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付箋 〜いつかあなたが気付く頃〜

18/10/07 コンテスト(テーマ):第161回 時空モノガタリ文学賞 【 伝言 】 コメント:0件 新世界 閲覧数:141

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 特別な才能も、容姿もない。自分に期待など微塵もしていないし、蔑まれる視線にも慣れた。家庭や趣味も無い、枯れ果てた植木鉢の残骸の様な中年男。それが僕だ。

 24年勤務する会社にも特段愛着がある訳では無く、飲み会はいつも断るので今ではもう声も掛からない。それでも今日までリストラされなかったのは、与えられた仕事をミスなくこなし、サービス残業も厭わぬ献身ぶりが評価されているのかもしれない。(他にする事も無いので仕方ない)
 晩秋。いつもの終電に滑り込み、途中のコンビニで値引き弁当と缶ビールを買って帰る。風に肩が震え、足早に階段を駆け上がろうとした瞬間、違和感を覚えた。最早素通りが慣例化した階段下の郵便受けを凝視する。見慣れた202号の郵便箱から、封筒の端っこが覗いている。全く心当たりが無かったので不思議に思ったが、早く室内に引っ込みたい気持ちもあって取り合えず封筒を掴んで玄関に駆け込んだ。
 風が遮断された家の中はほんのりと暖かい。持っていた荷物を全てテーブルに置き、手を洗って椅子に腰を下ろす。ネクタイを緩め、ビール缶のタブに指を掛けるとプシュッと小気味よい音が響いた。鞄やら弁当を避け、あの封筒を手繰り寄せる。表には僕の名が書かれているが、送り主の名前は無い。不信に思いながらも封を切ると一冊のノートが入っていて、その中身を見て僕は絶句した。忘れたくて仕方が無かった記憶。僕の人生の中で最も儚く悲しく愛しい23年前の思い出が、波の様に押し寄せて蘇った。

 藤森雪子は大人しい社員だった。申し訳無さそうにいつも下を向いている姿が印象的で、物事を言葉通り受け取る、素直で真面目な性格だった。僕等はその年の新入社員で、同期にも色んなヤツが居たハズなのに、気弱で優しい藤森がいじめのターゲットに認定されるのに時間は掛からなかった。
 ある日、湯飲みの種類がどうとかで先輩にいびられている彼女を見た。理不尽な怒りは日常茶飯事だったが、この日は余程機嫌が悪かったのか、随分長い間、藤森は辛辣で悪意のある説教に耐えていた。俯き、下唇を噛み、どうしたら涙が零れ落ちないかを3日間悩んだ様な横顔が余りにも不憫で、僕の中に何かが芽生えた。それはただのお節介か、あるいは陳腐な同情だったかもしれない。けれど、肩を落とし小さくうなだれる彼女に、僕は何かしてあげたい気持ちが溢れた。だから彼女に渡す社内資料の片隅に付箋を付けて、「貴女は悪くないです。あまり気にしないで」と書いた。
 僕も彼女も仕事はこなしたが、誰と比べても明らかにヒエラルヒーの底辺に格付けされ、不当な扱いを受けていた。しかしあれ以来、僕等は付箋を送りあって互いを励ます戦友になった。業務的な内容も多かったが、時たまある他愛ないやり取りが嬉しかった。デスクに着くとまず、資料に張り付いているかもしれない伝言を探してしまう。彼女とのささやかな応酬は、ツラい毎日を支える秘かな楽しみだった。だけど入社から一年程したある日、それは唐突に終わった。

「えー、今月をもって藤森君が退職します。退社後はご結婚され、家庭に入られるそうです。おめでとう」
 抑揚の無い声で部長が告げると、嘘でしょ、とか下世話な台詞で室内がざわついた。僕は茫然とした。この一年、共に過ごした何かが僕らの間にはあると信じていたが、何も聞いてはいなかった。気まずいまま、あっという間に一ヶ月が過ぎ、藤森雪子は去って行った。

 送られてきたノートには、昔僕が藤森に送った付箋が丁寧に張り付けられている。同封されていた手紙も見つけて読んだ。それは概ね僕への感謝の言葉であり、あの頃僕とのやり取りに心から救われた事、何の取り柄も無い自分が唯一親の期待に添う為に出来たのが見合い結婚だった事、子どもに恵まれ、良い事も悪い事もあったが幸せに暮らした事、そして癌を患いもうすぐ死ぬ事が書かれていた。僕は情けなく部屋中をウロウロし、迷子の様に泣いた。やがて思い出したように押し入れから段ボール箱を引っ張り出すと、一冊のノートを手に取った。僕も彼女と同じ事をしていたのだ。
 ノートには彼女からの付箋が、貰った順番のまま貼られている。彼女の手で書かれた文字を眺め、嗚咽し、指先でなぞる内ふと気が付いた。最後に並んだ8枚の付箋の頭文字……、それは僕が何より彼女と交わしたかった言葉だった。
『あなたがすきです』

 手紙の最後に押し花と、一文が添えられていた。花はカキツバタ、花言葉は『幸せは必ず来る』
 いつからか全て諦めてしまったこんな僕の人生でも、もう一度意味あるものに作り上げる事が出来るだろうか。枯れ葉を巻き上げながら、風が窓を揺らした。静かな決意が僕の中に生まれる。どんなに時間が掛かっても構わない。いつか君の顔を真っ直ぐに見られる自分になったら会いに行くよ。カキツバタを抱えて。


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