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そらの珊瑚さん

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セピア色の『504号室』

18/12/24 コンテスト(テーマ):第163回 時空モノガタリ文学賞 【 504号室 】 コメント:2件 そらの珊瑚 閲覧数:194

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 神田神保町に祖母が営む「猫又古本店」がある。間口一間ほどの小さな店。一か月ほど前、転んだ祖母は大腿骨を骨折し入院。私が手伝うことなった。通っている大学も夏休みだったしバイトも兼ねてという軽い気持ちだった。朝、店を開け簡単に掃除を済ませると、あとはすることがない。客はびっくりするほど来ない。これじゃバイト代をもらうのは気が引けるなあ。店の奥のカウンターの椅子に座り、ガラス戸越しに道ゆく人々を見ていた。北向きの店は昼でも薄暗い。祖母の一日を想う。なんだか切なくなった。座りっぱなしで長い年月を過ごした祖母。八十歳という年齢もあるが骨がもろくなるはずだ。
「すみません」正午近くになって、今日初めての客がやってきた。中年のサラリーマン風の男だった。
「はい」
「『504号室』っていう小説を探してんだけど、この店にある?」
 この質問が一番困る。祖母の店の在庫管理は、実にアナログ。ランダムに記された在庫ノートを一ページずつめくって探すしかない。指一本で検索できるパソコンとは違い、とても面倒だ。
「調べてみますけど、時間がかかります」
「そう。じゃあ、もしあったら連絡くれる?」
 そう言って客はメモ用紙に電話番号と名前を書いた。
「はい。で、作者は誰ですか?」
「猫又仙吉という昔の人。確かこの店のあるじでもあったとか。きみ、アルバイト? じゃあ知らない、か」
 いいえ、知ってるとも。その人は私の祖父だ。猫又は私の苗字でもある。「あなたのおじいちゃんは小説家だったの。たった一冊しか世に残せなかったけど」祖母に会うたび聞かされた繰り言が蘇る。あれは本当だったのか。私が産まれるずっと前に亡くなったという祖父がぼんやりと実像を結んだ。店番の傍ら、このカウンターを机替わりにして、祖父は原稿用紙に向かっていたのかもしれない。
「聞いたことはあります」
「良かった。じゃあ、この店にあるかな。大昔に絶版になっちゃって発行部数も少なかったようでネットでも在庫がないんだ」
 ずいぶん奇特な人。
「そこまでしてなんでその本が欲しいのですか?」
 私のぶしつけな問いに、男は少し考えて
「人生を変えたくなった、からかな」
と答えた。
 『504号室』は店の一番奥の段ボールの中にたった一冊だけ眠っていた。そいつは読まれた形跡もなく新品のまま変色し、年をとってしまったという佇まいで、私に発見されたのだった。

 店を閉めた私は病院へ行き『504号室』を祖母に渡し、今日店に来た客の謎めいた言葉を伝えた。
「そういえばこの本を読んだ人は人生が変わるっていう噂が立ったことがあったわ。この本がある文学賞の最終候補になってね。結局受賞は出来なくて、授賞式のあった翌日、作者は心臓発作で急死した。悲劇の作家だといっとき脚光を浴びたこの。ほら、世間ってそういう物語が好きでしょう。生きているうちは人生を変えられなかった無名の作家の魂がその本に宿ってるとかなんとか、尾ひれがついたみたい」
「ねえ、読んだら本当に人生が変わるの?」
「知らないわ。だっておばあちゃん、この本読んでないもの」
「えー、なんで?」
 祖母はふっと息を吐き、空中に視線を泳がせたまま話し始めた。その瞳はここではないどこかを見つめているかのようだった。
「それは……私に読む資格がないからよ。おじいちゃんと結婚して住んだアパートが504号室だった。楽しかったのは最初だけ。薄い壁を通して両隣の音や声が聴こえるのが嫌だった。なのにあの人は壁に耳を押し付けて漏れてくる声を聴くようになった。背中を丸めてね。そしてそれを書いてたわ。私はそんなあの人を軽蔑した。で、小さな出版社に働きに出たの。お金もなかったしね。そしてそこの編集長と恋に落ちた。毎日背広を着てまっとうに働く姿がまぶしかった、とても。だけど長くは続かなかった。私は身ごもった。そう、あなたのお父さんよ。で、退職して別れた。相手にも家庭があったから。いよいよお金が無くなっておじいちゃんは古本屋を始めたの。おじいちゃんの実家は田舎の地主でね。お金を援助してもらったみたい」
「じゃあ、私のお父さんのお父さんはおじいちゃんではないの?」
「さあ……」
 おばあちゃんはとぼけたように笑った。年老いた皮膚の中にまだ生身の女がいる。その後完成した祖父の『504号室』は、かつて祖母が働いた出版社から世に出たらしい。祖母が売り込んだとしたら? 編集長には弱みがある。断れないだろう。
 ねえおじいちゃん、おばあちゃんの秘密に気づいていた? 気づいてなかった? それとも気づいていたけど気づいてないふりをしていたの?

 その後その本は私がバイト代として貰った。あの客が本当に人生を変えたいと願ったら本なしでも変えるはずだ。

 一ページ目をめくる。そこには「愛する妻に捧ぐ」と書かれてあった。


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このストーリーに関するコメント

18/12/28 霜月秋旻

そらの珊瑚さま、拝読しました。
人生を変える本と言われると、内容が気になって私もぜひ読んでみたいですね。もっとも主人公はその本がきっかけで自分のルーツを知ることになりましたが(笑)

19/01/04 そらの珊瑚

霜月秋介さん、ありがとうございます。
 
軽い気持ちで始めたことが、結果軽くはないことを知ることになっちゃいました。
祖父母や両親の人生の多くは、こどもといえども知らないことのほうが多いのかもしれません。

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