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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

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すみれ

18/11/11 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:299

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 犬も悲鳴をあげるのだということを、僕はゴンタで知った。
 痛みの内側から引き裂くような、無力でひ弱で情けない声。知らない女と消えた父が置いていった犬を、僕は傷つけることを覚えた。
 ゴンタのことは結構好きだ。でも、最近の僕は自分でもおかしくなるほど余裕がない。父が去って母は仕事と酒に沈み込み、僕は僕で中学では――。
 ゴンタの悲鳴が耳をつんざく。
「うるせーよ、カワタ」
 ぼそりと吐き捨て、犬の頭を殴った。
「逃げんな、サトウ、ほら、これでも、くらえっ、タカハシ!」
 腹を蹴ると、ゴンタの体が飛んだ。リードにつながれているので、半径2メートルから逃れることはできない。
 ひと気のない裏山まで散歩に連れ出せば、僕とゴンタだけの世界だ。むしゃくしゃして初めて蹴った時、ああ、こういう方法があったのかと、素直に興味を覚えた。だから、続けた。ちょっと、すっきりする。
 カワタとサトウとタカハシにやられた太ももの内出血も、肩の切り傷も痛いんだ。ゴンタは好きだけど、でも僕は自分のことで本当に、精一杯。

「あ、スギヤマ」
 声がして顔を上げると、そこには同じクラスのマエダエリがいた。リア充が服着て歩いてるようなヤツ。僕みたいな人間にも分け隔てなく話しかけるところがムカつく人種。
 見られた? なんでマエダエリがこんなところに。
「犬飼ってるんだ。かわいい。あれ、怪我してる」
 マエダエリがしゃがみこみ、怯えるゴンタの鼻先にそっと手を差し出した。
「うわー、痛そう。どうしたの、これ」
 切れて血が滲む目元。変色した腹は毛で見えにくいが、こうも近づけば嫌でもわかる。
「かわいそうに。痛いね」
 ゆっくりと、マエダエリの指がそっとゴンタの頬に触れる。
「名前、何ていうの?」
「……ゴンタ」
「え?」
「ゴンタ」
「え、だってこのコ、メスだよね?」
 僕が、つけたんじゃない。元々父の犬だ。
「女の子なのにー。よし、今日からキミはすみれだ。私、すみれって呼ぶ」
 少し慣れてきたゴンタの頬を両手で包み、マエダエリが笑った。
「何それ」
「あだ名。いいじゃん別に」
「あだ名って、犬だし。っていうか俺、いつもここ来るわけじゃないし」
「私、月水金はここ通る。塾通い始めたの。近道なんだー」
 聞いてもいないのにさらりと言う。瞬間、月水金を避けるべきか選ぶべきか迷う。迷った自分を殴りたくなった。

 それからだ。ゴンタでストレス発散しようとするたびに「すみれ」の名前とマエダエリの顔が浮かぶようになったのは。
 やわらかくてきれいなニセの名前が、ふわりとゴンタを包むように守る。僕はそれに触れてはいけない気がして、最近は傷つけようと思うたびに躊躇してしまう。
 弱くて惨めで反撃できないゴンタ。ひたすら僕との時間が過ぎ去ることだけを祈るゴンタの姿は、僕そのもの。
 だから、ムカつく。
 裏山に行って、今日こそ、今日こそ腹いせしよう。ゴンタは足元で何度も立ち止まり、その度に力づくで引っ張ると、ずるずると引きずられてくる。僕の方が強い。その圧倒的な支配の感触にぞくぞくした。
 カワタ、サトウ、タカハシ、みてろ。今朝、ライターで燃やされた靴で土を踏みしめる。次いで、そういえば今日は金曜だなとぼんやり考え、辺りをうかがう。あれ以来、月水金は避けている。
「すみれ!」
 よく通る声が木々の向こうから聞こえた。
 マエダエリが手を振りながら近づいてくる。
「久しぶりー。また会えたねー」
 って、スギヤマは今日学校で会ったか。言って、からりと笑う。会った、じゃない。いた、だけだ。頭の中できっちり訂正する。
「怪我まだ治ってないね。お医者さん行った?」
 マエダエリが本気で心配そうにゴンタの前にひざまずく。その正しさに僕はイラつき、怒りにまかせて話しかけてしまう。
「あのさ、聞きたかったんだけど。すみれって、カタカナ、漢字、平仮名、どれ?」
 マエダエリがきょとんとして僕を見上げた。
「平仮名、かなあ」
 その答えを聞いた途端、どす黒い胸の塊がふっと軽くなった。
 僕も、平仮名ですみれと思っていたからだ。マエダエリみたいな子が思い描くものと、自分の想像が重なったことに、救いすら覚えた。
「平仮名がいちばんやさしくて、きれいな感じがする」
 女の子だしねー、とマエダエリがゴンタに笑いかけ、もう一度僕を見上げて微笑んだ。
 ゴンタはマエダエリの白く柔らかそうな手に撫でられるがままになっている。

 すみれ。ゴンタがもう、すみれにしか見えない。名前ひとつで運命が変わるなら世の中苦労しない。
 だったらカワタ、サトウ、タカハシに僕をきれいなあだ名で呼ばせろよ。
 マエダエリみたいな人種と今後も友人になんて多分なれない。でもせめて僕は、もう「すみれ」を蹴ることはできない気がした。


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このストーリーに関するコメント

18/11/16 雪野 降太

拝読しました。
名は体を表す、というか、自分のコントロール下にあった存在に第三者が名前を付けたことで、手出しを躊躇う、という筋立てには感心しました。そういう書き方があったのだなあ、と思います。巧みな設定に頭が下がる思いです。ありがとうございました。

18/11/17 秋 ひのこ

凸山▲@感想を書きたい さま
こんにちは。
「すみれ」という名前が暴力を躊躇させるか否かは完全に主観の問題で、案外他の誰かが読めばまったくピンとこなかったりして……、と気づいたのは投稿した後でした(^^;)
意図が伝わってうれしく思います。
大変嬉しいコメントをありがとうございます。

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