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64GBさん

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Have a nice trouble.

18/10/21 コンテスト(テーマ):第161回 時空モノガタリ文学賞 【 伝言 】 コメント:0件 64GB 閲覧数:138

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「良い旅を」
と言って航空会社のグランドスタッフがチケットを差し出した。受け取ろうと思って手を出したのだが、掴む前にチケットを離された。チケットはカウンターの上にひらひらと落ちた。別れた妻と同じタイミングだ。肌に触る懐かしい思い出ばかりではない。なにしろ世界で女が彼女だけになっても二度と結婚しないと誓って別れたぐらいだ。何が悪かったのか、どうしたら良かったのかなど考えたこともない。ただ、言い争って勝ったような気がしても、その倍は後で苦しむのだ。つまり一度として勝ったことはない。連戦連敗であった。

飛行機の席は翼の近くだった。窓から外を見る。滑走路の緑のライト。手を振る整備のスタッフたち。旅の興奮と郷愁が混在する機内。飛行機の旅はノスタルジーそのものだ。
高い所は苦手だが、高すぎると感覚がマヒするのか不思議と素直な気分になる。宇宙に近くなるからか、神の目線になるからなのだろうか、なにか神聖なものが混ざっているのだろう。こんなに空は美しいのになぜ人間は、このオレはこうまで惨めなのだろうと考える。

離陸してしばらくすると突然数百メートル一気に落ちた。いつまでも重力を感じない、血が心臓に戻ってこない。魂を無理やり剥がされたような、かつてない落下体験に単純に「死ぬ」と思った。
ポーンとベルト着用のサインが出る。機内の明かりは落ちた。
すぐに窓側の人間が翼の下のエンジンを見やった。
「エンジンから火が出ているぞ」
悪い冗談だと思いたかった。恐る恐るエンジンを見るとエンジンの後ろ5メートルに時折、ボワ……ボワ……と劔のような火が出ている。バックファイヤーだ。気化した燃料が漏れてエンジン外で燃焼している。
機内は悲鳴で騒然となった。CAは「シートベルトを着用してください!」と連呼している。機長からの説明はない。これは墜落もあると直感した。
私が席から立ち上がろうとしたら赤ちゃんを抱いた若い母親が携帯で動画を撮ろうと覆い被さってきた。
「こんなときになにやっているんだ!子供の心配をしろ!」
機はどんどん降下しているようだ。速度がなくなると同時にエンジンの後ろにあった火もエンジンにどんどん近づいてきている。神に祈ったことはなかったが、今こそ祈る時のようだ。火はエンジンを包むように最後はドンと眩しく光りミサイル攻撃でも受けたかのような衝撃が走った。
「安全姿勢をとって下さい!」と繰り返している。だが墜落したらイスが全部取れて前に一山になりベルトで真二つになるだけだ。こうしてはいられない。
最後尾のトイレだ。
私は席に戻って下さいという声を振り切って最後尾のトイレに入りドアを締めようとした。その時
「待って!お願い!私も入れて」と同年代の女性が走ってきた。
小さなリュックを持っている。
「さあ、早く」
手をのばして中へ引き込んだ。機はいよいよ墜落か不時着かに絞られた。機首が上がる気配はない。
進行方向に対して反対側を向く。彼女はリュックから空のペットボトルを取り出した。
「頭の下に敷くといいわ」
「ありがとう。考えてなかったよ」
「この機は墜落しそうね」
「ああ、死ぬかもしれない」
「もしもどちらかが生き残ったらお互いの最期の言葉を届けましょう」
「わかった」
墜落するまで数秒か?数分か?
そんな時だというのに走馬灯も、思いつく言葉も浮かばなかった。
ただ、妻との楽しかった日々が浮かんできて、土壇場で妻をまだ愛していることに気がついた。
愛している。これしかない。
残す言葉が決まるとこうまで覚悟ができるものかと知った。
「元妻に『まだ愛している』と伝えてくれ」と言った。
最期の言葉としては上出来だ。
彼女は夫に「愛している」と言って欲しいと言った。
愛する人がいるというのは素晴らしいことだ。死ぬ前に気づくとは、マヌケなのか間に合ったのか不思議な感じだ。
そうしているうちに飛行機の推進力がなくなっていくのが分かる。
目をつむり、その準備をする。
ああ、ありがとう今までやさしくし

ドバーンという音と衝撃がきた。
垂直に持ち上げられ、壁という壁に打ちつけられて自分の指で自分の目を突いた。
着陸と思っていたが着水だった。
お互い立つことができない。血が出ていても不思議と痛くない。
「大丈夫か?」というと「大丈夫よ」と返事があった。
顔を見ると頭から血が噴き出していて、どうみても大丈夫じゃない。
けれど助かった。キャビンからの拍手が洩れて聞こえてきた。彼らも大丈夫だったようだ。
トイレから出たら自分たちの怪我が一番大きかった。
いつも決断は裏目。離婚のことだって彼女はまだ手を出していたのに、私が先に手を離した。

「あなたの元妻に伝言を伝えなきゃね」
「君の夫にもな」

夜の海にボートで救出を待つ間、星が美しく神聖な気持ちになった。


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