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村升 青さん

趣味で二次創作する程度。 書くのは好きですが稼ぎたい程ではないです。 閲覧が主で、他の方の文やその評価を読んだり、たまに投稿したりして文章力を付けられたらなあと思ってます。 夢で見た光景を文にするので意味不明な所もあるかもしれません

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祖父の手記

18/07/22 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 村升 青 閲覧数:92

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病弱な僕はある夏、父の育った田舎へ行く事になった。
空気が綺麗と言うが、砂や木端が直に風に乗って来る環境が良い筈もなく、僕は到着してすぐに寝込んでしまった。
数日後回復すると僕は心配する大人の顔も見飽きていたので、大して興味も無い近くの山へ足を向けた。
今は子供は殆どいないが、父も祖父も昔この山で友達と遊んだらしい。
蝉の声の中、汗をかきつつ木影を進むと水の音が聞こえてきた。
父がよく魚を釣ったという川だろう。
涼を求め水音へ進むと、突然水の跳ねる音がした。
熊か何かかと身が竦む。
慎重に覗くと、見えたのは長い黒髪が流れる女の背だった。
驚いていると女が水を弾きながら立ち上がったので、僕は思わず声をあげてしまった。
水に浸かっていた女の腹より下は、白い毛に覆われた四足の獣だったのだ。
女は振り返り、僕を見るやその足で力強く駆け出した。
重い音を立て上流へ上っていく。
我に返った僕はそこで、何故だか分からないが慌ててその後を追った。
謎の生物の為に足元の不安定な川辺を、過去に無く息を荒げ追い駆ける。
ふとその獣が向こう岸の森へ消えそうなのに気付いた僕は、岩の上から川へ飛び降りた。
どぼん、と音を立て思いの外深い水の中に飲み込まれる。
大量の泡と光の乱反射に視界を奪われ、すぐに右も左も分からなくなった。
懸命にもがくも息が出来なくなり、僕はやがて意識をも手放してしまった。

気付くと僕は水の中揺られていた。
しかし息苦しさはなく、一体どういう事かと手を伸ばすと僕の手は美しい黒の中指先だけを水面から出していた。
煌めく水と艷めく黒が、僕の手を避けるよう曲線を描いて過ぎていく。
大分かかってそれが、水の中たゆたう黒髪に手を飲まれているのだと気付いた僕は慌てて跳ね起きた。
途端重くなった僕の体が寝ていたのが、地面でないと気付いたのもその時だ。
僕はあの獣の背に乗っていた。
獣は水の中泳ぐように進んでいて、頭だけ水面に出た僕はその動きに合わせ揺られていたのだ。
僕に気付いた女の体が振り向く。
濡れた女の肌に張り付く黒髪が動くのにも、その向こう感情の無い瞳が僕を映すのにも魅入られ、僕は動く事が出来なかった。

岩に僕を降ろした獣はもう逃げようとはしなかった。
僕は陽を弾くその姿を眺め、本で見た人馬に似ていると思った。
ただ女の上体に続くのは馬ではなく牛の体だ。
しかしどんな牛より美しかった。
この生き物は一体何なのだろう。
暑い中肌だけは冷えているからか、僕は妙に頭が冴え別世界にいるような心地がした。
言葉が分かるか尋ねると、女の顔が無表情でこちらを向いた。
助けてくれた事へ礼を言うと、興味無さげに森へと視線を向けてしまう。
僕は無性にこの獣が好ましくなって、思いつく事を次々話していった。
家族の事、通っていた学校に友達、長生き出来ない体や、ここへは療養に来た事。
人牛は無表情ながら僕の声に耳を傾けていたが、話す事は出来ないらしかった。
それでも話していると空気がすっと肺の奥まで通るように心地良かったので、僕は夢中で話し続けた。

やがて陽が傾き暑さが和らいでいく。
服が乾いた頃、人牛は突然立ち上がり森へ向かい歩き出した。
待ってと言ってもその足は止まらない。
置いていかれる、と堪らない悲しみを感じた。
また会えるか、どこへ行くのかと尋ねても人牛は口を開かない。
いっそ共に行きずっと側にいようかと思った。
彼女といれば幸せでいられると、胸が痛い程思った。
その背に手を伸ばす。
彼女が不意に振り返り、僕の手と視線はそれぞれ深い黒に絡め取られた。
女の瞳が初めて僕自身を見つめている。
ああ、口を利くのだと思った。
動けず見つめていると、彼女は静かに言った。
「さようなら」
そう、一言。

気付けば僕は山の麓で迎えの大人達に囲まれていた。
冷えた筈の体は何故か幾日経っても熱を出さず、健康そのものだった。
夏が終わる頃、元いた学校に再び通う事になりその地を離れるまでの間、僕は毎日彼女を探したがあの黒髪や白牛の体を一目見る事も叶わなかった。


『その後体調を崩す事も無く今日に至る。
空気が乾き、兎に角全てが鮮やかに輝く夏だった。
道端の向日葵は目に刺さる程光の色を灯していたし、その向こう広い空はガラス細工のような色だったのを覚えている。
彼女との出会いもまた恐ろしい程に鮮やかだったが、私は遂にあの時を超える彩に出会う事は無かった。
全ての美が極まった中彼女が現れたのか、彼女がいたから全てが色付いて見えたのか、当時も今もそれが分からない。
いや今となってはあれほど美しく鮮やかな時間が存在した事さえ信じられなくなっている。
彼女が何者だったのか、何故別れの言葉だけを口にしたのか、それだけはその後幸福に満ち足りた私の生涯の中で唯一、心残りな事柄である。』


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