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蝉の動向

18/08/17 コンテスト(テーマ):第159回 時空モノガタリ文学賞 【 片想い 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:120

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「強引にでもキスしとけばよかったな……」
 仰向けの太郎が天井を見ながら茶色いため息を不精髭のすき間から吹き出した。次郎はちゃぶ台の上に置いた鍋からラーメンをすすりながらテレビを見ている。
 ジリジリジリジリと蝉が騒いでいるが、設定温度20度のエアコンに冷やされた部屋にいるとそれは遠い異国の出来事に思えるのだ。次郎は太郎を見る代わりにちゃぶ台に置かれた半分になったウィスキーのボトルを見つめた。
――朝はもっとあったはずだ。そして、まだ正午すぎだ。このドブ茶色の液体を取り込むことで、花子だとかという女が天井に現れて太郎に向かって微笑むとでもいうのか……
 そんな次郎の心の声が聞こえたのか、太郎は突然むくっと半身を起こした。
「なに食べてんだ?」
「ラーメン、わかめラーメン。喰うか?」
 太郎はそれには答えず煙草に火をつけた。映画館を出た時のような顔で現実とチューニングしているようだった。しかし、それは不可能なことだった。
「やっぱりキスしとけばよかったよな……」
「だれと?」
 次郎はテレビを見ながらとぼけてみた。
「え?だから、花子さんだよ、前はなしたろ」
「あぁ」
 テレビでは芸能人たちが騒いでいたが、なんで騒いでいるのか次郎は知らないし知りたいとも思わなかった。が、太郎を見ないためだけに次郎はその騒ぎを見守った。
「頬に、か?」
「唇に、だ」
「ディープ、か?」
 太郎は左手でウィスキーをあおり右手で煙草を荒々しく灰皿に押し付けた。
「当たり前だろっ!」
 次郎はテレビを消して、太郎のつりあがった蝉のような目を見た。
「そこは居酒屋だったんだっけ?」
「そうだ」
「その花子ってのはおまえの隣にいたのか?」
「そうだ」
「その花子ってのはおまえに気がありそうだったのか?」
「わからん」
 仮に気があったとしても拒絶するだろう、と社会学的正論を述べようとして辞めた。代わりにテレビをつけた。相変わらず芸能人たちが蝉みたいに騒いでいる。
「仮にだぞ、仮に拒絶されたらどうする?」
「強引にいってればよかったな……」
「セクハラだぞ」
「で?」
「場合によっちゃ犯罪だぞ、いや犯罪だ」
「で?」
「刑務所。そして社会的に排除されるんだぞ」
「で?」
 次郎はなんだかわからないが焦りを感じた。乾燥わかめがどんどん巨大になっていく。次郎が今まで用いてきた方程式が急に安っぽく感じられた。
「下手したら死刑だぞ」
 と次郎は意地悪な冗談を言った。が、太郎はその冗談には反応せず、何か重大な結論を導きだそうとしているのか、姿勢を正し眉間にしわを寄せた。
「死刑も悪くないかもしれない。もし花子さんと一瞬であったとしてもつながれるのであれば」
 まるで義父に結婚のあいさつをしているようだったので次郎はテレビをあわてて消して箸をおいた。しかし、太郎がまたウィスキーをあおったので、その固まった空気は一瞬にして溶けた。そして、太郎はまた映画館へともどっていった。
「花子さんはな、人妻なんだよ、実は。相手は目ん玉の青いスイス人ときた」
 太郎は目を閉じたままつぶやいた。太郎のモンゴル顔がより一層モンゴル顔に次郎に映っていた。
「笑ってもいいぞ、オレのこと、ふふふ」
「……」
 次郎は笑う気にはなれなかった。ただ蝉の鳴き声がやけに大きく聴こえ、それが笑っているようにも聞こえてきた。

 太郎という蝉が狂ったように鳴きながら、花子という蝉に向かっていった。花子はあわてて逃げ出した。しかし、明らかに全力で逃げていない。後ろをチラチラ見ている。そのうち太郎は花子に追いついた。そして、狂ったように交尾をした。
 その交尾の様子を青い目の蝉は目撃していた。怒った青い目の蝉はすぐさま攻撃態勢に入った。しかし、突然、尖がった青い目の端に金髪の蝉の姿が入って来た。青い目の蝉は金髪の蝉に向かって鳴いた。金髪の蝉は聴こえないふりをしている。青い目の蝉は金髪の蝉に向かって飛び立った。
 交尾を終えた花子は、産卵する場所を早速ネットで検索し始めた。
「太郎さん、あんたも探すのを手伝っておくれ」
「けっ、オイラはパチンコにいってくらぁ」
 といって太郎は飛び立った。太郎はそれっきり花子のもとには戻ってこなかった。

「おまえ、最低だな」
 次郎は、太郎のだらしなく露出されたビール腹を見ながら言った。
 太郎の目は閉じられていた。寝ているのだろうか。しかし、口はニヤニヤしている。
――花子、逃げろっ
 次郎は一度捨てた方程式をゴミ箱から取り出すのであった。


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