1. トップページ
  2. Mからの逃走

白汐鈴さん

白鶺鴒〈ハクセキレイ〉 そこらへんをうろちょろしてる、小さな鳥です。

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

Mからの逃走

18/08/16 コンテスト(テーマ):第159回 時空モノガタリ文学賞 【 片想い 】 コメント:0件 白汐鈴 閲覧数:92

この作品を評価する

 片想い病。友人たちは純菜のことをそう言った。
 竹を割ったような性格の彼女は、気になる相手ができると躊躇わず距離を縮めた。友情なのか愛情なのか曖昧ではあったが、下ネタ話にも平気で加わるざっくばらんな気安さに好感を抱く男もいた。そして、純菜みずから「好き」と相手に宣言するのは、決まってその相手に別の女が現れたときだった。
「失恋しちゃった」
 泣き腫らした目を化粧でごまかし、純菜は笑顔だった。失恋を求めるように告白する彼女のことを友人たちは理解できず、それでも「元気出して」と飲みに連れ出すのが恒例だった。
 タチが悪いのは、相手が純菜に好意を抱いたときだ。何度か二人で出かけ、多少のスキンシップもあり、けれど純菜は頑なに「友達」の距離を保った。それはあくまで純菜がそう思っていたというだけで、腕だろうが頬だろうが、肌と肌が触れあえば男たちがそこに特別な感情を見出しても不思議ではない。
 純菜はいざ相手が自分に好意を示しはじめると、途端に手のひらを返し「好きな人ができた」とその相手に恋愛相談をもちかけた。その拒絶を押して言い寄る男もいたが、そのすべてが玉砕し、けれどそれは少数で、何もなかったように友人関係をつづける男がほとんどだった。男たちの気持ちなどその程度、私の価値なんてそんなものよね。純菜はまた別の男に目を向けるのだった。
 ひらりひらりと男に近づき、誰とも愛を育むことなく、二十代のあいだは片想いと失恋をネタに女子会を盛り上げた。三十路を迎え、その話題が恋バナから旦那の愚痴と育児、ママ友の悩み相談に変わり、純菜は何人かの独身者とともに「大変そうね」と相槌をうち、ネタを供給する必要がなければ恋愛など意味がないというように、「片想い病」はぱったりと影を潜めた。

 顔も知らぬ待ち人の姿を窓際の席でぼんやりと頭に描き、純菜はアイスコーヒーにシロップを入れてかき混ぜた。カラカラと氷のぶつかる音がする。夏でも冬でもアイスコーヒーばかりを飲んでいた「M」のことを思い出していた。
 ずいぶん気が合い、一緒にいたいと思っていたMを、彼女はたしかに傷つけた。Mは片想い病の最初の被害者だった。けれどMが落ち込んでいたという話を友人から聞いたとき、純菜のなかにあったのは彼への謝罪の気持ちではなく、自分への不信感だった。
 一年近くMに想いを寄せ、とはいえ女らしさをもって彼にアピールすることは恥ずかしく、それでも少しずつ距離を縮めて何度か一緒にでかけ、蛍狩りに行った夜には人目を忍んで抱き合った。このまま何の言葉もなくとも恋人同士になれるのだと、疑うことなく純菜はその恋に身を任せるつもりでいた。まさか、自分の気持ちが百八十度裏返るとは思いもしなかった。
 十人ほどの飲み会で、Mは「俺の女」とばかりに純菜をお姫様抱っこして隣に座らせ、まわりの人間たちもずいぶん酔っ払い、そして、純菜のなかにはこのままなし崩しに「Mの女」になることに強烈な拒絶が生まれた。その理由が彼女にはいまだに分からない。
 Mに黙ってこっそりと飲み会を抜け出し、そのとき家まで送ってくれた男は「純菜はひどいやつだ」と柔らかい表情で彼女の髪をくしゃりとなで、その男が純菜の次の片想い相手となった。もちろん両想いにはなっていない。
 四十路に入り、十年近く遠のいていた恋愛は、純菜にとってはすでに不要のものとなっていた。一人で生きていけばいいと覚悟を決めたつもりでも、ときおり寂しさが心を支配する。それでも「女」としての役割を押しつけられて生きるより、一人の寂しさに堪えることを選んできた。
 久しぶりに「紹介したい男性がいる」と友人に勧められたその話を、以前のように撥ね付けることを躊躇い、純菜はふと折り返し地点を過ぎたのだと思う。その相手は純菜よりも十歳年上で、唯一の家族である母親を昨年亡くしたらしかった。
 隣に座る友人が、「今回は片想い病は勘弁してね」と目尻に皺を寄せた。純菜はいまだに自分を信じられないでいる。唐突に相手を拒絶し逃げ出す自分の姿を想像した。
「もう子どもは産めないし家事も好きじゃない。それでも会おうと思う男の心理って何?」
 看取ってほしいんじゃないの、と友人は冗談なのか本気なのかそう口にした。ならば自分は誰に看取られるのか。孤独の予感はあったが、純菜の胸にあったわだかまりがわずかに消えた。
 父にかいがいしく尽くし、死ぬまで良き妻良き母であろうとしたあの人が果たして幸せだったのか、純菜はときおり考える。妻の病を直視できず娘に任せきりだった父は、不機嫌さで怖れをごまかし、残され枯れてゆく。
 カランとドアベルが鳴り、友人が男に向かって手をあげた。テーブルにチラと目を向けたその男は、店員にすれ違いざま声をかける。
 ――ホットで。
 わだかまりが、またわずかに消えた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン