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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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答え合わせの図書館

18/09/16 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:4件 秋 ひのこ 閲覧数:150

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 私は、頭の悪い子どもだった。
 友だちから「馬鹿がうつる」と避けられ、先生から無視され、親から心底見放されるような。
 そういう、子どもだった。

「ママ、これ何」
 引っ越し先で片っ端から荷物を開梱していると、10歳の娘、千草がやってきた。その手には、ところどころ黒く塗り潰され、黒い斑点が散る色褪せた新聞。私の私物の箱を開けたのだ。今日から母ひとり子ひとりの新生活が始まる。しっかり者の千草は、朝からてきぱきと手伝ってくれていた。
「ママのおじいちゃんがやったの」
「おじいちゃん?」
「うん、マジックでね、こうやってところどころ塗り潰すでしょ。それで私に元の単語は何か当てさせるの」
 たとえばこれ、何だと思う? と指差してみせる。
 大阪に「海遊館」オー●ン
 いまだかつ●ない巨大水槽
 ジンベエ●メが泳ぐ太●洋水槽
 娘はひと目見て「オー【プ】ン」と「ジンベエ【ザ】メ」を即座に当てた。それから少し考え、「かつ【て】」と「太【平】洋」も言い当てる。 
 私が娘くらいの歳の頃は、太平洋と大西洋の区別はおろか、その存在すら知らなかった。この子の学力は、学年上位。別れたばかりの夫にそこだけは感謝する。

 祖父が考えた頭の体操。別のバージョンもある。
 黒く塗り潰した文字をすべて洗い出し、言葉に組み立てなおすのだ。たとえば、潰された字が「か/ん/っ/う/い/が/ど/ん/う/ば/ね/た」だとすると、組み替えて「うんどうかいがんばったね」となる。これはとても、とても、難しい。私は祖父の力を借りながら、それでもいつだって解いた。5日かかっても、解いた。そして祖父は5日間、辛抱強くつきあってくれた。そんなことをしてくれたのは、祖父だけだ。
 「がんばったなあ、えらいぞ」と何度も言い頭を撫でてくれる。そのぎこちない触れ方と、伏字に隠された祖父のメッセージを求めて、私は決して諦めなかった。

「答え合わせはいつも図書館でするの。図書館には新聞があるでしょ。だからふたりで図書館に行って、同じ新聞を見ながら一文字ずつ確認するわけ」
「なんか、面倒くさいことしてたんだね」
 娘は頭はいいが、こういうところも、夫にそっくりだ。
「ママのおじいちゃんて、あたしも会ったことある?」
 夕飯の買い物がてら、千草を連れて散歩に出た。生まれ育ったこの街で、大人になった私が自分の娘を連れて歩くのはどこか気恥ずかしくて、どこか誇らしい。
「ないよ。ママが大学に入学する直前に亡くなった」
 この私が、大学に。
 私が有頂天で新聞を使って「ご/う/か/く/し/た/よ」の組み換え伏字を作っていた頃、祖父は入院先で心臓発作を起こし、誰にも見取られることなく逝った。
 さりげなく道を選び、私は足を止める。満開の桜に埋もれるように立つ、町立図書館。壁は塗り替えられたようだが、それがかえって20年の歳月を感じさせない。
「ちょっと寄り道しよう」
 中に入ると内装も匂いも昔のままで、眩暈がした。ぶらぶらと歩き、新聞閲覧用の広い机のある一角に目をやる。
 やわらかい日の光があたるそこに、老眼鏡をかけて背を丸める老人と、おかっぱ頭の小学生の女の子を見る。黒く塗り潰された文字を骨ばった長い指が差し、少女が机に身を乗り出して隣に並べた図書館の新聞にその文字を探す。
 見つけて太陽のように顔を輝かせる少女の頭を、老人がそっと撫でる。ノートに書いた答えに、先生がやるみたいに自分で赤えんぴつで丸をつける。それが嬉しくてたまらない。
 千草は正しい。なんて面倒くさいことをしていたんだろう。
「ママ、児童書、2階だよ」
 腕を軽く引っ張られた。じどうしょ、なんていう10歳が異性人のように見えた。千草に手を引かれてその場を去りかける際、もう一度閲覧机に目をやる。新聞とにらめっこをする少女の傍らで、老人がちらりとこちらを見た。
「あ」
 まさかと瞬きをし、目を開けるとお約束のようにそこには誰もいなかった。
「ねえ、伏字あそび、やってみたい?」
 一歩先を行く千草に聞いてみる。
「結構ハマるよ。謎解きみたいで」
「やだ。意味なさそうだし面倒」
 千草はにべもなく切り捨て、児童書コーナーへ足早に向かう。
 祖父はあの家で、私の両親とあまりうまくいっていなかった。家の中で、祖父も頭の悪い私も居場所がない。図書館は、祖父とお出かけし、栄光の赤丸をつけ、祖父が褒めてくれる。そういう、場所だった。
「ママ、またやってみようかな。頭の体操にもなるし」
「新聞買うのはダメ。節約しないと」
 ぴしゃりと千草が釘を差す。この子がいれば、生きていける気がする。夫とは無理だったが。
 この子と、この図書館があれば、きっと大丈夫だ。
 吹き抜けの回廊からひょいと下を見下ろす。
 少女と老人が肩を並べ新聞に向き合う姿が見えた。


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このストーリーに関するコメント

18/09/16 hayakawa

優しい素晴らしい作品でした。

18/09/17 秋 ひのこ

はやかわさま
こんにちは。コメントをありがとうございました。
本当はもっとやさしく書きたかったのですが、またまた2000文字の壁に悩まされました(^^;)

18/09/24 待井小雨

拝読させていただきました。
おじいさんと主人公のやり取りが暖かく、また切ない物語でした。
おじいさんにとっても主人公にとっても、かけがえなく大切な思い出だったのだろうなと思いました。

18/09/28 秋 ひのこ

待井小雨さま
こんにちは、返信が遅くなり申し訳ありません。
祖父にとっても主人公が拠り所であったところが伝われば嬉しいです。
感想をありがとうございました!

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