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母の病室

18/12/23 コンテスト(テーマ):第163回 時空モノガタリ文学賞 【 504号室 】 コメント:1件 悠真 閲覧数:175

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 5階の案内板を隅から隅まで確認した結果、その場に立ち尽くすしかなかった。
 そもそも病院の館内に一人で立ち入ることが初めての経験だった。見ず知らずの場所、見ず知らずの人達。私が最も苦手とする環境だ。
 それでも。
 私は携帯電話を取り出して通話履歴を呼び出す。数十分前の母親との通話。内容はまだしっかり頭に残っていて、母の声で再生できる。
 バイクとぶつかってして怪我をした。大きな怪我じゃないけど入院することになった。
 そういう内容だった。
 履歴は残っているのに母が教えてくれた病室、504号室が見つからないのだ。503号室から飛んで次は505号室となっている。実在する母が存在しない病室にいる。何が何だか現状がわからなくなって、私は一旦8階の食堂へ移動した。一度気持ちを立て直して状況を整理しようと思った。
 食堂は電話が許可されていたので母に電話してみるも応答なし。よくよく考えてみれば母も館内にいるのだから、基本的に電話はできない。とりあえず504号室なんてないことを伝えるメールを送っておいた。
 返信を待つ間に調べてみると確かに、病院では縁起が悪いので4号室を設けないことがあるらしい。ならば単なる母の連絡ミスということもある。いつまでも食堂でうだうだ考えていても仕方ないので、4階に降りて405号室をちらっと覗いてみた。けれど母の姿はなかったし、扉のプレートにも母の名前はなかった。
 他の人から変に思われたら嫌なので食堂に戻るのは気が引けて、しかし行くあてもなく、目的を見失ったまま階段で5階に上がり、あわよくば母の方から見つけてもらえるのを期待してぐるぐると館内を歩き回る。
 ふと壁掛け時計が目に入る。私が病院に着いてから一時間は経過していた。情けなくて心臓がキュッと縮こまるような感覚になる。子供の頃から私はこうだった。訊きたいことがあるのに先生に話しかけられず、馬鹿にされそうでクラスメイトにも頼れなかった。大人になれば自然に治ると思っていた。だって周りの大人に私みたいな人はいないから。初対面でも意に介さず話している。
 なのに私は。
 何度目になるかわからないメールチェック。母からの返信はない。
 看護師とすれ違う。けれど何かを尋ねることなんてできない。子供の頃の私から何一つ成長できていない。
 そろそろ不審に思われるかもしれない。非常階段を使って、6階へ上ろうと段に足をかけて止まる。6階でも同じように意味もなく歩き回り、怪しまれる前にもう一つ上の7階へ上がり、同じことを繰り返して8階の食堂に逆戻り。そんな未来がありありと頭に浮かぶのだった。
 非常階段には誰もいない。入るのには重い扉を開けなければならなく音が響くので、誰かが来てもすぐにわかる。つまり逃げられる。私が一番落ち着く環境だった。けれど落ち着いている場合ではない。母が事故にあって、怪我をして、病院に運ばれて、それでも私に連絡してくれたことの意味を考える。
 いつも私の代わりに、通訳みたいに、私が言いたいことを人に伝えてくれていた母。
 階段にかけていた足を戻して、5階の扉に手をかける。重い金属が擦れるような低い音を伴って開き、私は踏み出す。
 廊下。正面から一人の看護師。両手を握りしめる。もう繰り返さない。何度もすれ違って何度も話しかけられない未来の私の姿を頭から振り払う。距離は縮まる。あと五歩進んだら声をかけると決める。
 四、三、二、一。
「あのっ」
 出た。私の口から発せられたその一言に自分で驚く。
 はい、と女性の看護師は足を止める。
 緊張して頭と口が別々に動いているようだった。どうやら私は拙いながらに、早口で聞き取りにくかっただろうけれど、どうにかこうにか状況を説明できたらしい。話し終えて一息ついた時には、看護師はわかりましたと言って歩き出していた。私も続く。
 歩いていると段々と心が落ち着いてきた。何だか恥ずかしいことをしたような気がしていたけれど、実際はただ看護師に尋ねものをしただけ。大丈夫。普通の人と変わらない。普通の大人、私がなれると思っていた大人、知らない人にも話しかけられる大人と。
 案内された看護師の詰所。待っていると、看護師は母を連れて出てきた。
「ど……」
 言葉が出てこない。
「もう、看護師さんに話しかけるのに何時間かかってるのよ」と笑いながら母は言う。
「怪我……、にゅ、入院は……」
 私の問いかけに「嘘よ」と母の一言が返ってくる。
「あんたの人見知りもいい加減に直さないといけないから、ちょっと頼んだのよ」
 言いながら、母は看護師と頷きあう。顔見知りのようだ。
「そんなの、病院に、迷惑じゃ……」
「いいのよ」と母は笑い飛ばす。「病院は治療するところなんだから」
「もう!」私は母の肩を叩く。
 なんて荒療治だ。


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このストーリーに関するコメント

19/01/03 雪野 降太

拝読しました。
面白かったです。読み始めはナースステーションにでも行けばいいのに、と軽く考えていたのですが、非常階段で『私が一番落ち着く環境だ』と胸をなでおろしている主人公の姿に、何だか納得してしまいました。
肉親の重大事であっても、他者に話しかけるのはどうしても身が竦んでしまう――そんな主人公には確かに荒療治だったのでしょうが、きっと『母』にとっても苦肉の策だったのでしょう。笑い飛ばしてはいますが、辿り着いた主人公を前にした母の想いを考えると、不覚にも感動してしまいました。
読ませていただいてありがとうございました。次回作も楽しみにしております。

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