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三明治さん

性別 男性
将来の夢 もう将来はありません。
座右の銘 情けは人の為ならず。

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14才の夏

18/07/19 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 三明治 閲覧数:240

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 私は一冊の詩集を持っている。
年々、増殖してきた蔵書の大半は電子化してしまったが、この本は、その災難を逃れた数冊のうちの一冊だ。無人島に持っていく一冊ではないのだが、棺桶に入れてもらいたい本のリストには入っている。
 私の父はブン屋(新聞記者)であった。とても熱心な社会部記者であり、その仕事ぶりのせいか、人の話題に上るときには「あの」が名前の頭に付いた。「出世なんかしなくてもいいんだ」が口癖。上司とは、よく衝突を起こしたらしく、辞表を叩きつけた回数は、一度や二度ではないらしい。それだけが理由ではないだろうが、我が家はいわゆる転勤族だった。
 私は川崎で生まれたのだが、生後三か月から引越しを強いられた。各地を転々とする生活はそれからも続き、幼稚園から高校まで、入学と卒業を同じ学び舎で経験すること無く過ごした。私は母校と故郷を持たない人間である。それが悲しい事かどうか、今はまだわからない。大学は自主退学した為、惜しくも母校になることは無かった。
 各地を転々と巡り、二度目の東京生活を送っていたところ、今度は仙台に引っ越すことが決まった。夏休みの宿題を一切しなくて良いことだけが私を喜ばせた。担任を通じて、転校する事を話した後、数人から女子から告白をされたが、その中に秘かに想っていた意中の人は含まれていなかった。私自身は、とうとう好きな相手に自分の気持ちを打ち明けはしなかった。それが、格好いいと当時は思っていたのだ。まったくの厨二病なのだが、今にして思うと、プロ転校生として「飛ぶ鳥あとを濁さず」という、ささやかな矜持があったのかもしれない。
 一学期の終業式も済み、職員室に挨拶をしに行った。(世の中、仁義が大切であることは幼稚園児の頃から心得ていたのだ)短い間であったが世話になった教師に礼を述べて回った。国語教師のT先生の前に立ち頭を下げると、机に足をのせて首だけこちらにむけた姿勢で、「俺の蔵書だけど、餞別にやるよ」と、むきだしで一冊の本を渡された。
 T先生は教師というより、不良の兄貴といった感じの人で、授業の内容も聴いている方が心配になるほど、無駄話が多かった。高知県出身で<土佐いごっそう>を地でいく人であった。
 体罰というものが当たり前の時代で、私も二、三発ビンタをやられたが、不思議と怒りは湧いてこなかった。やり慣れている人間のビンタは、音は派手でも痛みはそれほどでもなかったし、やられる方も皆、ケンカ慣れしていたのだ。
 時折、三十代にしては薄くなりかけていた前髪を撫でては、
「若い頃、リーゼントをやりすぎたわ」と言って皆を笑わせ、全校の男女両方の生徒から慕われていた。
 ある時などは、大きなラジカセを教室に持ち込み、ブルースを大音量で鳴らしながら、唖然とする生徒たちを前に、
「これが黒人の魂だ、悲しみだ、ブルースを聴かなきゃいかんぜ」と、無垢な青少年達を洗脳することさえしてのけた。
 学校が西武池袋線の江古田にあったため、学生街の臭いが強く、先生も行きつけのレコード屋「音虫」の話を授業中によくしていた。その話に興味が湧いた私は、実際に店に行ってみたりもした。良くも悪くも私はT先生に強い影響を受けていた。
 差し出された本の背表紙には「石垣りん詩集」とあった。まったく知らない名前であったし、第一、教科書以外で詩に触れたことの無かった私にとって、詩集はとても縁遠いものであった。
 私の思いが表情に現れていたのだろう、先生は苦笑しながら言った、
「俺らしくもないし、お前らしくもないだろうよ。しかしな、いつかこの本の良さが分かる、そんな人間になって欲しいんだ。もう、二度とお前とは会わないかもしれんが、その本を見て俺みたいな奴がいたことを思い出してくれたら、うれしいんだが」
 私には、やさしそうな丸顔のおばさんの書いた詩は難しかった。日本語が難しいのではなく、詩の読み方を知らなかったのだ。せっかく貰ったものだからと読了したのだが、正直、感激や感動は得られなかった。ただ印象に残ったのは、解題に書かれていた石垣さんの来歴であり、働きながら詩を書き続けたという点だった。銀行で事務員として定年まで働き続け、同時に詩を書いていたことに驚いたのだ。
 子供の私にとって、小説家や詩人が書くこと以外に仕事を持っているなんて思いもよらなかった。本の最後の見返しに、T先生のあとがきのようなメーッセージが、板書と同じく男っぽく角ばった字で書かれていた。
<転校、決まって残念だけど頑張って下さい。人は、いつだって新しさに満ちていくものだと思います。そして、また、古さを新しさに活かしていけると、より素晴らしいものが見えてきます。人の心も同じだと思います。どんな人の心も感じられる優しい人になって下さい。温故知新>
 
 先生とは14才の夏以来、会っていない。


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