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浅月庵さん

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書き置きが読めない

18/09/02 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:2件 浅月庵 閲覧数:319

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 ◇
 朝起きると僕は、文字が読めなくなっていた。
 いや、正確に言うと妻の書き置き“だけ”が読めなかったのだ。

 ケータイのホーム画面は、今日が元日であることを示していたし、テーブルに置かれた新聞の見出しは、白ヌキ文字で僕の目に容赦なく飛び込んでくる。

 だけど、テーブルに置かれている少し皺の寄ったコピー用紙。そこに残された、見慣れたはずの妻の筆跡は、僕には××××と記号のようにしか思えなくて、脳で上手く処理することができない。

 ーー手紙を残すのは妻の日課であった。
 子どももおらず、共働きをしている僕たち夫婦は朝、妻の方が家を出るのが早い。
 それにもかかわらず、彼女は毎朝律儀にお弁当を作って用意してくれた。

 そして、お弁当に添えられた手紙は、僕の労をねぎらう言葉だったり、夜に話せなかったちょっとした笑い話が書かれていて、僕にとって癒しとなっていたのだ。

 ◇
 真冬でもお構いなしに冷水で顔を洗うと、時計に目をやる。現在の時刻は八時三十二分。正月休みでなければとっくに仕事へ向かっている時間帯だ。

 ん、待てよ。そういえば彼女はどこへ行ったんだ? 確か妻の会社も三が日までは休みだったはずだし、こんな朝早くから家を空けなければいけない理由もないはずだ。

 なんの気なしにテレビを点ける。いつもだったら大笑いなはずのバラエティ番組も、なんだか今日は笑えない。僕はそのまま空になったビール缶やおつまみの袋を除けるようにして、腕を伸ばしながら上半身をテーブルの上に投げ出す。
 すると、頬の辺りになんらかの液体が付着し、不快感を覚えて起き上がると、パーカーの腕の部分も一緒に汚れていることに気がつく。

「風呂でも入るか」
 僕は浴室に足を踏み入れ、湯を張るために浴槽の蓋を開く。僕の瞳に予期せぬものが映り込んで、思わず腰を抜かしそうになる。なにやら赤黒いものがーー髪の毛だ。いや頭頂部だ。これは人間の頭頂部で、誰かが浴槽のなかで体育座りをしている。一体これは誰だ? 一体これは、

 妻、だ。

 僕の脳がミキサーに投げ込まれたみたいにシェイクされて、首から上がガクガクと震えだす。
 僕の記憶をVHSのようにやかましい音を立て、巻き戻そうとでもしているかのように、僕はその後も震え続ける。
 そして、胃の内容物を嘔吐して膝をついたときに、すべてを思いだしたのだ。

 妻を殺したのは僕、だ。

 ◇
 年末のカウントダウンをすることなく、先に寝てしまった僕は、尿意を催して深夜に目を覚ます。
 すると、先ほどまでパジャマ姿だったはずの妻がなにやら小綺麗な格好で、手紙を書いていた。
「なにしてるんだ?」
 すっかり僕が朝まで眠るものだと思い込んでいた妻は、唐突な僕の問いかけに驚く。書きかけの手紙を始末しようと、紙に指をかけて丸めようとしたその挙動に違和感を覚え、僕はそれを強引に奪い取る。

 手紙には、他に好きな人ができたこと。これからその人の元へ行くこと。心機一転のために、僕との別れを年末から新年にかけてのタイミングに選んだことが書かれていた。

「あまりにも酷い仕打ちだな」
 僕は会社の野球大会で使ったバットを持ちだし、妻の頭を数回殴った。彼女がこと切れるまで、そう時間は要さなかった。テーブルの上の鮮血。僕は死んだ妻を浴槽に運んだ。悪い夢を見てるんだ、と思い込むことにした。このままもう一度眠れば、すべては元通りにーー。

 なるはずなかった。僕は自分の記憶を一時的に箱のなかにしまった。だけど、妻の書き置きを読んでしまえば、僕の凶行は再びフラッシュバックしてしまう。都合の良い僕の頭は、これまた妻の手紙だけを認識できないようにした。捨ててしまえばよかったのに。

 “読めないことにしたのだ”。

 ◇
 僕はこれから妻の後を追う。

 だけど最後に、この結婚生活で一度も彼女に書いたことのなかった手紙を綴ってみる。グータラで、不甲斐ない僕だったけど、妻への愛情だけは本物だったのだ。それだけはここに書き遺すべきだと思ったのだ。

 想いを、魂を込めた手紙を書き終え、僕はペンを置く。台所から包丁を持ってくる。自分の首に突き刺す。間欠泉のように血が噴き出す。僕はゆっくりと仰向けに倒れ、自分の最後を実感する。死の際に見た光景は、血に塗れた妻の顔。

 ーー僕もすぐ、そっちへ行くからね。

 ◇
 頭が割れ、血を流しながらも、気絶しただけで死んではいなかった妻が、血の海に沈む僕の死体を見下ろす。彼女は絶叫するでも悲しむ様子を見せるでもなく、ただ抜け殻のように立ち尽くす。

 しばらくして僕の書き置きに気づき、指で摘み上げて少しだけ目を通すと、それを無気力に床へと落とした。

 ーーその手紙は僕の血に染まっていて、彼女は書き置きが読めない。


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このストーリーに関するコメント

18/09/04 文月めぐ

拝読いたしました。
怖いと感じながらも先を読まずにはいられない、そんな小説でした。

18/09/12 浅月庵

文月さん
作品お読みいただきありがとうございます!
あまりホラーテイストのものは最近書かないのですが、挑戦してみました。
最後まで読んでもらえるよういつも意識して書いているので、そう言っていただけるととても嬉しいです。

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