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みゆみゆさん

「芥川賞を目指して小説を書きたい」と友人に話したところ、まずは2000字をコツコツ書いていくといいよと、「時空モノガタリ」を紹介してもらいました。コツコツやってみます。

性別 女性
将来の夢 健康な一人暮らし
座右の銘 「人は人、自分は自分」

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ハッチ

18/08/16 コンテスト(テーマ):第159回 時空モノガタリ文学賞 【 片想い 】 コメント:0件 みゆみゆ 閲覧数:284

時空モノガタリからの選評

モノを大事にすれば心が通じ合うような気がするのは、おそらく自分自身の心の投影がなされているからなのでしょう。愛着のあるモノとの別れには、人間と同じように痛みが伴うものですね。擬人化された車のハッチの感情は、決して叶うことのない片思いの辛さを代弁していると思います。

時空モノガタリK

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 僕の名前はハッチ。コンパクトハッチバック車だからハッチだと、ユリちゃんが名付けてくれた。彼女は免許を取りたてだったからあちこちに傷も付いたけれど、そんなことは最初のうちだけだったし、ユリちゃんのお父さんはいつでもちゃんとディーラーさんに傷の修理を頼んでくれていたから、何の問題もなかった。
 ユリちゃんの通う大学やアルバイト先への往復のほか、いろんな場所へ僕らは出掛けていった。知らない田舎道をグングン走り抜けたり、高速を利用して隣の県まで冒険に出たり、ユリちゃんのお友達を乗せて、日帰り温泉を楽しむこともあった。走行距離のメーターが上がるにつれて、僕たちはドライブへの自信をつけていった。
 「さあ、行こうかハッチ」
 そう声を掛けられるだけで、月まで行ける気がするほど僕は嬉しくなった。

 ある日ユリちゃんは、自販機ひとつ無い、やたらと木の生えている公園の駐車場で僕を止めた。お気に入りのパン屋でサンドイッチかなんかを買って(それとコーヒー牛乳も)、一人きりの静かな昼食をここで時々とっている。でもその日は、パン屋を素通りして来ていた。カナカナカナ・・・というヒグラシの鳴き声にもたれてエンジンを休ませていると、とつぜんユリちゃんが喋りだした。ユリちゃんは、自分で書いたラブレターを声に出して読んでいた。僕に向けられていない声が、ダッシュボードや背もたれに染み込んでいく。僕の知らない、大学の中でのユリちゃんの気配がそこにはあった。駐車場を吹き抜ける風は夏の終わりを感じさせる涼しさを含んでいて、木陰からはみ出した熱いボンネットの上を優しく通り過ぎていった。
 ユリちゃんと両想いになったメガネくんを紹介された。もし彼が僕を運転すると言い出したら何処にハンドルを隠そうかと真剣に考えた。だからユリちゃんがハッキリと「ハッチの運転は私がするの」と宣言した時には、まるで最高級のハイオクガソリンを満タンに詰められたような心地よさだった。実際には、ハイオクの味わいはまだ知らないのだけれど。
 助手席のメガネくんに焼きもちをやいたところでどうしようもない。この感情を突き詰めていくと、メガネくんではなく人間を羨むことになってしまう。僕は車としての誇りを持っていた。メガネくんは僕のことを「ユリちゃんのハッチ」と呼んで、マメに洗車をしてくれて、ガソリン代を毎回払っていた。季節は穏やかに流れ、その穏やかな日々しか知らない僕は、それが続いていくのをあまりにも当然に考えていた。
 ユリちゃんとメガネくんは、就職のため揃って上京することになり、僕は地元の中古車ショップへ売られることになった。これが大学生活の最後に用意された、僕の片想いのフィナーレだ。
 僕を選ぶ時にはお父さんと一緒だったユリちゃんは、お別れのセレモニーにメガネくんを招待した。その日の中古車ショップは接客テーブルがすべて埋まっていて、ユリちゃんたちは事務所脇のガラス戸を開けたところでやりとりしていた。フロントガラスの正面で、ディーラーさんがキーを受け取っている。思い出の詰まったキーホルダーがすべて外されたあの平べったい銀色は、僕の骨だ。ウォッシャー液がカラカラに干上がっていくような感覚が苦しくて、後方に意識を向けた、その時だった。減速を全くしないまま、真っ直ぐに走ってくるセダンがバックミラーに映ったのだ。僕の愛は一瞬もひるまずに奇跡を起こした。僕のクラクションにハッとした三人は、咄嗟に後ずさりをしてガラス戸の内側に入った。と同時に僕のボディは激しい衝撃音を上げてセダンに押し倒されたのだ。僕はクラクションを響かせた瞬間にハンドルも切っていたから(本当に奇跡だ)、車体はガラス戸をよけるように斜めに倒れて止まることができた。

 僕のボディは派手に潰されていた。パーツの一つ一つを無理やり剥がされるような激痛が駆け巡る。それにもかかわらず、僕は大いに満足していた。キーを手放した後でも変わらずに、僕を「ハッチ」と呼んで叫んでいるユリちゃんの声や様子で、彼女もメガネくんも無事だったのが分かったからだ。それだけでもう、十分だった。ラブレターを書けなくても、気持ちを表現することが出来たのだから。
 セダンを運転していたおじいさんを乗せた救急車が出ていったすぐ後に、レッカー車がやってきた。僕の鼻先からは、おととい降った雨がたらりと流れ出ていた。「ハッチが泣いてる」と言って、自分こそ泣きじゃくりながら、ユリちゃんは震える手で何度も僕を撫でてくれた。僕のよく知っている、ほっそりとしたやわらかい手。君以外には、誰にも僕のハンドルに触れて欲しくはなかった。泣かないでユリちゃん。廃車になるのが本望だなんて、僕は、本当に特別な経験をしたと思う。ねえユリちゃん、片想いって素敵だね。すべて君のおかげなんだ。今までありがとう。さようなら。


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