1. トップページ
  2. 誰を、思いやるがゆえ

秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。 ……ということも言ってられず、ついに虫歯を治療しましたところ、ちっとも奥歯の不快感が消えてくれないので、「先生、虫歯を見落としていませんか。虫歯がまだ残っていると思われます」と大変失礼なことを尋ねてみましたら、「それ、本当に歯が痛いのですか。歯茎は少し腫れていますが、本当に歯ですか」と逆に聞かれ、やっぱり恥ずかしい思いをしました。こんにちは。 

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

誰を、思いやるがゆえ

18/08/25 コンテスト(テーマ):第160回 時空モノガタリ文学賞 【 伏字 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:186

この作品を評価する

 大学を卒業する年、まだ高校生の彼とつき合い始めた。
 人懐っこい子どものようなAを、私は無垢な犬みたいに可愛がった。私の家に入り浸ることを喜び、ろくに勉強もバイトもしなくとも、その伸び伸びとした姿を微笑ましく愛でた。
 自分の変化に気づき始めたのは、就職して3年目、Aが大学2年の年だ。

『西森教授、盲●で入院だって。ラッ●ー、休講!』
『今夜、餃子求ム。王●の再現レシピ、あれまた作って』
 仕事中に入ってくるAからのライン。私はそれを、女子トイレで確認する。
「彼から? マメだねえ。さすが若い」
 自分もスマホをチェックしながら、総務の順子が含み笑いを浮かべる。
「学生だからね」
 いいなー、と順子が笑い、私はAへの返事に迷う。
 相変わらずバイトも勉強もろくにしない、時間だけはあるA。どうでもいい内容をこまめに送ってくる。19時まで働く私に、餃子を作れと悪気なく言えてしまう無邪気なA。

「別れたい」
 その言葉は、案外するりと喉からこぼれた。
 餃子を前にした、21時半。Aが愛らしい目をきょとんとさせてこちらを見返す。
「なんで」
「はっきり言うね。私が社会に出たことで、あなたに対する感覚が変わってしまった。私はもう、あなたの良さを良いと思えない。無邪気で素直なところを、子どもっぽいと思ってしまう。だから」
 Aはぷーっと膨れ、突然携帯をいじり出した。彼がよくやる行動だ。気まずさを回避しようとしているのか、たとえば外で一緒にコーヒーを飲んでいても、会話が途絶えると向かいの席からラインを送ってきたりする。
 私の携帯が鳴った。
『すげ。直球すぎ。会社の社会人サマに洗●された? ちょっと落ち着こーよ』
「前から、思ってたんだけど」
 私は携帯を伏せ、まっすぐにAを見る。
「なんで伏字を使うの? 癖だよね?」
「え。そんなの考えたことなかった」
 心から驚いた様子でAが答え、それから急に言い訳をする子どものような、いやらしいほど奇妙な笑みを浮かべる。
「伏字にしないと直球すぎてなんかアレでしょ。エチケット的な?」
「教授が入院して休講になってラッキーだってはっきり言いたくないのは、誰に対する気遣い? 罪悪感?」  
 Aが拗ねたように睨んでくる。その顔に、じりじりと苛立ちが滲んでいる。
「前に私の父が倒れた時に『お父さん、肺●ンてヤバイじゃん』ってラインしてきたよね。肺ガンのガの字を伏せて。何を、自分の口で言いたくないの?」
 明言を避ければ何を言ってもいいのか。伏せても100%伝わることが前提のくせに。その逃げ腰で浅はかな構えが、Aの子どもっぽさを強調するようで苛々する。
 うるさいっ、と怒鳴り、Aがそっぽを向いた。
 いつもはこうなると、私が「ごめんね、言いすぎた」とひたすら宥める。愛らしい少年だったはずのAは、もうただの幼稚な怠け者にしか見えない。
 
 翌日、順子が私のもとへ駆け寄り、強引に給湯室へ引きずり込んだ。
「やばいよ、彼。SNSであんたの悪口めちゃ書いてるよ」
 これ、と差し出された順子のスマホを見て、息が詰まった。
 堂々と、私の名前がフルネームで何度も何度も。出身校も会社名も出し、私にまつわる彼の思いが、稚拙で悪意に満ちた言葉で綴られている。そこに、彼特有の伏字はただのひとつも、ない。
 頭の中が、白く飛んだ。



「帰宅し、投稿を削除するよう要求。被疑者が拒否したため口論に発展。出て行こうとした被害者を追いかけ、行かせまいと階段から突き落とす。被疑者は『伏字を怒られたからやめたら、もっと怒られた。意味がわからない』と」
 事件概要を読み上げ、新人記者は呆れたように額に手をあてる。
「馬鹿がまたひとり人を殺しましたね」
 隣でベテラン記者が被害者の顔写真を前に渋い顔をする。24歳。知的で真面目そうな顔をした女性だ。
「せめて犯人の名前を晒してやりたいよな」
「19ですもんね。ギリギリ未成年。せいぜいAとしか」
「ただアレだ。この事件、扱いようによってはなかなか深いぞ。伏せときゃ何言ってもいいっていう風潮に警鐘を鳴らす方向でルポの1本でも書けるかもしれん」
「先輩、それいつか書きたいって言ってたネタじゃないすか。ずるいなあ、利用しちゃって」
「そうでもしなきゃ被害者が気の毒だろうが。殺された直接の原因じゃないにせよ、この子が言いたくて、この伏字野郎が理解できなかったことが俺にはわかる。それを汲み取ってやりたいんだよ。大体俺は嫌いなんだ。世の中、どうでもいいことばっかり伏字にしやがって。結局丸見えじゃねえか」
 事務所でつけっ放しのテレビで芸能記者が発言し、テロップが大きく出る。
『演歌界大御所Sが六本木で乱*(チョメ)パーティ!』
 どっと沸くスタジオ。
 若い記者は苦笑し、コーヒーをすすった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン