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あさん

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天使の呼ぶ声

18/10/27 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:2件  閲覧数:176

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・・・行き、快速・・・黄色い線・・・ご注意ください
―全然来んから心配した、どうしたと?
―三度寝たい、まだねむか
―テスト勉強?
―ううん、昨日遅くまで

 電車が到着し、アナウンスに押されるよう乗客たちが車内に乗り込む。おれは古賀綾子とその友人の後ろに続き、手すりのすぐ後ろに陣取る形となった。
 ラッシュの少し前とは言え、それなりに混んでいる。背中を押され不可抗力で、古賀綾子との距離が縮まる。彼女の色素の濃い黒髪から漂う清潔な匂いが鼻孔をくすぐった。

ー混んどうね
―うん、暑かー

 毎朝同じ時間、同じ電車で、同じ車両。
 きっかけは出入り先の出版社からひどい中傷を受け、ホームの椅子で俯いている夜のこと。
 勤めてまだ間もないであろう青年に、これでは雑誌に掲載できないと断られたあとも、その青年に自分の文章の不満点をあげつらわれたのが精神的に堪えた。
 どうにかそこから逃げたいと足を引きずるようにして帰路に就いたのだが、その途中で今度は家に帰ったときの妻や子供の視線を想像すると視界が暗くなり、どちらに足を踏み出すこともできず、ついに動けなくなった。

「新藤さん、いつまで過去の栄光を引きづっているんですか」
 憐れむような一言が脳に残響する。
「もうあなたは『神童』じゃないんです。いい大人なんです」

 学生時代にいくつかの賞をとった。そのことを言われたのだ。
 それが足枷になった覚えはない。おれの才能はあの頃とそのままに変わらない。
 どうして同じものを書いているのに、肉体的に少し後退したというだけで誰も期待を向けなくなるのか。かつて文芸界を席巻したおれの名を呼ぶ者はいなくなってしまったのか。下品に飾られる「100万部のベストセラー」の広告のなかにも新藤の名を見ることはもうない。
 不満や葛藤、言葉にできないような薄暗いものが腹や胸のなかを渦巻き、喉につかえる。しかし、形はなく口を開いても空気の塊しかでてこない。

 もういやだ。

 そう思った時、視界の隅にパイプを銜えた男が描かれた缶コーヒーのラベルが浮いた。
「おじさん、気分わるか?」
 それが古賀綾子だった。
「これあげるばい。仕事つらかもん、がんばりましょ」
 おれの手を広げ、その缶を握らせると、財布をだす間も与えず、彼女は制服のスカート翻して去った。

・・・次は・・・多・・・乗り換えは・・・
―着いた?
―着いた着いた

 それが半年ほど前のこと。
 彼女も間違いなくおれのことを覚えていて、時々目が合い、ふっと微笑むときがある。
 だが、あの時の礼をまだ言えずにいる。
 いつも友達が隣にいる手前、声がかけづらく、また、そのせいで時間が経ってしまったことで今更言い出すのもと躊躇するようになってしまった。いや、しかし、いつまでもそうして胸の内に抱えているわけにはいかないだろう。
 どうしてか今日は言えそうな気分だった。
 電車のドアが開き、乗客がところてんのようにはき出される。
 決めた、今日こそ言うのだ。自分に言い聞かせ、階段を上る彼女を追いかける。
 
 人ごみの間を縫うように通り、彼女に近づく。
「あのときはありがとう」そう言うのだ。

 細い肩。驚かせないように、なるべく優しく。
 しかし、右腕は彼女に届く前に強く握られ制止させられる。

「とうとう手ばだしたな」
 茶色い髪を立てた見知らぬ男だった。
「綾子にいらうな」

 何を言っているんだこの男は。そう思う。
 だが有無を言わさぬ圧力に咄嗟に言葉がでてこない。
 反対に、汚いものを見るように睨まれる。
 
 おれがなにをした?

 どうして。
 彼女のほうを見る。
 どうして。
 そんなに怯えた目で見ている。

「警察いくばい」
 ぐっと男の握る手が強くなる。周りは猛獣を見物するよう遠ざかりながら追い越していく。
 俺は何も、わるいことはしていない。
「イイ歳したおっさんが、なんしようと」

 男を振り払おうと思わず腕を回すと重心が傾き、身体が宙を浮いた。足を踏み外し、後頭部を強く打つ。衝撃に視界が白く光る。そのままおれの身体を止めるものはなく全身でコンクリートを受け、ころげ落ちていく。
 どうしてこんな。

――

倒れているおれをみて悲鳴がいくつかあがった。
だがそれも耳鳴りのようなものに邪魔されずっと遠くで聞こえるような気がする。

―おい、これ・・・・
―・・・・ぞ

 スマホのシャッター音やらの喧騒。あのときと同じ。賞をとったときと同じ。
 うるさいくらいの。喝采、賞賛。おれを呼ぶ声。
 そのなかでも彼女の天使のような声をおれはたしかに聴きとった。
 彼女がおれの名を呼んでいる。ずっと取り戻したかったその名で。
 みんながおれをそう呼んだ・・・

―ねえ、この人・・・・


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このストーリーに関するコメント

18/10/27 入戸月づきし

拝読しました。
面白かったです。西日本の方言である意味がぼんやりわかった気がします。
半年間も悶々とした主人公が動き出した動機というか、『どうしてか今日は言えそうな気分だった。』と思えたきっかけは何だったのでしょう……?

18/10/28 

>凸山▲@感想を書きたい さん
丁寧なコメントありがとうございます。主人公の動機についてですが、そこに引っかかってくれるかなと思って書いたのでうれしいです。
ただ自分の書いたものについて説明するのはボケを解説するような気まずさがあるので、 凸山▲さんのご想像にお任せします、と回答させてください。

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