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クナリさん

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性別
将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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マイスター・カフェを探して

18/12/25 コンテスト(テーマ):第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】 コメント:0件 クナリ 閲覧数:105

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 君、すまんが冷蔵庫を開けてくれ。
 チョコレートはある。
 コーヒーは?
 もういらないか?

 冬の雨が降る午後四時、田舎道の傍らで、カギフリュー・カフェには準備中の札がかかっていた。
 若い店員のピナーダは、ドアがノックされる音を聞く。
「準備中です」
「何の準備中ですかね」
 入ってきたのは、異様な男だった。子供のような背丈にスーツを着て、大きな頭で、顔だけは老人のよう。耳はとがり、毛髪が一本もなく、厚ぼったい瞼。
「店員さん、ああ、」
「ピナーダです」
「ピナーダさん。オーナーのビオリ老の葬儀は昨日でしたね」
「そうです。店は僕に任されました」
「一人で?」
「十六の頃から、十年もこの店にいます。全てビオリから受け継ぎました」
「では、マイスター・カフェを」
 ピナーダは歯ぎしりをした。
「当店はカギフリュー・カフェです。その名前のコーヒーもありません」
「ご存知ない?」
 ピナーダの腹が、怒りでねじれそうになった。
「……知っています」
「では」
 ピナーダは、乾いた床を見ながら、強い口調で言った。
「帰れ、死神。足を濡らすのを忘れているぞ」

 雨は降り続いている。
「私が前にこの店に来たのは、十一年前です」
「聞いている。ビオリの妻を殺したな」
「病による寿命でした。ビオリ老が、私が奥方を殺めたと?」
「いいや。だが、お前を死神だと知っていた」
「そうです。そして、マイスター・カフェを振る舞ってくれた。あなたにはできない?」
「貴様に、」
「あなたがビオリの店を受け継いだかを判定できるのは、私だけです」
 ピナーダは逡巡した。しかしキッチンに入ると、湯を沸かしだした。
「僕は不良だった」
「この店に勤めだしてからはそうではなかった?」
「僕はビオリに拾われて、家というものを初めて知った。それまでにしたことを、……償える限りは償った。しかし当然、許してくれる人もいれば、そうでない人もいた」
 沸いた湯を、やかんに移す。
「この店の窓ガラスは、何度割られたのです?」
「二十回からは数えるのをやめたよ」
「でも新品に替えてある」
「ビオリが、何度割られても、修繕ではなく新品に」
 口の細いやかんから湯を落とし、ペーパードリップでコーヒーポットに抽出していく。
「ピナーダさん。バーのカウンターが、渡り鳥たちの一時の止まり木であるなら――」
 抽出を終えたピナーダが、トレイにカップをセットする。
「カフェは、鳥が降り立つも、獣は爪をたたむ、安息の地です」
「どうぞお客様」
 トレイには、深煎りのコーヒー、小皿にひとかけらのチョコレート、グラスに真水が乗っていた。
 小柄な客は、カップを手に取り、言う。
「マイスター・カフェとは、コーヒーの名前でも、店の名前でもなく、スタイル。そうコーヒーブックには載っています。読めば誰でも知れる。しかし本というのは厄介で、そう、誰でも読むことができる。口伝は、途絶の可能性をはらみながら、継ぐべき相手に継がれる。ビオリ老がそうしたように」
 コーヒーを一口。
「三位一体。単体では存在し得ない場所、見出されぬ幸福。あなたは翼をたたみ、牙を収め、この店に着地した。ビオリ老は幸いでした。あなたもまた、カップの中に魂を込めることができる人間だった」
 チョコレートを半分。
「もう一度伺います、ピナーダさん。何の準備中だったのですかね? その戸棚に隠してある、輪にしたロープを使って、何を?」
「……もうビオリがいない。ただ一人の家族が」
「ビオリ老も奥方を亡くされた時、そう言いました。しかしこの店を求める人がいた」
「ビオリをだ。誰も僕を求めてはいない」
「この店は流行りますよ。噂が流れます。この店に通うと、死から縁遠くなると。コーヒーを飲ませてやりなさい」
 客のカップが干された。チョコレートももうない。水を二口。
「私もね――」
 ナプキンで口を拭う。
「ここへ来るのはもの寂しい。人間の友人は偉大だ。長くお別れです」
 小さな客はコインをテーブルに置いて、ドアに向かった。
「待て。ビオリはお前が連れて行ったのだな?」
「そうです」
「彼は元気で?」
「当然」
「死んでいでも?」
「人は死にます。だから滅びない」
「お前が入ってきた時、僕も迎えに来たのかと」
「私も翼と牙を収める、ただの客です。ここではね」
 ドアが開いた。
「死神」
「ええ」
「マイスター・カフェはここにある」
「I’m full」
 雨がやんでいるのが見えた。
 ドアが閉じる。

 店員はロープを捨てて、冷蔵庫を開いた。
 チョコレートはまだある。
 チーズは切れていたかもしれない。
 何が欲しい?
 コーヒーは?
 もういらないか?

 いつの間にか、誰かの声がする。

 いいカフェがあるんだ、泣きたい日には来ないか?


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