僕が再び跳ぼうと思ったのは、彼と出会ったからだ。
 前へ進むことを躊躇していた彼に、壁は乗り越えられると伝えたかったのかもしれない。空は手の届かない遠くにあるのではなく、彼の背中にも翼はあるのだと。そして、それは僕の背中にも。
 彼は跳べなくなった僕と出会い、僕に人生のイロハを教えてくれた。仲間は何より大切なこと、自分の身の守り方、傷の治し方。彼といると、自分がいかに温室育ちで、無知であるかを思い知らされた。
 彼は本当に聡明で勇敢だった。そんな彼だったけれど、自分はどこにも行けないと信じていた。だから僕は、そうではないことを伝えたかった。
 彼は自由なのだ。望む場所、どこにでも行ける。

 じゅうぶんに加速したところで、銀色のボックスにポールの先を引っ掛ける。
 ポールは柔らかくしなり、僕は加速したまま跳び上がる。ポールが僕をさらに高く持ち上げる。地面がどんどん遠くなり、空がどんどん近くなる。
 あんなに高いと思っていたバーがもう目の前にある。

 今思うと、本当は、彼に僕自身を重ねていたのかもしれない。
 どこにも行けないと信じていたのは僕も同じだった。怪我をしたのはきっかけにしかすぎない。もっと前から、僕は怖かったのだ。
 思い通りの跳躍ができないこと、期待に応えられないこと、試合でミスをすること。失望されること。
 僕は凡庸な人間だから。その言葉を隠れ蓑に、何もかもをあきらめて、今の自分に満足しているふりをした。
 本当に憶病だったのは、僕のほうなのだ。

 僕は勢いのついたまま、身体を反転させて、バーを跳び越える。
 ポールが僕の手を離れて倒れていく。
 僕は今、地面から五メートルの場所にいる。一人きりで宙に浮いているようだ。支えてくれるものも、寄りかかるものもない、ただ一人の空間。
 空が近くに感じられる。僕は自由だ。

 僕はただ自由になりたかった。どこへでも自由に飛んでいける鳥のようになりたかった。
 彼ほど聡明ではなくても、彼ほど勇敢ではなくても、彼が自由になれるなら、僕も自由になれると思った。
 彼は大切な友人で、僕に世界を教えてくれた人だ。そんな人が鳥籠の中にいていいはずがない。

 跳躍の頂点に達した後は、重力の法則にしたがい、地面へ落ちていくだけだ。落ちた先には分厚いマットがあり、僕の体を受け止めてくれる。
 空を見上げながら、空から次第に離れていく自分を意識する。
 そして、背中からマットに着地する。
 遠いはずの空が、少し近くなったような気がした。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

19/01/22 雪野 降太

拝読しました。
誰かのことを考えながらジャンプに挑む主人公の熱意が伝わる作品でした。
読ませていただいてありがとうございました。

ログイン