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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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リインカネーション

18/07/16 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:16件 冬垣ひなた 閲覧数:976

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「何度も言うようですが、亡くなったドナーの情報はこれ以上お教えできません。感謝の気持ちを伝えたいのであれば、あなたの名前を伏せて、ご遺族の方にサンクスレターを書く事が出来ますよ」
 角膜移植手術の経過は順調だった。16歳にして円錐角膜の大病を患った私は、善意の人の命と引き換えに窮地を救われ、再び視力を得たのである。
 左目の角膜を提供してくれたのは、20代の男性だそうだ。
 忘れがたい恩人の彼を、これからは『M』と呼ぶことにする。私として生きてゆく彼の角膜に、生涯かけて感謝と愛情を注ぐつもりだ。
 健やかな光を得たというのに、Mのお墓に手も合わせられないのはつらいことだけれど、そういう決まりらしい。
 主治医の言葉もあって、私は丁寧にお礼の手紙を書いた。結ばれた固い絆はドナー側にとっても特別なものに違いないから。
 けれど、Mの遺族からの返事には最後にこう綴られていて、心臓が握られたように痛かった。
『ありがとう。息子はあなたとともにこれからも生きています』
 急に心もとなくなり、善意が重く感じられる。一つの生命がもたらした奇跡と、たかだか一介の女子高校生が預かるには大きすぎる周囲の期待。「本当に私でいいの?」と、角膜が私に馴染んでゆくごとに、繰り返し鏡に向かってMに尋ねたものの、答えは出てこない。
 あれから2年。
 Mの死は、私が瞬きするたび消えることはなかった。


 2泊3日の沖縄旅行最終日。
 ひめゆりの塔を見学した後、誰もいない沖縄南端の岬で、両親と私は車から降りた。海に囲まれた断崖絶壁の岩肌は緑が茂り、その上に立つと、この世の果てを訪れたような錯覚を覚える。
 かつて沖縄の激戦を見下ろした空が、ぐるりと世界を密閉するかのようだった。むき出しの白い両手を、天に伸ばして深呼吸すると、潮の匂いが微かに私の鼻に届く。
 あ、地球の箱庭。
 気の遠くなる時間をかけて、波が岩を侵食した海岸線はどこまでも続いていた。両親は台風がそれた運の良さに感謝の言葉を口にしつつ、風景を眺める私を写真に撮る。海風に髪がなびいた。
 空より濃い海の青は、水平線で色分けされ、陸へ向かうにつれて透明度を増しながら色調を変えていく。もともと、私が行きたいと言い出した旅行だった。それなのに浮かない顔を続けていたことに今更気付き、両親に向かって精一杯笑顔を作る。
 右目を隠す眼帯は仕方がない。左目に移植したMの角膜は拒絶反応を起こすこともなく、私に物言わず寄り添い続けた。だがそれと反比例するように、私の右目は悪化してしまったのだ。
 今は光の刺激で激しい痛みを覚え、コンタクトレンズでカバーしてきた視力はもう限界にきている。
「大丈夫。次の角膜もきっと無事に移植できる」
 父が、心配を見透かすように私の肩に手を置いた。
「不安なのは仕方ないわね。順番が回ってくるまで、もう少しの辛抱よ」
 母の言葉に、黙ったまま私は澄んだ海を見つめた。
 珊瑚礁の海に潜れば、もっと鮮やかに世界は広がりを見せるだろう。チョウチョウオ、フエダイ、ハマクマノミ、沖縄美ら海水族館で見たような魚が群れて泳ぐ姿を、この目で見たい。
 移植手術が成功すれば、それも夢ではなくなる……。
 願いと交互に押し寄せる不安は、手術のことだけではない。しかし、その事は今もまだMと二人だけの秘密だった。


