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白汐鈴さん

白鶺鴒〈ハクセキレイ〉 そこらへんをうろちょろしてる、小さな鳥です。

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海風の部屋

18/09/11 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:1件 白汐鈴 閲覧数:250

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 レースのカーテンが揺れていた。
 もとは真っ白だったその布は、柔らかく風を纏いゆらゆらと乳白色の陰影を浮かべ、くすんだ色が経た時の長さを感じさせた。
 窓を開けたのはいつぶりだろう。
 閉ざされた扉の向こうに、この部屋はずっとあり続けていた。

 姉は美しい人だった。
 真白なカーテンの脇に立ち、ゆるりと吹き込んだ風がその髪をかきあげ、陽を透かし、ふと彼女が私に気づいて身をかがめると、白い肌に朱の唇が際立っていた。
 ヒロコのほっぺはりんごみたい。
 口の端をあげ、ガラス瓶からいくつか飴玉を取り出して私に握らせる。姉の手はいつも冷たかった。
 テーブルには便箋とペンがあり、私がのぞき見ようとすると姉は優しくダメよと言い、するりとその紙を隠してしまう。ヒロコはこっちと差し出されるのは裏の白いチラシと色鉛筆で、居間でお絵描きしようと手を引かれた。
 ときおり、姉と二人で出かけた。手をつなぎ歩く海沿いの道で、「仲良しねえ」といつも同じ言葉をかける干物屋の小母さんがいた。姉は遠目にその干物屋をうかがい、避けるように足早に海だけ見つめて歩いていた。
 一度だけ、おねえちゃんはあのおばさんが嫌いなの、と聞いたことがあった。そんなことないわ、おばさんはいい人よ。そう言った姉はどこか居心地悪そうで、私はふうんとうなずいて、もうこの話はしないことにした。
 あの頃の姉はたしかに姉であり、そして一人の大人の女性だった。

 ある朝、それは何かの予感のように、私は普段よりずいぶん早く目を覚ました。まだ父も母も布団のなかで、体を起こすと母がなあにと眠そうに目をこすり、私はトイレと答えて部屋を出た。
 階段を降りると、姉の部屋の扉がわずかに開いており、そろりと中をのぞき込んだ。二日に一度は共に眠る姉のベッドに、私はこの時もぐり込むつもりでいた。と、潮の匂いが風とともに頬をなでた。
 カーテンが風をはらみ、半分ほど開いた窓がカタカタと小さな音を立てた。波と、車の音がかすかに聞こえた。おねえちゃんと口にしながら、そこに誰も居ないことは明らかだった。
 不意に、姉はいなくなったのだと悟った。残り香をすべて消し去るように風を入れ、朝の冷やりとした空気が、ここには誰も戻ってこないのだとささやいた。
 テーブルのうえにはガラス瓶があり、飴玉は目一杯に詰め込まれていた。私はその飴を一日にひとつずつほおばり、それが半分ほどになっても姉が戻ってくることはなかった。
 両親が慌てふためいたのは姉がいなくなったその日だけで、父がかけた何本目かの電話のあと姉の部屋に二人でこもり、そうして出てきた時には「おねえちゃんはしばらくおでかけだから、さみしいかもしれないけどがまんしてね」と諭すように私に言った。
 ある日、母と手をつないで海沿いの道を歩いていると、干物屋の小母さんが「元気?」と声をかけてきた。母は、いつかの姉と同じように居心地悪そうな笑みを浮かべ、ちょっと待っててねと私を遠ざけて二人で話しはじめた。
 道の端で寄ってきた野良猫と戯れながらチラチラと二人の様子をうかがい、何度か小母さんと目が合った。私はどこか居心地悪く、姉があの小母さんを避けた理由がなんとなく分かったような気がした。
 私が姉からの手紙を見つけたのは、ガラス瓶のなかの飴玉がもうあと数日でなくなるという頃だった。瓶の底に小さく折りたたまれた紙があり、「ヒロコへ」と青みがかったインクの文字が見えた。

 ごめんね、ヒロコ。必ず迎えに行くから。●●●と一緒に三人で暮らそう。

 走り書きの文字を前に、両親には見せてはいけないものだと思った。ガラス瓶の底にその紙を戻し、私は自分で買った飴玉を蓋が閉まらないほどいっぱいに詰め込んで自室に持ち帰った。
 ペンでぐしゃぐしゃと消された「●●●」が誰なのか、その答えから目を逸らすように、私は空っぽになったあの部屋のことを頭の端に追いやった。
 小学校を出て中学に入り、高校になっても姉からの連絡はなかった。ひと月ほど前に卒業式も終わり、私は明日この家を出る。

 レースのカーテンが揺れ、潮の匂いがした。
 キィとドアの軋む音とともに、ヒロコと名を呼ばれて振り返る。ドアの脇に立つその人は、どこか淋しげな笑みを浮かべていた。
 いつだったか、ガラス瓶の色とりどりの飴玉が、中身はそのままにその位置を変えていたことがあった。

「なあに? お母さん」

 母はほっと息を吐き、居間でお茶にしましょうと姿を消した。
 カーテンが風をはらみ、背の中ほどまで伸びた髪が風で舞う。おかあさん。ぽつりと呟き、私は窓を閉めて居間に向かった。


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このストーリーに関するコメント

18/09/16 hayakawa

ダイヤモンドのように輝く文章。そして一つの展開。素晴らしいです。

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