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荒井文法さん

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猫に恨みはないけれど、涙滴る川になる

18/10/22 コンテスト(テーマ):第162回 時空モノガタリ文学賞 【 あだ名 】 コメント:1件 荒井文法 閲覧数:66

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 名前? んなもんねえよ。

 物心ついたときにゃもう独りよ。誰も頼れねえ。周りは恐ろしいものだらけ。一瞬気を抜けばやられちまう。食事を獲るつもりが逆に獲られたり、地面に置かれてるごちそうを喰って口から泡吹いたり、ぶら下がってるごちそうに噛み付いて檻の中に閉じ込められたり、そういう奴を何人も見てきた。
 分かるか? 名前なんてもんは平和ボケした奴らの遊び道具さ。今この瞬間に死んじまうかもしれない俺らに、名前を考えてる余裕は無い。そんなもん考えてるような奴は、もう全員死んでるよ。

 本当にお前らは名前を付けるのが好きだよな。俺らを見かけた瞬間「ネェコ!」って呼ぶ奴の多いこと多いこと。なんだい、俺らのあだ名はネェコなのかい? しまらねえあだ名だな。勝手に付けられたあだ名で急に呼ばれると迷惑なんだよ。お前らだってそうだろ? 急に「太郎!」って呼ばれても無視するだろ? 俺らの気持ちも少しは考えてくれよな。

 ところでさあ、さっきからお前の右手でチラチラ見えてるそれ。
 ああ、分かってるよ。
 愛嬌振りまいてほしいんだろ?
 喉ゴロゴロ鳴らしてほしいんだろ?
 尻尾ピンて立てながら体こすりつけてほしいんだろ?
 全部やってやるから、な、そいつをよこせ。
 約束するって。

 ……

 あー、うめえなあ!
 感謝してやるよ!

 ……ん、なんだ、まだなんか用か? 俺はなんにもねえぜ。
 右目?
 ああ、これな。よく分からねえが、突然痛くなって見えなくなっちまった。痛くなる前に、小さい白い粒々が地面に勢いよくバチバチぶつかってたが、あれが目に入っちまったのかねえ。

 なあお前、ひとつ質問していいか?

 なんで泣いてんだ?
 お前らは、嬉しいときも悲しいときも泣くんだろ?

 今はどっちなんだ?


 ※


 自宅の軒下で蹲っている黒い野良猫を見つけたのは、冷たい雨が降る秋の夕方だった。
 私が触っても逃げないくらい衰弱しているうえに、右目は赤黒く変色していた。右目周辺の目やにも酷い。否、今なら分かるが、あれは眼球が破裂して出てきた体液だったのだろう。
 急いで近くの動物病院に連れて行った。
 獣医の女性は一目で野良猫だと分かっただろうが、費用関係の話を全くせずに、オペすることを私に告げた。それくらい差し迫った状況だったのだろう。おそらく、私に費用負担を求める気も無かったに違いない。素晴らしい人間がいることを久しぶりに思い出した。

 オペが終わったのは二時間後だった。
 オペ室から出てきた獣医の女性は、私がまだ居たことに驚いた様子だった。
 「ずっといらしたんですか?」
 「はい。私が連れてきてしまった猫ですから」
 「そんな……あなたに連れてきてもらったおかげで、彼を救うことができたんです。本当にありがとうございました」
 獣医が深々と頭を下げる。
 「良かった……助かったんですね」
 「はい、もう安心です」
 頭を上げた彼女の笑顔を見て、言いようのない幸福感に包まれた。

 オペと入院の費用の話については、私から切り出した。また、退院後は私が飼おうと思っていることも伝えると、彼女は少し複雑な表情をした。
 「……実は、右目の中から、小さなプラスティックの破片が出てきたんです。たぶん、モデルガンの球です」
 「虐待、ですか……」
 「おそらく。今の彼は麻酔で寝ているんですけど、麻酔が切れたあと、もしかしたら、人間を怖がって攻撃してくるかもしれません」
 彼女の話を聞いても私の意思は変わらなかった。寧ろ、そんな酷い仕打ちを受けた猫であれば、なおさら世話をしてやらなければという気持ちになった。
 その気持ちを素直に伝えると、彼女は少し考えてから私に言った。
 「今日はもう遅いですし、どうでしょう、明日の夜、また来ていただけませんか? 私たちもご協力できることがあると思うので」


 ※


 次の日の夜、再び動物病院を訪れると、昨日の女性が、今まで猫を飼ったことがない私のために沢山の資料を揃えてくれていた。アドバイスも多く受けた。
 アドバイスを聞き終えたあと、麻酔が切れて意識が戻った猫の様子を、彼女と一緒に見に行った。猫は痛々しい姿で横になっているが、人間への攻撃性はまったく見られない。試しに、栄養食品を口の前に運ぶと、すんなり食べてくれた。その様子を見て安堵すると、自然と涙が零れた。

 「……そういえば、ひとつ決めてもらいたいことがあるんです」
 落ち着いた彼女の声が後ろから聞こえてくる。
 「彼の名前、どうしますか?」

 涙を拭いながら、彼女の質問に答えた。
 実は、昨日すでに決めていたのだ。

 「しまらねえあだ名よりはマシだな。感謝してやるよ!」

 頭の中に、彼の言葉が響いた気がした。


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このストーリーに関するコメント

18/11/20 TOTSUYAMA

拝読しました。
猫視点で始まった物語が、もう一人の主人公たる「私」と重なったところで締め括られる構成が魅力的でした。
その一方で、「私」が傷ついた野良猫を放っておけないと考えるに至った経緯に興味がわきました。作中では語られていませんが、物語としては触れられていても良かったのではないかと感じます。
余計なことを申しましたが、今後のご活躍を願っております。

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