 ひたひたと、私の足の裏を冷たい感触が押し寄せた。
 神秘を奏でる波音の時間が、悩める私をどこかへ攫ってしまったようだ。
 くるぶし、ふくらはぎ、膝にまで達した透明な水は、素肌を洗いながら行きつ戻りつ、ゆらゆら揺れる。
 天上の空を映しながら、海水はなお青い色を湛えていた。先程まで世界の果てだと思っていた岬さえ見えない。
 ショートパンツから伸びた脚は、いつの間にか浅い海に立っていた。365度どこまでも水平線が続き、陸地もない。空の青と、海の青。その二つだけが全てになった。
 肉体の器を離れ、魂だけがここに存在する。そう感じたとき、私の顔に大きな影が落ちた。
 それは傾けられた白いパラソルで、その柄を握っているのは男性の手だった。顔は影に遮られて見えないが、青年のようだ。Tシャツにハーフパンツ、私の中で記号のように存在する彼の姿が、どういうわけか目の前にあった。
「M」
 私は彼を、いつものように呼ぶ。
「ここはどこなの」
「君のよく知っている場所だよ。そして、これから知らない場所になっていく」
 私は反射的に右目に手をやったが、そこに眼帯はなかった。
 不思議と痛みはない。像が何重にも見えて、用をなさなくなった右目の角膜に映っているのは、体の一部を失っていく現実だった。
「僕がいながら、君を助けられないのは残念だ」
「ううん。Mのせいじゃないわ」
「けれど、次の手術に怯えているじゃないか」
 透かし模様が入った純白のパラソルを、Mは私に差し出す。彼の表情はやはり見えない。
 Mの死は穏やかだった。サンクスレターの返事には確かにそう書いてあった、けれど私にはどうしても彼の表情が想像できずにいた。
 今の今まで、一度たりとも。


 Mの静かな声が、波間に響いた。
「まだ僕の死を受け入れられずにいるんだね」
 2年前、成功した角膜移植のお陰で私は不完全ながら健康を取り戻した。Mの家族もまた、それを我が事のように喜んでくれたのは、やりとりした手紙の文面からにじみ出ていた。
 生まれつき身体が弱かったこと。
 人の役に立つことをしたいと、アイバンクに献眼の登録をしていたこと。
『残された健康なこの眼は、僕の自慢なんだよ』
 最期まで、自分の角膜が誰かに移植されることを希望していたM。
 しかし16歳だった私の心には、嬉しさより喪失感の方が大きく刻まれてしまったようだ。私の左目が蘇る傍らで、1人の人間が人生の幕を下ろしたという重責感は、密かに封印しておくほかはなかった。
 この2年、ずっと考えていた。
 自分とそう変わらぬ歳で、死後とはいえ眼球を摘出するような覚悟を、彼と同じ立場でも私は持てたろうか?
 勇敢で、善良なM。
 誰よりも生きたがっていたはずのM。
 炎天下、迷いなくパラソルを差し出す彼の腕は日に赤く焼けていて、私は手をそっと押しとどめた。
「だいじなものは、簡単に人にあげちゃだめだよ。M」
 確かに私は、彼に救われた。
 けれど、心のどこかで彼の献身を受け入れられない自分もいた。
 Mの勇気。志。博愛。
 対する私は、何も返すものを持ち合わせていないのだ。
「美味しいものを頬張りながら友達と喋ったり、青春をギターで弾き語ったり、Mはそういう夢を見ながら生きたって構わなかったんだよ。私たち、こんな出会いでなければよかったのに」
 凪いでいた海に一陣の風が吹いた。
 私が「あっ」と言う間もなく、風は色のないパラソルをMの手から奪って舞い上がる。
 高く遠く、善意の日傘は海の上に落ちて、波に漂うのが見えた。
 私は何だかほっとする。
 新しい角膜を受け入れる日は迫っている。ドナーが亡くなるのは半年後かも知れないし、3日後かも知れない。
 私は弱ってくる右目のことより、ドナーが死を免れて欲しいと切に願っていた。けれど神の手は残酷で、結局私は誰かの死を待つことでしか、自分の運命を回避できないのだ。


「あなたの角膜の行き先が、私なんかでごめんね」
 真っ直ぐに誠実だったMの人生を背負う程強くはなくて、重荷にすら感じていた私に、これ以上移植を受ける資格があるのだろうか。
 そう尋ねる前に、彼は不意に眩みそうな光を湛えた太陽に向かって、運命に抗うようにその手をかざす。
「リインカネーションさ」
 呟いた彼の口元が微かに笑むのを、私は初めて見た。

 

