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みゆみゆさん

「芥川賞を目指して小説を書きたい」と友人に話したところ、まずは2000字をコツコツ書いていくといいよと、「時空モノガタリ」を紹介してもらいました。コツコツやってみます。

性別 女性
将来の夢 健康な一人暮らし
座右の銘 「人は人、自分は自分」

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つくね

18/10/21 コンテスト(テーマ):第161回 時空モノガタリ文学賞 【 伝言 】 コメント:0件 みゆみゆ 閲覧数:113

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 私は父の声も話し方も好きだ。「あやちゃん、今アパートかい?今朝は寒いな」電話が鳴る前に淹れたコーヒーの香りをゆっくりと頭の隅々に溶け込ませて、自由な四十八時間の始まりをかみしめる。父からの電話はたぶんデートのお誘いだろう。「さっき新聞見てたらな、日光の紅葉の写真が載ってたんだよ。明日は何か予定あったかい?」ほうら、やっぱり。いつもなら今夜のうちに実家へ帰り、明日の早朝から父の車に乗って出掛けただろう。でも、私には予定が入っていた。なんだそうかあと言う父は、その声の響き以上に落胆しているはずだ。蜂蜜を入れた甘いコーヒーを啜りながら、父の誘いを断った記憶をたどってみたが思い出せなかった。トチの蜂蜜はクセがなくてふわりと優しく、苦手だったコーヒーもおいしく飲める。今年の夏に軽井沢で父に買ってもらったその蜂蜜の瓶は、お揃いのラベルのミルクジャムやブルーベリージャムと一緒に並んでいる。二十八歳にもなってデートのお相手はもっぱらお父さんだなんて情けないと母は言うが、ずっと祖父と疎遠だった母の方がよほど情けないと私は思っている。母は私と意見の合わないことが多く、おまけに言い方もキツイ。たわいない会話でもすぐにダメ出しを言ってくる母は苦手で、でも、そんな私より父はやはり上手だった。「お母さんにつくね鍋を頼もうと思ってたのになあ」その一言を聞いた途端にコーヒーの香りは消えて、つくね鍋の湯気がポワンと現れた。母の作るつくね鍋は絶品だ。こんな肌寒い日にはもってこいのご馳走なのだ。先ほどまでの嫌悪感がシュルシュルと萎えていく。私が父と晩酌をするようになって、母の作る献立には酒の肴が一品二品増えていた。どれも美味しくて、しかも真似が出来ない。簡単そうな出汁巻き玉子でさえ、何度自分で作ってみても同じ風味に仕上がらない。口の中にジュワッと広がる出汁のうま味を冷酒で流し込む自分を想像すると、お見通しのように「夜だけでも来るか?」と父は言ってくる。そしてその声で私には、父が冷酒ではなく熱燗を飲みたがっているのが分かる。私たちは本当に仲の良い父娘なのだ。
 それでも今日は画材を買いに行こう。私は立ち上がって居間のレースのカーテンを開けた。アパートの裏手はちょっとした竹林になっていて、秋の朝の日差しが白っぽい黄緑色を柔らかく照らしている。初めてここを見たとき母はもちろん父までも、物騒だからよしなさいと反対したが私はなぜかその竹林に強く惹かれて引っ越しを決めてしまった。観光名所のような立派なものとは程遠いうら寂しい竹林なのに、眺めるほどに心が落ち着いていくのが嬉しかった。夏の軽井沢の美しい木立を歩いた時も、この竹林を恋しく思い出したほどだ。そうしていつしか、絵に描きたいと思うようになっていた。父に、今日と明日は集中してやりたいことがあるとだけ言って電話を切った。
 作り置きのチキンスープを温めながら八つ切りの食パンを焼き、ミルクジャムを塗って食べながら雑誌に手をのばす。一昨日から何度も見ている付箋の付いたページを開いて「わたしの好きな風景」と大きく書かれた見出しの下の、募集要項をじっと見つめるうちに自然と咀嚼が止まっている。
 「わたしの好きな風景」
 私にとってそれは、間違いなく窓の向こうの竹林だった。でも、どうしてなのかが分からない。描けば何かが分かるのかもしれない。揃える画材の価格もサッパリ分からないが、趣味も恋人も作らずに働いてきた私にはそれなりの蓄えがあった。あなたも自活しなさいと母に家を追い出されなければもっと貯まっていただろう。
 チキンスープを啜っていると再び父が電話をかけてきた。「お母さんがな」の切り出しで肩がシュッと固くなる。首の付け根が痛みだす。きっと文句なのだろう母の言葉を、父の口から聞くだけマシだと諦めてスプーンの柄をぼんやりと眺めた。「彩花が何かに集中するなら差し入れに弁当作るって。お父さん、あとで届けに行っていいか」母はおそらく誤解している。私が何か資格試験の勉強でも始めると思っているのだろう。やはり絵のことは内緒にしておきたい。父に何と断ろうかと思っていると「お父さんな、あやちゃんが何か資格でも取る気になったかと思ってるんだ。でもお母さんはさ、のんびり絵でも描くんじゃないかって、そう言ってるよ」肩や首の痛みが浮き上がるように消えたあと、今度は耳まで熱くなった。つくねの甘辛煮のお弁当を小学校の写生遠足の度にねだっていた記憶がよみがえる。私は父に都合の良い時間を告げて腰を上げた。朝食はまだ残っているが早く画材を買いに出掛けたかった。他にいるものはないかと話を続けたがる父に何もないと告げ、「お母さんにありがとうって伝えて」と言って電話を切った。


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