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月村千秋さん

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伏字アプリ

18/09/20 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:4件 月村千秋 閲覧数:124

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 中学生の息子が不登校になって1年が経つ。
 どうすれば学校に復帰できるのか、その糸口さえも掴めていない私は父親失格なのかもしれなかった。
「ねぇ、父さん。伏字アプリって知ってる?」
 普段は自室で夕食をとる息子が、久々にリビングに下りてきていた。
「いいや?」
「すごいんだよ、これ。自分が言ったことを後から伏字にできるんだ」
「伏字……」
 学校にも行かず、こんなことで時間を費やしているかと思うと、頭が痛くなってくる。
「そう、例えば、父さんって■■■だよね、とか!」
「おい、いま、なんて言ったんだ」
「だから、その部分が伏字になったんだって」
「なんて言ったのかいいなさい」
 私が強く言うと、息子は急に下を向いて立ち上がった。
「もういい。父さんは、全然■■■てくれない」
 バンッ――と、リビングのドアの閉まる音が響いた。
 よくあることだ。少しでも機嫌が悪くなれば、自分の殻に閉じこもる。
 要するに息子はまだ子どもなのだ。
「あんなアプリどこで見つけてきたのかな?」
 妻はのんびりとリンゴをかじっていた。
「おい、頼むぞ。そんな悠長なこと言って、そんなだから……」
「そんなだから、何? あの子はいいの。塾には行ってるし、勉強はできるから」
 私とは対照的に妻は息子に対して楽観的だった。
「それにね、私たちの常識なんてすぐ塗り変わるのよ。明日になったら、むしろさっきのアプリを使わないなんておかしいってことになってるかもしれない」
「馬鹿なこと言わないでくれ」
「そう? でも今はSNSで転職するような時代だし、一概に言えないんじゃない?」
 そう言って、妻はさっさと風呂にいってしまった。
 何が伏字アプリだ。馬鹿馬鹿しい。相手に直接物を言えなくてどうするんだ。
 そして私は八つ当たりのようにぬるくなったビールを飲み込んだ。

 翌朝、出勤すると上司からこう言われた。
「なぁ、君は伏字アプリを知っているかね?」
 私はぎょっとして、上司の顔を凝視してしまった。
「はい。知ってますが、あのアプリが何か……?」
「それがね、今度うちの会社全体であのアプリを導入しようっていう動きがあるんだよ」
「え」
「なんでも、ストレス緩和とハラスメント対策に有効らしいんだよ。そりゃ、どんな失言も、どんな暴言も、後からなかったことにできるからな。溜め込む前に言ってしまえば、何も溜まらないよ」
 理屈としては理解できた。それでも違和感は拭えない。
「しかし、それは信用問題になりませんか。相手が何を言っても消されてしまうなら、何も信じられないじゃないですか」
 上司は、はっはっはと大げさに笑った。
「君も甘いね。今の時代、口約束など誰も信じんよ」
「そんな……」
「あぁ、そうそう。さっきの反論、早速アプリで消しておきたまえ。君が我が社のアプリ使用者第一号だ。よろしく頼むよ」
 釈然としない気持ちを抱えながら、私はアプリをインストールした。
 こういうとき、会社員は辛い。多少理不尽な出来事にも、対応していかなくてはならないのだから。
 自分の発言を取り消すことはボタン一つで簡単にできた。罪悪感もない。というより、上司に反論したという気持ちの重荷から解放されたように感じられて、すっきりとした。たしかにこれはストレス緩和に有効だ。

 それから数ヶ月もしないうちに、伏字アプリはニュースに取り上げられるほどの広がりを見せた。伏字アプリはもはや企業だけでなく、大学や公教育にも導入されている。とうとう息子の学校にも導入が開始されるという報せが届いた。
「ねぇ、父さん。伏字アプリが僕の学校にも導入されるらしいんだ」
「そうだな」
「僕、もう一度学校に行こうと思うんだよね」
「そうか……?」
「母さんはどっちでもいいって言ってくれたけど、父さんは行ってほしいでしょ? それに、あのアプリがあるならやっていけるかなって」
 息子は少し自信がない様子で、ぼそぼそと話し始めた。
「僕はさ、結構思ったことをすぐに言ってしまうんだよね。だから、例えば勉強できない子に対して、どうして先生が言ってた通りに出来ないの? とか言っちゃうんだ。それで、でもそう言うのが駄目だって言われて」
「そうだったのか……」
 息子は息子で迷い傷つき葛藤していたことに、私はそのときになってようやく気づいた。
「自分の発言が誰かを傷つけるなんて、全然分からなくて、だったら誰とも話したくないなって思って。塾は勉強できない子がいないから、安心できて」
「父さんに言ってくれてありがとうな」
「うん」
 照れたように息子は笑いかけてくれた。
 これは何度も私の発言を取り消して、やっとうまくいった会話だった。
 このアプリを使えば、これからも父親としてやっていける。
 息子を騙した罪悪感も消してくれるはずだから。


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このストーリーに関するコメント

18/09/21 文月めぐ

拝読いたしました。
自分の発言をなかったことにできるアプリ、今の世の中には重宝されるかもしれませんね。

18/09/21 月村千秋

〉文月めぐ様
コメントありがとうございます。
そうですね、失言に対する弁明や弁解を許容できない社会に、幸か不幸か、なっているように思います。

18/09/24 待井小雨

拝読させていただきました。
現実にこのようなアプリがあったらどうなるのだろう……と考えさせられました。
上手くいかなかった人間関係は円滑になり、けれどもお互いに本当の信頼を得られないかもしれないな、と思いました。
ちょっと使ってみたい気もします(笑)

18/09/24 月村千秋

> 待井小雨様
コメントありがとうございます。
道具やスキルを使えば人間関係を円滑に進めるのはそれほど難しくない。けれど本当の信頼は得られない。
難しい問題ですね。ただ、自分としてはそこに疑問というか、良い意味での戸惑いみたいなものを持ち続けたいと思っています。
とはいえ、私もこのアプリがあれば使いますが(笑)

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