 Reincarnation。転生のことを英語でそう呼ぶのだと、私は誰から聞いたのだろうか。
 永遠を刻む波音は、心臓の鼓動のように止まることはない。
「君は僕で、僕は君になる。生まれ変わった『M』は、これからも君の中で生きていく。本物の僕の代わりに、未来へ進んでゆくMemory(記憶)として。それって凄いことじゃないかな。ほら、あの人も」
 Mが指差した青い海の遠くの一点には、拾いあげた真っ白なパラソルを差して、立っている人影がいた。
 私は、予感した。
 あの人が新しい『M』なんだと。
「君は人に助けられてばかりだと思っている。けれど、僕たちは君のお陰で次の人生もまた美しい世界にいると知ることができるんだ」
「でも」
「僕のいう世界とは、心が見せる景色だよ。君が選んで、君が感じて、君が望んだ記憶」
 Mの言葉に、青かった視界が次第に歪んでいく。
 空も海も、Mたちも一つに混ざりながら、私は彼の声を最後に聞いていた。

「ありがとう。もう一度、この世に生まれさせてくれて。僕たちは、君の眼になりたい」

 
 我に返ると、私は岬の上から海を眺めて一人立ちつくしていた。
 君のよく知っている場所。そうMが言った、寿命の尽きかけた右目を疎ましく感じてた思いが、涙にすすがれ洗い流されて行く。
 Mの魂は最果ての地にたどり着いて、ようやく私に同化したのだ。
 ドナーの遺志を今なら受け止められる。人生の終わりは死ではない、そう教えてくれた温かな真心の灯は決して消えることはないのだ。これからも、ずっと。
 眼帯の下の涙もきっと、沖縄の海より塩辛くて眩しく光っている。
 日が少し傾いていた。夕陽が沈むころ、空と海は一つの赤に溶け合うだろう。
 空高く、鎮魂の白い鳥が遠ざかっていく。
 ここにいることを選んだMたちのために、波は唄う。
 私は涙を拭い、大地の突端で力強く世界を踏みしめた。


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このストーリーに関するコメント

18/07/20 秋 ひのこ

こんにちは。
主人公が感じる重圧と罪悪感にとても共感できました。
また、それと対照的に両親が右目も他人からもらうことを当然と考えているところも、移植をめぐる色々な考え方が浮き彫りになっていて考えさせられました(両親は決して厚かましい人たちではなく、娘を心から思って悪気なく言ってしまっていることもわかります)。
いつもの倍の文字数で、より丁寧な心理描写、より細かい情景が書かれた冬垣さんの作品を読むことができてうれしいです。

18/07/21 クナリ

感受性の鋭い主人公が鮮烈ですね。
独特なナーバスさが悩ましいですが、死者からの移植というのは色々な影響を与えられそうです。
自分に、ドナーに、肯定的に生きられるといいのですけども、その一歩を踏み出したのでしょうか。

18/07/23 泡沫恋歌

冬垣ひなた さま、拝読しました。

感受性豊かな冬垣さんが選んだテーマらしいと思いました。
生きていくということは、動物の命を食らったり、ときには誰かの犠牲の上で成り立っていたりします。
終わってしまった命のパーツが誰かの光になれれば、それは素晴らしいことだと思うのです、それが故人の望みだったとして。

ところで個人的なことですが、一昨年眼の病気で手術した経験があります。
局部麻酔で内視鏡を使って、水晶体の奥の手術でしたが、眼球に何をされてるのかおおまかに見えるし、
医者たちの会話も聞こえて、ものすごく怖かった。
恐怖のため血圧が上がり過ぎてヤバかったです(´ノω;`)

18/07/23 滝沢朱音

冬垣さんの小説に対する真摯な姿勢に、いつも影響を受けている私です。
今回の作品、通常の2000字より文字数が多いせいもあるかもしれないけれど、
研ぎ澄まされた描写がとてもみずみずしく、さらに魅力的だと感じました。
「ありがとう。もう一度、この世に生まれさせてくれて」というMたちの言葉が
主人公の感じる迷いや重たさを吹き飛ばした瞬間、あざやかでした。

18/07/25 冬垣ひなた

秋 ひのこさん お読みいただきありがとうございます。

書くにあたり、移植の体験談や遺族の手紙を読みました。遠いようにみえて、誰の日常にも起こりうる話だと感じます。患者が助かるからだけで移植問題を進められない部分を、患者、患者の家族、ドナー、ドナーの遺族、それぞれの気持ちで考えて頂けたら幸いです。
うれしいと言っていただけて感謝します。これからも、より良い作品を目指して頑張りたいです。

