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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで5年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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私は、花をくれた人の名を知らない

18/11/11 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:3件 冬垣ひなた 閲覧数:403

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 一口に言えば、気難しく孤独な老人。
 毎日決まった席で、観葉植物のように音もなく座っていた。
 彼はいつも一人で喫茶店に訪れる。客がいなくなった昼下がりに、カランカランとドアベルの音がしたら間違いなく彼だ。ちょっと近所に散歩という身なりではなく、帽子にテーラードジャケットの知的ないで立ちで、そして30分ほど飲食して帰っていく。
 その老人は客で、私はウェイトレス。場所はコーヒーの香り漂うレトロな喫茶店。
 昔話を語ろうと思うのは、私も人間の隠れた良さが解る年齢になってきたからだろう。


 聞くところによると、彼は10年以上前からの客であった。お喋り好きの常連と違い、誰とも接触せず、カウンターから離れた席で一人を好む。私生活を話さないらしく、名前はおろか、過去や家族構成さえ一切謎に包まれた人物であったから、余程の変わり者なのだろうと察するしかなかった。
 呼び名がないのも困るから、従業員の間では内緒で『ジャムおじさん』とあだ名をつけられていた。というのも、注文がアイスコーヒーとジャムトーストの一択だったからだ。
 ジャムおじさんといえば、子供向けのヒーローを助ける存在の、人のよさそうなパン職人だ。コック帽をかぶるその姿と、店内でも帽子を脱がない白髪交じりの老人は、何となくイメージが被ってくる。
 ユーモアを込めてネーミングされた、神経質そうな方のジャムおじさんは、そんな事情も知らぬ顔で日課のように喫茶店へやって来るのだった。
 偏屈に見えるがクレームをつけたことは一度もなく、透明な衝立を隔てるようなジャムおじさんの空間に、次第に私は居心地の良さを感じていった。邪魔にならぬよう声を消して立っていると、他の音が「見えてくる」。
 解った、ジャムおじさんは、店内を流れる有線放送を楽しみにしているのだ。
 それからの私は、彼のいる静かな時間が待ち遠しくなった。
 ジャムおじさんは、確かに無口な人だ。
 しかし、焼き立てのジャムトーストをとても美味しそうに食べる。パンの香ばしさとジャムの甘さを一口ずつ味わいながら、アイスコーヒーを飲んでは目尻を下げる。必ず機嫌よさげに帰っていくので、この喫茶店をとても気に入ってるらしかった。
 観葉植物めいた彼の本来の姿が気になる。ジャムトーストはおやつ代わりで、これから家に帰るのだろうか。遅い昼食で、仕事に戻る所なのだろうか。
 だが、彼がドアベルを鳴らし出て行った後の姿を、誰も知ることはできなかった。


 日常に異変が起こったのは、私が働き始めて1年経った夏のはじめだった。
 ジャムおじさん専用メニューが、アイスコーヒーからホットコーヒーに変わっていたのである。首を傾げながら私は席まで運んだが、彼は相変わらず無言なままでコーヒーを啜っている。
「暑い時期にホットコーヒーなんて具合悪いんでしょうか」
「それがね……」仲間が言いよどんだ末、打ち明けてくれた。
 めったに喋らない彼が、こんなことを口にしたそうだ。

『俺が来なくなったら、死んだものと思ってほしい』

 それからも彼は毎日現れたが、やはり体調が思わしくないらしい。たびたび注文を残すようになった。本当に病状は進行していて、命に関わる重い病なのは明らかだった。
 言葉は死に対して無力だ。
 ジャムおじさんが詳細を告げるはずもなく、私たちもかける言葉が見つからず、晩夏に近づいたある日。
 いつもの席から彼の姿が消えた。
 来店を待ったが、二度とジャムおじさんが現れることはなかった。


 人の死は突風のように訪れ、悲しみの長雨を降らす。
 駅前に立てかけてある告別式会場の看板を、彼のものだと見分けるすべはなく、私は途方に暮れ立ち尽くしてしまった。
 思い返せば彼は、ジャムおじさんのあだ名を知っていて、存外気に入っていたのかもしれない。
 最後の日に見た彼の姿は、死の影もなく穏やかだった。
 半分だけのジャムトーストを嬉しそうに食べていたあの老人は、自分がこの世からいなくなれば私たちが悲しむ位はわかっていた。病の身をおして喫茶店に通い続け、人生のドアベルを鳴らさないよう黙って去っていった優しさが、空気のように残されていることに気付く。
 お世辞や愛想を言わない代わりに、泣き言も嫌味も悪口も言わなかった。ジャムおじさんは世の中を達観した人だったのかもしれない。
 彼の素性をついに知ることはなかったが、シャイな内面を垣間見た気がする。美味しかった。自分のことを忘れないでほしい。去り行く背中が多くを語っていた。
 私も伝えたかった。
 ジャムトーストを食べる笑顔が好きでした。
 大切な時、ありふれた台詞は散って消えてしまう。
 けれどジャムおじさんの慎ましい沈黙は不思議なほど、いつまでも枯れない言葉の花を咲かせているのだった。


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このストーリーに関するコメント

18/11/11 冬垣ひなた

【補足説明】
・この物語は冬垣ひなたの自伝小説になります。
・画像は「写真AC」からお借りしました。

18/11/23 夏日 純希

不器用シャイ派の一員として、ジャムおじさんが羨ましくなりました。
全体的に文章もとても綺麗だと思いました。

18/11/25 冬垣ひなた

夏日純希さん、お読みいただきありがとうございます。

居るだけで、その人らしい良さがあるということを、ジャムおじさんが教えてくれた気がします。文章も落ち着いたものにしようと色々練りましたが、綺麗と言っていただけて嬉しいです。

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