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マサフトさん

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深淵への旅

18/12/31 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:2件 マサフト 閲覧数:196

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“これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である”

沈みゆく中ふと頭に浮かんだのは、世界一有名な宇宙飛行士の歴史的名言だった。当時の彼の状況と今の私の状況は似ている。確かに似ている。私が小さな一歩を踏み出すことは許されないことを除いては。

忌々しいほどに狭苦しい座席に縮こまって座り、うなだれるように眼前の丸窓と計器類を交互に凝視する。沈みゆく為、そして私の命を繋ぐ為の機械類さま達に囲まれて、それらに説教されるがごとくの体勢がもう数時間と続いている。あと何時間続くのだろうか。腰と臀部が痛くなってきた。
先は長い。とても長い。そしてそれと同じだけの時間を帰り道に費やさなければならないのだ。だからと言って居眠りしたり、ダラけたりはできない。常に死と隣り合わせの緊張状態が続くのだ。

窓。たったひとつあるこの小さいが分厚い窓が、ひとたび割れたのならば私の運命は決している。あらがう間も無く即死することは明白であった。窓にクラックが入った状態で生還した例もあるにはあるらしいが、アテにはならない。
万が一窓が割れたとして、死んでしまうこと自体はまだ良い。覚悟は決めているし遺書も残してある。
だが真に恐ろしいのは踏みつけたアルミ缶の様に潰された私の死体が、恐らくは回収されない、いや、回収不可能である事だ。
それ程の地獄が窓の外には無限に広がっている。この冷たい暗闇に独りぼっちで永遠に彷徨う姿を想像して、背筋がすこし震えた。

闇。窓の外の無限の地獄は音も光も無いまったきの闇。星月の光はおろか太陽の光も暖かさも届きはしない、凍てついた闇。機械さまが発する音と光が無くば、この数時間で私は容易に発狂していただろう。その光さえも数メートル先を心もとなく照らすのみ。
時おり恐ろしい姿をした手足の無い生物が窓の前を横切り、その身体のサイズと釣り合いの取れない異様に大きい、白濁したレンズの様な目が私を睨むことが何度かあったが、しだいにそれも無くなった。太陽の光から離れれば離れるほど、生き物の影、生命の営みは静まり返り、虚無は増してゆく。
私は自ら望み、覚悟を決めてこの場に挑んだが、それでもやはり不安と心細さが鎌首をもたげる。鼓動が速くなり、息が詰まる。

不意に、窓の外を雪が降っているのが見えた。ライトに照らされ、チラチラと白い輝きを放っている。美しくも妖艶で、幻覚の様な粉雪。
小さな子供の頃、サンタクロースの存在を信じてやまなかった頃、本物のサンタクロースの姿をひとめ見ようと夜中まで起きていたクリスマスイブの夜のことを思い出す。

腰くらいの高さの窓枠に頬杖をつきながらぼんやりと夜空を眺め、サンタクロースが今に家に来ないかと眠い目をこすりながら待っていると、雪が降り出したのだ。
窓の外の暗闇に、部屋から漏れる僅かな光が反射して輝きながら降り注いでいた。子供の私は雪が美しいと思うことよりも、専ら雪のせいでサンタクロースが家に来られなくなってしまうのではないかとばかり心配していた。
やがて母親が、窓の近くにいて体が冷えてしまったでしょうと言って、生姜の入った紅茶を持ってきてくれた。少し苦かったが、その温かさは今でも覚えている。そして気が付いたら眠っており、朝起きると枕元には既にプレゼントが置かれていた。

思いがけず甘く温かい記憶が蘇ったが、ここは「冷徹」「冷酷」をそのまま具現化したような世界であることに変わりはない。
窓際で体が冷えていても生姜入りの紅茶は出てこないし、窓の外の雪は雪ではない。それらは雪の様に見える死骸なのだ。生き物がその生命活動を止め、魂の抜けた抜け殻が、数億、数十億と降り注いでいる光景なのだ。
さながら私はソリに乗ったサンタクロースだ。ソリを牽くのは赤鼻のトナカイではなくて鉄のエンジンだが。そしてサンタクロースのソリは空を飛ぶが、私のソリは沈みゆくのみ。

私はこの空虚で幻想的な無間地獄をゆっくりと、ゆっくりと、適応する様に降下して行く。底を求めて。着地点を求めて。

ここは深海10,000メートル。
384,400,000メートル離れた月面よりも遠い場所。
これは人類にとっては偉大な沈下だが、一人の人間にとっての小さな一歩すら許されない。

海の底の更に底。着地点は、まだ見えない。


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このストーリーに関するコメント

19/01/06 雪野 降太

拝読しました。
個人的に「しんかい6500」のドキュメンタリーが好きなので楽しく読ませていただきました。「しんかい12000」もかたちになると良いですね。
御作の潜水調査船は何人乗り設定なのかわかりませんでしたが、深く思考する主人公のみが描かれたことで大変窮屈な船内を想像できました。
読ませていただいてありがとうございました。

19/01/21 マサフト

入戸月づきし 様

閲覧・コメント ありがとうございます。

作中の潜水艦は1人乗りです。主人公を孤独と不安感に煽るためです。

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