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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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小さな森

18/09/24 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:2件 野々小花 閲覧数:228

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 深夜、誰も居なくなった事務所で、私はタイムカードを押した。今月はもう半分を過ぎたが、今のところ休みは一日もない。帰り支度をする気力も無く、その場でしばらくぼうっとしていると、スマートフォンが光った。
<○○も生きて○ま○>
 届いたメールの文字は、所々が文字化けしている。差出人は確認しなくてもわかる。隣の家に住む男からだ。

 就職して二年目になった現在も、大学へ進学するときに借りたアパートに住み続けている。アパートへは、会社から歩いて十分程で着く。玄関は大通りに面していて、その反対側には一軒家が建っている。一軒家を外から見ることはできない。草や木が生い茂って伸び放題になっていて、その中に家がすっぽりと覆い隠されているからだ。私が一軒家の存在に気づいたのは、二階の自分の部屋のベランダで洗濯物を干していたときだった。緑の草木の中に、わずかに赤い屋根が見えた。
 初めて赤い屋根の家に住む男に会ったのは、大学二年の夏。前線の影響で前日から天気が荒れていた。干したままだった洗濯物が風で飛ばされて、その一部が隣の家の敷地内に落下したのだ。恐る恐る、草木を分け入った先に家はあった。インターホンを押すと、「はい」という乾いた男の声がした。
「あの、すみません。隣のマンションに住んでいる者ですけど。こちらの敷地内に洗濯物が落ちてしまって。それで」
 言い終わらないうちに、インターホンはガシャリと切れた。私はなんだか怖くなって、慌てて洗濯物を探して、草木の生い茂る場所から外へ出た。二度と洗濯物が飛ばされないように気を付けよう。そう自分を強く戒めた。
 それなのに、次の年の夏、私はまた同じ理由で隣の家のインターホンを押した。
「洗濯物? ああ。去年のひとか」
 一年前よりは幾分、柔らかい声のような気がした。年季の入った玄関のドアがほんのわずかに開く。こちらを窺うようにして男は立っている。青白い顔だ。表情は無く、年齢はよく分からなかった。
「次にインターホンが鳴ったら、今度こそ勇気を出して話をしてみようと思っていた」
 男の発した言葉の意味が一瞬、理解出来なかった。よくよく話を聞いてみると、他人とまともに会話をするのが久しぶりだということが分かった。男は引きこもりだった。長い間、他人との交流を避けて暮らしてきたらしい。一年前に私が訊ねて以来、新聞の勧誘や訪問販売の業者すら来ていないという。たしかに、外から見れば小さな森だ。中に家があるなんて誰も思わない。
 なぜ引きこもるようになったのか、という理由は、男とメールのやり取りをするようになった現在でも知らないままだ。
 男は一日に一度、決まった時間に「今日も生きています」というメールを送ってくる。私が寄越せと言ったからだ。男の青白い顔は、なんとなく死を連想させた。「一言でいいから、必ず送ってください」という私の要求に、男は毎日応え続けている。
 その「今日も生きています」という文字は、毎日必ず文字化けして送られてくる。なんだか伏字みたいで面白いと思う。日によって文字化けしている部分は違う。おそらく、機種がかなり古いせいなのだろう。こちらから送っても、同じように文字の一部が伏字のようになっているという。

 タイムカードを押すと、ジジッ、という音とともに退勤時間が打刻された。最近、一日のほとんどをこの事務所で過ごしている。男からのメールは毎日届いている。最近は、自分も男に「私も、今日も生きています」とメールを返している。今の私の願いは、起きなくてもいい朝を迎えること。柔らかい布団の中で、昼過ぎまで丸くなっていたい。
 想像したら脳みそがしびれるくらいに幸せな気持ちになった。家に帰って、いつもは疲れてそのまま寝てしまうのに、今日はなぜか湯船に入ろうと思った。湯をためながら、服を着たまま風呂場に座り込む。さっき、男にメールを送った。いつものように「私も、今日も生きています」とは送れなかった。浴槽内に湯気が充満して、温かな熱気に心地良くなる。右手でカミソリを持ち、左手の手首にあてる。幸せな気持ちで眠りたい。もう朝は来ないで欲しい。
 少しずつ薄れていく意識の中で、私はふいに、草木の生い茂る小さな森を見た気がした。

 目が覚めたとき、私は病院のベッドの上にいた。すぐ傍に、青白い顔の男がいる。「あなたは病院に似合う男ですね」と私が言ったら、男は顔を真っ赤にして怒った。そして、こんな風に人に怒ったのは生まれて初めてだと言いながら泣いた。男は、両手で携帯電話を握りしめていた。
 自分が送った四文字が、そのまま古い携帯電話の画面に表示されているのを見た途端、自然と涙があふれてきた。
<たすけて>
 あの日、私が送ったメッセージは、ひとつも文字化けすることなく、小さな森に住む男の元に届いていたのだった。



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このストーリーに関するコメント

18/10/01 待井小雨

拝読させていただきました。
「交流」とも言いがたいほどのささやかなやり取り。けれど隣の家の男にとっては、世界と繋がる光の糸だったのでしょう。そしてそれは主人公にとっても最後にすがることのできる、細く大切な糸だったのだろうなと思いました。
わずかなやりとりの中にお互いを思いやる気持ちが感じられ、ラストでは涙が出ました。

18/11/19 野々小花

待井小雨さま

お読みいただきありがとうございます。
返信が遅くなり、たいへん申し訳ありませんでした。
一見、何気ない関係のように思えても、実際は深く意味がある、というのを書いてみたいと思っていました。
そこそこ上手くできたかなぁと自分では思っています。
ラストシーンは自分でも気に入っているところなので、コメント、とても有難かったです。

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