実さん

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田中

19/01/06 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:3件  閲覧数:78

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田中にはいつにもまして自信があった。この高さから飛び降りれば生きる見込みはない。いままで何度も自殺未遂を試みては失敗を繰り返し、首の皮一枚で生きてこられた。実際には死にきれるだけの度胸がなかっただけなのだが、彼のとってみればそんな事実はお構い無し、自殺を試みたということ自体が勲章なのであった。
なのしろ生まれてからこのかた母以外に人に誉められたという経験がなく、才能がなく、努力する気力さえなかったので彼はただ闇雲に生きているから生きている限りで、積極的に生を謳歌しようなどとは少しも思うことはしなかった。
母が死んでからというものその兆候はよりいっそう強くなった。信心深い母はいつもお参りする際田中が強く生きられるようにと願っていたが、悲しくもその願いが叶うことはなかった。
「まだ俺は生きているのか」
と、首に輪をかけたはいいものの、枝のしなりを考えれば十分に死ねる高さにない首吊りを行い、もしくは手首に刃を突き立ててみるものの、痛みを感じなければいけないという恐れから結局は諦めてしまう。
そうした刹那彼の行うことと言えばネットに自殺をするという書き込みを行い、あるいは自殺未遂から奇跡的に生還してしまったのだと嘘八百を並べ、そうすることによって自らのことも欺いてしまうのだ。
彼のなかでは自分は太宰治と同等の自殺志願者ではあったが、周囲の人間から見れば分不相応な風変わりな人間でしかなかった。
そんなある時彼は興味深い記事に出くわしてしまう。それは靴をネックレスにして首にかけ二十階の高さから飛び降りれば天国に行けるというものだった。まともな神経をしている人間からすればそのような記事は噴飯もののトンデモ記事なのだが、田中にとっては死への新しい可能性を開く救いをもたらす記事だった。
田中は早速靴を買い込むと桐でひとつひとつ穴を開け糸を通す。サイトには靴を何個数珠繋ぎにして飛び降りればいいか書いていなかったが、たくさん吊るせば効果が高いだろうと田中は踏んだ。
五足の靴をぶら下げてみたが思いの外重かったので四足に変更する。残り一足は手にでもはめていればいいのだ。
最期の装いを完成させると田中は都内をタクシーで探索しある程度のビルに目星をつける。二十階以上あれば申し分はないのであるが、全面ガラス張りであったり立ち入り禁止であれば自殺は不可能なのだ。田中は慎重に選ぶと新宿にある○×ビルから飛び降りることに決める。
決行の日の朝はよく晴れていた。カラスがよく鳴いていたのが印象的だったが田中にはもう関係のないことだった。死んでしまえばもうこの世には存在しなくなり、すべてとの関係が断ち切られてしまうのだ。空の色や花の香りも、父や母や数少ない友人、社会やあるいはこの世の醜い側面をすら死すれば一切知覚できなくなってしまう。
田中は目的の二十階の非常階段の踊り場までたどり着くと履いていた靴を脱いできれいにそろえておく。これでもうなにもこの世に未練はない。
そう思い手すりに手首をかけようとすると手にはめた靴が邪魔で思いの外おぼつかない。片足ずつ慎重に手すりを跨いでから試しに下を見やるつもりだった。しかしバランスを崩した田中は手すりを掴むことさえできずそのまま落ちてしまい、気づいたときには地面が刻一刻と近づいている。
これで天国に行けるはずだったが本当に死を前にすると田中にはただただ後悔と恐怖しかやってこないのであった。
「あぁ…、俺は本当は死にたくはなかったんだ」
気づいた時にはもう遅い。地面に激突する時にはどれ程の衝撃や痛みや苦しみがあるのだろう、死んだら本当はどこへ行くのかなどと考えていると地面はやって来て、そして田中は着地した。
ふと上を見やると首にかけていたはずの靴のネックレスは二十階の鉄格子に引っ掛かったままでぶら下がっていた。田中はすたすたと歩き始めるともうこんなことはやるまいと心に決める。俺は本当は死にたいんじゃなく生きたかったんだ、それがわかっただけでも儲けもんだ。
田中の靴のネックレスは今でも回収されることなく二十階に残ったまま風に揺られている。それがなぜだかはわからないが、もしかすると他の人間にはそれが見えないのかもしれない。田中はそんなことを思いながら再び社会の中へと闇雲に溶け込んでいく。


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このストーリーに関するコメント

19/01/13 入戸月づきし

拝読しました。
『靴をネックレスにして首にかけ二十階の高さから飛び降』りるという奇行に走らずにはいられない。そんな主人公の追い詰められた雰囲気が淡々と羅列されているところが印象的でした。
読ませていただいてありがとうございました。

19/01/13 

>入戸月づきし
コメントありがとうございます。
書評参考にさせて頂きます。大変助かります。

19/01/13 W・アーム・スープレックス

独特の文章の流れに味わいがあり、ラストまでよどみなく読み切ることができました。ただ些末なことをいえば、、私もそうなのでえらそうなことはいえないのですが、言葉遣いにまちがいがみられ、そういう点に注意されるようになればもっと、魅力がましてくるとおもいました。

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