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青苔さん

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ヒルベルト・ホテル

18/12/24 コンテスト(テーマ):第163回 時空モノガタリ文学賞 【 504号室 】 コメント:1件 青苔 閲覧数:230

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「……ここか」
 私は立ち止まって、目の前にある建物を見上げた。
 外観は巻貝のような形をしており、かなり大きい。だが、ここで間違いないはずだ。入り口の自動ドアの上部には、砂にまみれて読みにくくなっているが、確かに「ホテル」と書かれた看板が掛けられている。
 ホテルの周辺には何もない。ただ砂地だけが広がっている。時折風が砂を巻き上げるので、辺りの空気は妙に黄色っぽい。
 私は自分の歩いてきた道を振り返るが、一面の砂地だ。遠くに私の住む街が蜃気楼のように霞んで見える。
 自動ドアの前に立つと、予想に反してそれはなめらかに開いた。周りに何もないだけで、ホテル自体が寂れているわけではなさそうだ。
 ホテルのロビーは広々としており、向かって右手にカウンターがある。カウンターの中にはきっちりとスーツを着こなした壮年の男性が立っており、私に気が付くとにこやかに声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか」
 その聞き取りやすく落ち着いた低音の声に、私は少し臆してしまう。
「いや、……その、予約はしていないのだが、……しばらく滞在できる部屋を探していて、……ここなら空いているだろうと聞いてきたのだが……」
 しどろもどろになりながら、用件を伝える。
「本日は満室なのですが、部屋を空けることはできます」
「……満室なのに、……空けられる?」
 妙なことを言うホテルマンだ。
「はい。ここはヒルベルト・ホテルですから。どうぞ、そちらのソファにお掛けになってお待ちください」
 そう言って、ロビーに置かれたソファを指し示す。私はその言葉に従って、手近のソファに腰掛けた。彼はどこかへ電話をかけて、何かを指示しているようだった。
 そもそも私がこのホテルを訪れることになったのは、ある人の勧めに従ったからなのだ。ある人とは、私の担当編集者Pに他ならない。
 私は曲がりなりにも小説執筆を飯の種としており、今日までそれで何とかやって来ていたのだが、最近、スランプ気味なのだ。しかし締め切りは容赦なく迫ってくる。そこでPと話し合った結果、どこかのホテルに部屋を取り、環境を変えて執筆に励もう、ということになったのだ。
 とは言え、遠くまで出かけて行くのは億劫だし、時間ももったいない。なので、市内のホテルを、と思ったのだが、どこも満室で部屋を取ることができなかった。するとPはこう言った。
「ヒルベルト・ホテルなら、満室でも部屋を空けてくれるでしょう」
 そう、Pも妙なことを言っていた。単なる言い間違いかと思って特に追及もしなかったが、ここのホテルマンも同じようなことを言うとは。
 しばらくすると、ポーターらしき若い男が私の所へやって来た。
「お客様、お部屋のご準備ができました。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ。お荷物をお持ちいたします」
 荷物は小さなボストンバッグ一つだったが、それが仕事なのだろうと彼に手渡した。
 乗り込んだエレベーターは近代的な造りで、部屋番号を入力するとその部屋の前まで連れて行ってくれるらしい。
「さっき、……満室だったって聞いたんだけど」
 私は二人きりになったところで、先ほどの疑問について尋ねてみた。
「確かに満室でした。ですが、お客様のお部屋はお空けいたしましたのでご安心ください」
 よどみない説明に納得しそうになるが、疑問は解決されていない。
「空けられる……ものなのだろうか?」
「はい。ここはヒルベルト・ホテルです。無限室のお部屋がございます」
「無限……?」
「無限にお部屋がございますので、現在お泊りのお客様に、それぞれ隣のお部屋へお移り頂くのです。そうすれば部屋を空けることができます」
 こちらに背を向けていたポーターは、振り返ってにこりと微笑んだ。
「……そうすると私の部屋は、……一号室?」
「いえ、五〇四号室です」
 いよいよ訳が分からない。
「実は、お客様は本日十二人目のお客様でございまして、五〇四はトリボナッチ数列の十二番目に当たります。フィボナッチ数列を採用するところが多いのに、当ホテルではトリボナッチ数列で部屋番号を決めているのです。変わっているでしょう?」
 変わっていると言えばすべてが変わっている。しかしそういうものかと無理やり納得してしまえば、特におかしなこともないような気持ちになってくる。
 案内された部屋は広々としていて清潔で、なかなか居心地が良さそうだった。執筆するのに一番大切な書き物机も、シンプルだが大きくて、使い勝手が良さそうだ。
 窓の外には海が広がっており、カモメが数羽飛んでいる。しかしホテルの周囲は見渡す限りの砂地だったから、これは自動映像だろう。それにしても、本物みたいによくできた自動映像だ。この窓の前に書き物机を持って来るのも悪くない。
 ここでなら執筆がはかどりそうだ。


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このストーリーに関するコメント

19/01/03 雪野 降太

拝読しました。
『504』というコンテストテーマの数字を活かされようとされた姿勢に敬意を表したくコメントさせていただきます。
また、トリボナッチ、フィボナッチ、テトラナッチという言葉を知る機会を与えてくださってありがとうございます。
読ませていただいてありがとうございました。

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