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南野モリコさん

長い休眠から覚め、再始動しました。 よろしくお願いします。 ツイッター https://twitter.com/hugo_6892

性別 女性
将来の夢 一生文章を書き続けること。
座右の銘 非凡な花を咲かせるには平凡な努力をしなくてはならない。

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『南野モリコ 大全集』あとがき

18/07/22 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 南野モリコ 閲覧数:169

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この優れた短編小説を残したのは、南野モリコというペンネームでネットで小説を発表していた21世紀の小説家である。

19××年×月×日、静岡県の農村部に育ち、過疎であったことから小学校時代から片道30分かけて歩いて通学していた(1)。近隣に同年代の子供がおらず、学校が終わった後に一人で過ごす時間がたっぷりあったことが彼女を創作という遊びに導いたのは言うまでもない。「創作に必要なものは孤独」と後のインタビューで答えている。

空想好きな幼い作家はこの頃から才能を見せ始め、親や学校の教師たちを驚かせていた。南野が通っていた公立小学校は当時は珍しい女性の校長であった(2)。その校長が母、キクに「あの子は将来は作家になるよ」と言ったことは南野に野心を抱かせるのに十分であった。挫折を繰り返しながらも生涯、文章の夢を捨てなかったのは小学校時代の数々のコンクールの入賞とそれに対して教師たちが評価を惜しまなかったからである。子供時代の豊かな思い出は『青空に書いた手紙』や『茶畑チャリンコレーサー』などで描かれている。


1990年代後半から日本社会もインターネット化が進むのであるが、21世紀に入って「スマートフォン」(通称スマホ)と呼ばれる、現代のITロボットの前身となる小型通信機器が一般に普及したことで急速に加速した。通信機器として開発された。スマホは、時代が進むにつれて一般ユーザーの自己表現のツールとなり、『時空モノガタリ』のようなアマチュア小説家が作品を発表し才能を競い合う小説投稿サイトが数多く誕生した。スマホで書いたり読んだりするには短い作品が好まれたことから、類似するサイトが後を追うように創設されたが、『時空モノガタリ』は良質な作品が多い点で群を抜いていたようである。

そのような時代を背景に南野モリコは、2015年から『時空モノガタリ』で『晩茶』(3)など初期の作品を発表し始める。『青空に書いた手紙』で初めて時空文学賞の最終選考に残ってから本領を発揮し始め、『ゾウのはま子は知っている』、『冬の香り』、『シブヤ水族館』など代表作と言えるものはこの時代に書かれたものである。

南野モリコの出生地や生年月日については長い間、謎であった。しかし、この度、故郷である××市(20××年に過疎化により消滅)に実在していたふるさと記念館にて生家に残された日記や手紙、小学校の卒業文集が寄付されていたのが偶然、発見されたことで明らかとなった。

それまでは、南野については諸説あり、複数の人物で南野モリコを演じていたのではないかという研究者もあった。映画評論、少女文学研究、老舗洋菓子店、製茶業界、恋愛エッセイストと職を転々としていたからであるが、それを南野の何でも屋的な性格とする見方もできるが、「小説を書きたいならいろんな経験をしなさい」という母親の教えに従っていたとみるのが正解である。


『時空モノガタリ』に投稿を始める以前からWEB媒体で映画評論やインタビュー記事など執筆活動を行っていたようであるが、同時代の多くのWEB媒体と同様に現在は残されていない。ユーチューバーと映画作家の評価の違いは、作品が残らない点にあったのだが、『時空モノガタリ』で自由な創作を満喫しながらも南野が書籍に拘った理由は、そこにあったのであろう。

これまで埋もれていたネット小説家の作品に対する評価が近年高まり全集となったのは、消えゆく日本という国の文学そして母国語を残したいという動きからである(4)。まだ黎明期であったにせよ、IT技術が進んだ21世紀の映画サイトより、日記、手紙、小学校の卒業文集という紙に書いた資料の方が鮮明に残っていたことは注目に値する。

ネットが普及したことで「記録」の意味が軽くなってしまったことは事実である。しかし「書く」ツールの多様化は文学の未来を確実に変えた。南野が作品を残したことも「創作の大衆化」による賜物であったのだ。

ネットによって生かされながら書籍への執着を捨てきれないのがこの時代のアマチュア作家に共通する点である。子供時代に親しんだ本のぬくもりに自分もなることを作家たちは渇望したのである。

註釈
(1)人々は自分の足で歩いて行動していた。全自動式乗用車が開発される以前は、歩くことが健康によいとされていた。

(2)男女雇用機会均等法が導入される以前のことである。南野が育った農村部は都心と比べて男女差別がなかったことが伺える。

(3)後に『おばあちゃんのお茶』と改題。「もっとも自分らしい作品」としている。

(4)皮肉にも現在の日本の様を『シブヤ水族館』で予言している


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