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あとがき

18/07/23 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 雨のかえる 閲覧数:100

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『人生150年・渋谷タケオの生涯』をお読みくださり、ありがとうございます。

きっと多くの方が、このあとがきまで行き着かず、途中で「とんだイカサマだ」と本を投げ捨てているのではないか、と十分承知しています。もしくはこのあとがきから読まれている読者の方もいるでしょうか。
それならば都合が良い、どうか私の話を今一度お聞き願いたい。


私は1970年7月10日、東京下町で生まれました。
そして最大の謎だと思いでしょうが、生まれた瞬間、私の年齢は70才あまりだったのです。

前世の私の記憶が乗り移ったのか、そんなオカルトなことを言うつもりはありません。しかし私は確かに老人であり、目の前の年端もいかぬ夫婦に「こんにちは、赤ちゃん。私がママよ」などと言われても、誰のことだかさっぱりわからなかったのです。私は力を込めて言いました。
「姉ちゃん、ボケてんのか?」と。しかし、私の口も舌もとても小さく、そして私の脳みそはそんな小さなパーツに対応できるほどの柔軟さを用いていなかったのです。
ですから私の叫びは、この若夫婦にとってただただ口をパクつかせ「オギャー、オギャー」と喚いているようにしか聞こえなかったようです。
すぐに抱き上げられ、こともあろうか若い娘の乳房を口にくわえさせられたのです。老いたとはいえ、私も男です。素直に口に含んだ乳房を堪能しました。そして、口に広がるなんとも豊潤な液体の虜になってしまったのです。
しかしながら、私にもプライドがあります。まさかオシメをつけられるとは、羞恥で顔を真っ赤にして「トイレへ! 早くトイレへ連れて行ってくれー!」と泣き叫びました。しかしながら、私の言葉は虚しくもまたもや泣き叫ぶ声ばかりが部屋中に響き渡るのです。
そこへ、あの娘がやって来てこともあろうか、私の出した粗相を嬉しそうに取り替えるのです。これはどんなプレイなのだ!? 私は驚きのあまり腹に力が入り、ついには娘の顔目掛けて排尿してしまったのです。これには 死にたいくらいに恥ずかしい気持ちになりました。ところが、そんな私に娘はなおも笑って、顔を拭っているではありませんか。
私の負けです。娘の笑顔にほだされた私は、娘のプレイに付き合う覚悟を決めたのです。

それから1年以上の月日が流れました。
私はやっとこの小さなパーツにも慣れ始め、簡単な言葉ならば娘と会話ができるようになっていました。
娘の名はまま。私は娘を奴隷の如くこき使うことを許される唯一の存在となりました。
私が一言「まま」と呼べば、どこにいても飛んでくる。風呂に入れば私の体を隅々まで洗い、飯を食べさせ、寝るときはそばに付き従うという献身ぶり。この娘は私に奉仕するために生まれて来たのだと、私は知るようになりました。

こうして私は底堕落な生活を送り、今日まで生きて来たのです。
あの時の娘はもう娘という年ではなく、すっかり中年の女になってしまいました。しかし私のことを未だに「タケちゃん」と呼んでは、甲斐甲斐しく食べ物を私の部屋の前に運び、ドアをコンコンと叩き開けて欲しいと懇願するのです。
中年になったままは、何かにつけてぐちぐちと泣き言を漏らすようになり、そんな女に付き合わされるのは辟易とするのです。それにあれから長い年月が経ち、私はかれこれ100才を越えようとしています。
こんな老人が働くことなど、どだい無理なのです。
私はそろそろ、本格的に隠居したい。そう、年相応の暮らしを始めたいのです。
そこで考えたのがこの『自分史』です。私の生涯を赤裸々に綴った70才から100才までの記録です。この本を売って今度こそ老々爺な暮らしがしたいのです。

どうか今一度私の言葉を信じてください。本文には私がどうして70才で生まれたのか、ある科学者の見解を記述してあります。すでにお読みの読者は驚愕の事実を知ることになったでしょう。

この本を出版するにあたり、多くの方々からの支援を賜り本当にありがとうございました。また、まま及びぱぱにも労いの言葉を送りたいと思います。
なお、講演会などの依頼はどうか作家プロフィールの自宅電話までお気軽に連絡ください。

最後に人生100年と世間では言いますが、私は150年まで生きることをここで約束したいと思います。

あとがきにて 著者 渋谷タケオ


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