1. トップページ
  2. 月への行き方

micchoさん

「世の中はつまらない小説で溢れている」 「こんな小説なんかより俺の方が数段面白いものが書ける」 小説を書き始めるまではそう思っていました。 まずは全作家の皆さんに土下座して謝りたいです。 あなた方は偉大です。 ふとしたきっかけで小説を書き始めて早半年、 アイデアの乏しさ、ボキャブラリーの貧困さを日々痛感ながら、こうして駄文を量産している次第です。

性別 男性
将来の夢 小説でもプログラムでも、とにかく良いものを生み出したいと思っています。
座右の銘 名誉を愛するものは自分の幸福は他人の中にあると思い、享楽を愛するものは自分の感情の中にあると思うが、ものの分かった人間は自分の行動の中にあると思うのである。

投稿済みの作品

0

月への行き方

19/01/05 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:1件 miccho 閲覧数:223

この作品を評価する

 ヘルメットの中の乾いた呼吸音だけが、一定のリズムで鼓膜をかすかに震わせている。服というよりは装置と呼んだ方がふさわしい大層な代物を身に着けているはずだが、想像していた以上の浮遊感があり、心が踊った。歩くたびに、あとを追いかけるように灰色の足跡が刻まれていった。 
「ユウ、どうだ、初めての月面着陸は」
 ヘッドセットに内蔵された通信機からクルーの耳慣れた声が届いた。
(兄貴も俺のこと『ユウ』って呼んでたな)
 翔平のことを思い出す。
「俺の名前は『侑斗(ゆうと)』なの! たった三文字しかないのに、省略するなよ、このせっかち兄貴」
「体操選手の寿命は短いんだ。お前の『斗』になんぞに構っている暇はない」
(それでよく喧嘩したっけ)
 侑斗はそのまま静かに瞳を閉じた。

---

 有名な体操選手だった父の影響で、侑斗と翔平は砂場デビューよりも早く鉄棒デビューをした。物心ついたときから、父の主催する体操教室が二人の遊び場だった。
 もっとも、父の遺伝子を受け継いでいるのは翔平の方だけだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。翔平が体操を始めて一週間でバク転を披露したときには、「二世の誕生だ」と家族中が色めき立っていた。当然父は、物覚えの悪い二歳年下の侑斗ばかりを叱った。
 それでも、体操教室を休んだことはなかった。練習場が、侑斗にとって一番の特等席だったからだ。鉄棒で身体をひねらせながら着地を決める翔平の姿は、いつも美しかった。
 『侑』の漢字が好きだった。『人偏』は侑斗で、『有』は月の上で飛んでいる翔平に思えた。まるで翔平のジャンプを、侑斗が隣で見ているみたいだと思った。翔平の飛んでいる姿はいつも軽やかで、眩しかった。

 その日は満月のきれいな夜だった。父は翔平につきっきりで、鉄棒の高難易度の技を教えていた。小学校最後の大会に向けた練習だった。侑斗は、ひとりぼっちの倒立の練習に疲れると、練習場の窓から月を眺めていた。
「月まで行けばバク転だってできるのかな」
 ふと言葉が漏れた。このところ、ぼんやりと月を眺めることが増えた。
「なんだよ、ユウ、宇宙飛行士にでもなるのか」
 振り返ると、汗だくで顔を紅潮させた翔平が立っていた。休憩がてら、様子を見に来たのだろうか。
「兄ちゃんみたいに運動神経良くないし、僕には無理だよ」
 少しの沈黙のあと、吐き捨てるようにそう言った。翔平はすぐには応えず、先程侑斗が眺めていた窓の方に視線を移した。
「それなら、俺が先に月に行っちまうぞ」
「なに言ってんだよ。兄ちゃんは体操選手になるんだろ」
 先程より大きな声が出た。
「ユウ、宇宙船なんかなくたって、月に行けるんだぜ」
 白い歯を見せながらそう言う翔平の瞳は澄んでいて、遠く月まで見通しているようだった。
「そんなの無理だよ」
 口を尖らせる。翔平は目を細めると、無理やり侑斗の手を引いて、鉄棒の前で立ち止まった。
「よく見てろよ」
 鉄棒の懸垂振動技を始めた。順手、逆手、また順手。持ち手を組み替える度に、鉄棒のしなりが増していく。どういうことだろう、と侑斗は思った。いつもより鉄棒の軋みが大きいのだ。その音が不気味で、侑斗は身震いをした。

 次の瞬間だった。翔平はさらに勢いをつけると、素早く両手を離した。
 侑斗は息を呑んだ。空中で美しく弧を描く翔平の白くて細い線。その瞬間は連続した静止画のように、侑斗の網膜に鮮やかに焼き付いた。まばたきをしたら消えてしまうような気がして、侑斗はかっと目を見開いた。自分の周りだけ時が止まったみたいに、侑斗はその場から動くことができなかった。

 一瞬の後であったか、何分も後のことであったか、侑斗は覚えていない。気がつけば、周囲の悲鳴がやけにうるさかった。翔平が侑斗に見せたのは、空中で二度も宙返りをする、まだ成功したことの無い大技だった。着地のタイミングをまだ掴めていなかったのだろう。先に地面に着いたのは、両足とは正反対の場所だった。
「お前にはまだ早いと言ったのに……」
 ぐったりと横たわる翔平の傍で、父が口惜しそうに呟いた。
 翔平は、月よりももっと遠いところへ旅立ってしまった。

---

 侑斗は目を開いた。世界は静寂だった。目一杯膝を曲げると、その体勢から思いっきり地面を蹴り上げた。身体はあっという間に地表を離れて、地面の小石はずっと小さくなっていった。
(兄貴はいつも、こんな風に景色を見ていたのかな)
 遠くの方に、クレーターがあるのが見えた。
(ああ、兄貴は、本当に月に来ていたんだ)
 その体勢から宙返りをしてみた。逆さまの景色は、どこか歪で、それでいてとても幻想的な世界だった。
(あんな昔に月に来ていたなんて、本当にせっかちな兄貴だな)
 侑斗は二本の足で、乾いた地面を力強く踏みしめた。


(終)


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

19/01/11 雪野 降太

拝読しました。
兄と比較され、叱られながらも捻くれることなく、兄に憧れ続けることができた主人公の強い思いが伝わってくる作品でした。
読ませていただいてありがとうございました。

ログイン