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吉岡幸一さん

性別 男性
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飛び降りて、飛び上がり、着地する

19/01/03 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:1件 吉岡幸一 閲覧数:69

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 女は今まさに超高層ビルの屋上から飛び降りようとしていた。
 ビルの屋上には強い風が吹いていた。女は靴を脱いでビルの端に立っている。足が震え、手に力がはいらなかった。
 霧と雲に覆われて地上は見ることができなかった。下がどうなっているのかわからない。きっとビルの下だからコンクリートの地面があるだろう。打ち付けられれば死に損なうなんてことはないはずだ。ここから飛び降りれば確実に死ぬことができる。
「おい、こんなところで何をしているんだ」
 発見した警備員が女に向って声をなげた。
「飛び降りるのよ。決まっているでしょう」
「死んでしまうぞ。死にたいのか」
「そうよ、死にたいのよ。私なんて生きていたってしょうがないの」
「なにがあったんだ」
「婚約していた彼氏に浮気されたうえにふられてしまったのよ」
「ちょっと待ってくれ」
 そう言うと、警備員は帽子を手で押さえながら女の前までやってきた。
「引き留めたって無駄よ。私のかたい決意はどんな言葉にだって揺らぐことはないんだからね」
「そうじゃない。僕も一緒に飛び降りようと思って……」
「からかっているの。一緒に飛び降りたいだなんて。引き留めるのがあなたの仕事じゃないの」
「実は僕も飛び降りたくてここに来たんだ。会社の上司の借金の連帯保証人になったんだけど、その上司が行方をくらませて僕がその借金を全額返さなければならなくなったんだ。返せるあてもなくって」
「あなたも私と同じで信じている人に裏切られてしまったのね」
「ああ、生きていたって虚しいだけだ」
「いいわよ、ここから一緒に飛び降りましょう。あの世に行きましょう」
 女と警備員は手をつないでビルのふちに立った。女は帽子の下に隠された警備員の顔をのぞいた。三十歳くらい、同じ歳くらいだろうか。黒い肌、クルミのような瞳、細い唇、鼓動が早くなってくる。
「あなたは独身ですか」
「そうですよ。なんですか。いまから飛び降りようというときに」
「彼女はいますか」
「いませんよ。いたら死ぬことなんか考えたりしませんよ」
「私も独身で、彼氏がいないんです」
「わかっていますよ。婚約者に浮気されてふられたんでしょう」
「ええ、だから……」
 女が何かを答えようとしたとき、強い風が背中を押した。こらえきれず、ふたりはビルの下へ落下していった。意識的に飛び降りたのではないが結果は同じだ。
 霧を引き裂き、雲を吹き飛ばし、手をつないだまま落ちていった。ビルの硝子の壁面が流れていく。次第に都市の景色ははっきりとしてくる。
「死にたくない。だって……」
 女は必死に警備員に抱きつくが、時すでにおそし。ふたりは真っ直ぐに地上に向って落下していった。

 ちょうどそのとき超高層ビルの真下の広場ではトランポリン大会が開かれていた。大勢の選手が華麗にトランポリンの上で撥ねたり回転をしたりして見事さを競っていた。
 色とりどりの三角旗が会場を飾り、大勢の観客の黄色い声援がビルとビルの間にこだましていた。
 運がよかったというべきか。悪かったというべきか。落下してきたふたりは偶然トランポリンの真上に落ちた。選手がたまたま乗っていなかったことは運がよかったと言ってもいいだろう。白いベッドの中心、ジャンピングゾーンに両足をついた。
 突然、女と警備員が抱き合って落ちてきたのを観客はショーと勘違いしたようだった。悲鳴に似た歓声と絶え間ない拍手が混じりあった。観客は大喜びだった。
 勢いがあり過ぎたせいか、ふたりが地上に留まった時間は一瞬だった。強力なスプリングの力を受けて、垂直に飛び上がってしまった。上へ上へ、まっすぐにのぼり、雲を裂き、霧を抜けて地上の観客から姿を消した。
 飛び降りたはずが、飛び上がり、気がつくとふたりは抱き合ったまま元いたビルの屋上のふちに立っていた。
「死ねなかったな」
 警備員はしがみつく女を体から引きはがしながら言った。
「助かったのね」
 女は両目から涙を流しながら答えた。
「どうする。もう一回飛び降りようか」
「待って、その前にあなたが代わりに返す借金の額を教えて」
 女の質問の意図がわからなかったが、男はいまさら隠すことでもないので正直に答えた。
「ねえ、そのくらいの額なら私が立替えてあげてもいいんだけど。その代り……」
 警備員はこの時になってはじめて女の顔を見た。丸い瞳、赤い頬、小さな唇、栗色の長い髪。警備員の鼓動が早くなってくる。
「ありがとう。きっと返すから」
 警備員は頬を赤め照れながら答えた。
 ふたりがきつく抱き合ったそのとき、強い風が吹いた。足元がぐらつき、ふたりはまたビルの下へと落下していった。
 トランポリン大会はまだ開かれているだろうか。ふたたびこのビルの屋上に着地できることをふたりは心の底から祈っていた。


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このストーリーに関するコメント

19/01/07 入戸月づきし

拝読しました。
面白かったです。落下した先にトランポリンがある、というのは墜落ジョークの定番のような設定ですが、ピンボールのように落ちたり、跳ねたり、落ちたりを繰り返す登場人物達がおかしかったです。着地、の捉え方が個性的だと感じました。
読ませていただいてありがとうございました。

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