1. トップページ
  2. 僕の子猫ちゃん

南野モリコさん

長い休眠から覚め、再始動しました。 よろしくお願いします。 ツイッター https://twitter.com/hugo_6892

性別 女性
将来の夢 一生文章を書き続けること。
座右の銘 非凡な花を咲かせるには平凡な努力をしなくてはならない。

投稿済みの作品

1

僕の子猫ちゃん

18/11/18 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:2件 南野モリコ 閲覧数:199

この作品を評価する

「ねえ、たかちゃん」
昼休み、僕の子猫ちゃんがまとわりついてきた。

「その呼び方やめろよ」
僕はふてくされて、読みかけの単行本を開くと、僕の子猫ちゃんは、つまらなそうに自分の席に戻っていった。

僕の子猫ちゃんは、僕より3列向こうの斜め前辺りに座っている。

本当の名前は山本さちこ。小学校では皆から「さっちゃん」と呼ばれていた。
母親の手に引かれて子猫ちゃんと遊んでいた頃は、僕も「さっちゃん」「たかちゃん」だったものだ。

それが中学に入る頃から「さっちん」に変わった。
何がきっかけだったかは忘れたが、「さっちゃん」と呼ぶのが気恥ずかしくなったのだろう。

僕の子猫ちゃんとうちは母親同士が学生時代からの親友だ。
「さっちゃんはどこの高校を受験するの?」
中学三年になり受験が近付くと、親友の娘を気にする話題が増えた。
「知らないよ。さっちんのことなんか」
ごく自然に答えると、母親が顔を真っ赤にして怒った。
「やめてよ。『さっちゃん』て、優しく呼んであげなさい」

母は「さっちん」という呼び方が下品だと言って、その呼び名を口にするだけで機嫌が悪くなった。
親友の子供の名前を息子の僕が「ちん」をつけて呼ぶのが許せないらしい。

親の前で「さっちゃん」と呼ぶのは死んでも嫌だった。
かと言って「山本」と呼ぶのも母親は嫌がる。
僕は彼女の呼び方が分からなくなった。
そして、結論として、僕の中で「山本さちこ」という名前をなかったものにすることにした。
家でも学校でも「山本さちこ」は一回死んだ。ただの一人の女として扱うことにしたのだ。僕的には。

名前がなくなった彼女を僕は呼び止められなくなった。
教室や廊下で「おい」とか「ねえ」なんて話しかけるのも嫌だ。

どうでもいいや。話せなくたって困らない。

ただ、彼女のことを考える時に名前がないのは不便だ。
その名前は僕の中だけに秘めているもので、
人前で声に出して発することはこの世が終わるまで一度もありえないのだから、
なんと呼んだとしても完全なる自由だ。
だから、僕はこう呼ぶことにしたのだ。「僕の子猫ちゃん」と。


「ねえ、たかちゃん」
昼休み、また僕の子猫ちゃんがまとわりついてきた。

「その呼び方やめろって言ってるだろ」
「じゃあ、なんて呼べばいいのよ」
子猫ちゃんは口を尖らせる。

僕の子猫ちゃんとは、たまたま同じ高校を受験し、たまたま2人とも合格した。
そして、たまたま同じクラスになった。子猫ちゃんはいつもクラスの中心で、教室の真ん中で女子たちとじゃれ合っている。

「たかちゃんさ、最近なんか冷たくない?」
「別に」
「だってさ」
子猫ちゃんは、何かすごい大発見をしたかのような得意げな顔をして言った。
「たかちゃん、私の名前を呼ばないじゃん」

今頃気が付いたのかよ。
僕はつい口からそう言葉が出そうになってしまった。
呼べるわけないだろ。お前の昔の名前は僕の中では封印されたんだ。

僕の子猫ちゃんは高校生になって、爪を伸ばすようになった。
大声で笑っているかと思ったら、長い爪を出して男子に睨みを効かせることもある。

僕の子猫ちゃんは気まぐれで柔軟だ。小さくて柔らかそうな体で教室中を走り回る。
髪を少しだけ茶色くしたことを誰にも気付かれていないと「イツメン」たちと小声で話し合っている。
かろうじて重力に従っている、肩まで伸びたふわりとした髪。
その髪の手触りを確かめるためには、子猫ちゃんと僕はを何と呼び合う関係が求められるのだろうか。

「山本さん、いる?」
教室のドアから呼ぶ声がした。
「お客さんだよ」

廊下には知らない男子生徒がいた。

「何なに?」「一緒に帰る約束?」「ひゅーひゅー」
男子生徒にペコペコと頭を下げ、しなやかな体で机の間を縫いながら戻り、
「やめてよ〜」と冷やかしている女子の方を大げさに叩いている。
「そんなんじゃないんだから」
息を荒くしながら大声で騒ぐ子猫ちゃんは鼻の頭が真っ赤だ。

下校時、校舎から正門に向かっていると、教室の外にいた知らない男子生徒の姿を見付けた。
その先にいたのは間違いなく僕の子猫ちゃんだった。

2人が合流しようとしているのは明らかだ。
もし2人の間を引き裂こうとするのであれば、ここからどんな名前で呼ぶのが正しいのだろう。


「さっちゃん」

確かめるように小声でつぶやいてみた。

「さっちん」。いや違う。

「さちこ」

僕は聞こえるように呼んだ。

その声は夕風にかき消され、人目を気にしながら、でも誇らしげに正門を出て行く後ろ姿には届かなかっただろう。
僕はただ見送るしかなかった。

「さちこ」
僕はもう一度呼んだ。
その声は少し悲しく、そして少し清々しく響いた。
















コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

18/11/18 入戸月づきし

拝読しました。
呼びたい名前は既に遠く、というのは何とも物悲しいお話でした。母親が嫌がるからといって、『家でも学校でも「山本さちこ」は一回死んだ。ただの一人の女として扱うことにしたのだ。僕的には。』と呼び方を封印するという極論に走った主人公ですが、結局、母親の前では何と読んでいたのでしょうね。

18/11/20 文月めぐ

拝読いたしました。
切ない物語ですね。
好きな人の名前を呼ぶということは勇気のいることなんだと改めて思いました。

ログイン