18/07/25 冬垣ひなた

クナリさん お読みいただきありがとうございます。

思春期に病にかかるということは、将来への影響もあり大変な事だと思います。ドナーがどういう思いを抱いたとしても、病が治るかどうかは運もあり、最後は主人公が自力で生き方を決めるしかないのかもしれません。色々考えて、前向きなラストになりました。

18/07/28 文月めぐ

拝読いたしました。
「M」の死に重圧を感じている主人公の繊細さが伝わってきました。
受け入れることは容易ではありませんよね。だからこそ一層主人公の力強さを感じました。

18/07/28 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、お読みいただきありがとうございます。

いつもより長い、短編小説ということで難しいテーマでした。自分は飲んでいる薬の為に献血を断られたのですが、じゃあ臓器移植はどうなんだろうと調べ始めたのが元々のきっかけです。この話を書いて、家族とも移植問題について初めて話し合うことができました。色々勉強して良かったと思います。

泡沫さんの目も手術をされたのですね。大変な事だったとお察しします。
治すためだと分かっていてもやはり怖いものです、特に目の治療は。
これからもお体をお大事になさってくださいね。

18/07/28 冬垣ひなた

滝沢朱音さん、お読みいただきありがとうございます。

そう言っていただけて嬉しく思います、私も朱音さんの感性にたくさん影響受けていますよ。今回は松山椋さんの追悼の思いも込めて、頭文字のMを使わせていただき、彼が好きだったという沖縄の海を舞台にしました。
主人公の迷いやMの遺志をどう表現するか悩みましたが、救いのあるエンディングに出来て良かったと思います。

18/07/28 石蕗亮

拝読致しました。
繋がっていく存在の連鎖をどう感じ受け入れていくか。その描写に人間性が強く描かれた作品でした。
移植によるリンクを転生と表現しきれた作品構成に感服致しました。素晴らしい作品でした。

18/07/29 冬垣ひなた

文月めぐさん お読み頂きありがとうございます。

ごく普通に生きてきた主人公にとって、命の重さを受け止めるのは難しい事だったと思います。自分を取り巻く周囲にどう接していくのか、彼女自身これから少しずつ変わっていくでしょうね。Mと主人公の未来が良い方向に向かうことを、私も祈っています。

18/07/30 浅月庵

冬垣ひなたさん
作品拝読いたしました。

文字制限が増えたことにより、心理描写が丁寧に表現されており、いつもよりさらに作品の奥行きを感じました。
内容も勿論素晴らしいのですが、文章表現が綺麗で繊細で、とても勉強になりました。

18/07/30 冬垣ひなた

石蕗亮さん お読みいただきありがとうございます。

善意で成立する医療の恩恵を受けながら、戸惑う主人公の心理を描くのは難しかったです。現実世界を離れる抽象的な物語になりましたが、少しでも心に留めて頂けたのなら幸いです。お褒めの言葉を支えに、これからも精進したいと思います。

18/07/30 冬垣ひなた

浅月庵さん お読みいただきありがとうございます。

文字数が書き慣れず、良い構成を作るのに時間がかかりましたが、その分内容も濃密になったと感じます。ほぼ同一の舞台を4000字で表現するために、文章にはいつも以上に気を配りました。私もまだまだ勉強中の身ですが、これからも頑張って書き続けたいと思います。

18/08/03 待井小雨

拝読させていただきました。
繊細な心理描写が素晴らしいです。今回増えた文字数をもて余すことなく、細やかな感情を描くのに活かしきっており、感嘆しました。
物語のテーマもとても考えさせられ、感動致しました。素敵な作品をありがとうございます。

18/08/05 冬垣ひなた

待井小雨さん お読みいただきありがとうございます。

今作は心理描写をじっくりと書けたように思います。文字数の多い分、他に書きたい場面も色々ありましたが、「起承転結」の結に焦点を絞って、物語を再構成しました。テーマを勉強したときは難しさを感じましたが、書きたいことを表現できて良かったです。これからも頑張ります。

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