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本宮晃樹さん

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百面相の哲

18/11/10 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:91

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「〈百面相の哲〉、久しぶりだな」
 声を聞いただけですぐにわかった。確認するまでもない。〈百面相の哲〉は苦笑いを顔に貼りつけ、振り返りしなに大きく両手を広げた。「これはこれは。二宮巡査部長のだんな、ご機嫌うるわしゅう」
〈百面相の哲〉は高飛びの間際だった。当局の動きがにわかに慌ただしくなっているのに目ざとく気づいた彼は、足のつきやすい航空便は避け、客船に乗ってタイ王国へ逃げ込むつもりだった。ほとぼりが冷めたら日本へ舞い戻り、またぞろ金融詐欺でひと儲け。そうやって三十年生きてきた。
「二宮警部補だ。こないだやっとこさ昇進してな」彼は誇らしげに手帳を見せびらかした。
「おめでとうございます。これでちょっとは家計の足しになりますな」
「おかげさまでね」二宮警部補は無精ひげを撫ぜながら、波止場に積み上げられたパレットに腰を下ろす。「お前、こないだでっかい騒ぎをやらかしたろ」
「はて、なんのことやら」
 警察当局の注意喚起が仇になり、最近ではめっきり個人を狙った融資詐欺の成功率が低くなっていた。金利がべらぼうに高かった古きよき時代、誰もが投資という言葉を聞けば目の色を変え、一も二もなく飛びついたものだった。
 情報化社会は彼の仕事をやりにくくさせた。ひとむかし前までなら、投資された金を掠め取ってずらかるだけでよかった。人びとは賢くなった。むかし気質の詐欺師が大手を振っていられる時代ではない。
「お前はいままで巧妙に俺たちの捜査を煙に巻いてきたが、今度ばかりはしくじったな」壮年のむさ苦しい男は、懐から紙切れを取り出した。逮捕令状だった。「苦節三十年、これでやっとお前との因縁にけりがつく」

     *     *     *

〈百面相の哲〉が〈百面相の哲〉と警察当局にあだ名されたのは三十年前にさかのぼる。
 小口のケチくさい詐欺事件が頻発しているということで、二宮巡査は無数の被害者に聞き込みをしに回っていた。額に汗して警ら用の自転車を乗り回し、受理された被害届の差出人を一人ひとり、漏らさず訪ねていく。
 犯人は若い男、上等な背広に身を包み、洗練された東京弁で金融商品を売りつけてきたのだという。おりしもバブル全盛期、都市部なら一坪でも買っておけば百万長者になれたかもしれない時代。被害者たちはその魅力に抗しきれず、まんまと騙されたのである。
 ところが誰の話を聞いても名前が一定しない。当然といえば当然だが、詐欺師は変幻自在に仮の名前、仮の身分を騙って百もの人間を演じているらしい。そこでついたあだ名が百面相だった。間もなく彼は逮捕されたのであるが、執念に燃えた検察官の奮闘もむなしく証拠不十分で不起訴。その際に本名がわかったので、下の名前をくっつけて〈百面相の哲〉に落着したのである。
 不起訴になったあとも懲りずに〈百面相の哲〉は活動を続けた。手を変え品を変え場所を変え、日本全国津々浦々、雨の日も風の日も倦まずたゆまず今日も元気に金融詐欺。二宮巡査は宿敵が河岸を変えるたび、転属願いを出して彼を追いかけた。なんとしても捕まえるつもりだった。
 ホシはしばしば尻尾を出し、何度か逮捕状が出るところまではいった。ところが検察官は公訴に踏み切ることができず、その都度やつは高らかに笑って留置場を出ていく。二宮はそれを歯噛みしながら見送った。
 十年が経ち、二十年が経ち、ついに三十年。〈百面相の哲〉は金に困ったのだろう、彼らしくないお粗末な仕事をやらかした。自信を持って刑事訴訟に踏み切れるほどの証拠を検察官は掴み、警部補は〈百面相の哲〉をお縄につけるべく、彼との邂逅に臨んだ。

     *     *     *

〈百面相の哲〉は目を丸くした。「また逮捕ですか。今度こそカツ丼食べさせてくれるんでしょうね」
 警部補は肩をすくめた。「ご希望に沿えられるように努力しよう」
 詐欺師は宿敵がいやに沈んでいるのが気になった。「どうしたんです、だんな」
「検察は訴訟準備を進めてる」ぽん、と肩に手を置いた。「お前は有罪になる」
 死のような沈黙が訪れた。やがて詐欺師がゆっくりと両手を差し出した。二宮は手錠をかけなかった。背中を親しげに叩いて、「いくぞ」
 二人は並んで歩き出した。
「〈百面相の哲〉の名も今日で終わりだな」警部補はたばこに火をつけた。「どんな気分だ」
 詐欺師は無断で宿敵のたばこをくすね、毒ガスをうまそうに呑んだ。「この三十年間、あなたがた警察にはあだ名で呼ばれ、名乗るときはいつも偽名。ひとところに落ち着かず、風来坊よろしく渡り歩く。いまじゃ本名を思い出すのに苦労する始末です」
 警部補は煙を吐いた。「それで」
「これでぼくもやっと、堂々と本名を名乗れる」彼の笑顔はむしろ晴れやかだった。「悪くない、悪くないですよ警部補さん」


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