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木野 道々草さん

2017年1月から参加しています。よろしくお願いします。(木野太景から道々草に変更しました)

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ある自転車の話

18/07/16 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:2件 木野 道々草 閲覧数:168

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 ◇◇◇

 夏の日照りの中、山沿いの国道をトラックが走っていた。その荷台に山積みにされた自転車たちが、振動に揺られて互いの体をぶつけ合っていた。修理が効かない自転車たちは、これから鉄工場へ送られるところだった。
 しかし彼らの中に、まだ走られる自転車があった。
 名前は、“六ペンス”といった。
 六ペンスを見つけた神様は、空から長い腕を伸ばし、ひょいと右手でその銀色の体をつまむと、左手の平に乗せた。

 六ペンスは、体が宙に浮いたのに気づいた。今は何か柔らかいものの上にいる。そして、溶解炉にいるのではないかと思うほど熱かった体温が、急に下がっていくのを感じた。辺りは白く、冷たい霧の中にいるようだった。風を切って走るのと同じくらい気持ちいいと思った。

 空の一番低い雲をくぐりぬけたところで、神様の手は止まった。そして六ペンスの体を起こして話しかけた。
「あなたに叶えたい願いはありますか」
 六ペンスは、相手が神様だと分かったので正直に答えた。
「私は、人と話せるようになりたいです」
「……なぜ、話せるようになりたいのですか」
「それは」

 六ペンスは言い淀んだ。神様の返事には少し間があった。いくら神様でも自転車が人間の言葉を話したいと言い出すのは予想しなかったに違いないと、恥ずかしかった。
 それでも、この機会を逃したくなかった六ペンスは、長い付き合いだった二番目の主人について事細かに話し始めた。仕事帰りの主人が六ペンスを漕ぎながら報われないなと何度も呟いたこと、六ペンスの体に主人の涙が降ってきたこと、六ペンスはそんな主人にかけたい言葉が沢山あったことを話した。その間、神様の手はじっと動かず話を聞いていた。

「――その時思ったのは、つまり私は自転車ですから、走れば走るほど、便利だと私の価値を認めてもらえます。しかし、人は自転車のようにはいかないのでしょうか」
 
 六ペンスの話が終わると、神様の手は指を丸めて考える手つきをした。しばらくして何かを思いついたようだった。丸まった五つの指が花開くように動き、六ペンスに話しかけた。

「物事はバランスの上で成り立っています。あなたは話す力を得るかわりに、走る力を制限されます。それでもよいですか」
 六ペンスは喜んだ。人と話せるようになるなら、どんな制約でも苦にならないと思った。
「構いません!」
 迷いない返事を聞くと、神様の手の人差し指は頷くように動いた。

 夜になるのを待ってから、神様の手は六ペンスを地上に戻した。雛を巣に戻すように、六ペンスもまた神様の両手に包まれてゆっくりと地上に下ろされた。その場所は、自転車シェアリングの駐輪場(ポート)だった。これは、神様の説明によれば、街中にある複数の駐輪場で、自転車の貸出と返却ができるサービスだった。六ペンスは嬉しかった。シェアリング自転車になれば、沢山の人を乗せて、話しかけることができると思った。

 ◆◆◆

 僕は、お盆より前に休暇を取り、一時間に一本しかバスが通らないのどかな地域に来ていた。そしてバス停から数歩歩いた先の道路脇に、銀色の古びた自転車が倒れているのを見つけ、ありもしない空想をしていた。それは、もう動かないだろうその銀色の自転車が、シェアリング自転車になる話だ。次のバスが来るまであと十三分ある。
 ありもしない話を続けよう。

 ◇◇◇

 翌朝、六ペンスがチェーンを引き締め、緊張した様子で駐輪場に待機していると、スーツ姿の三十歳くらいの男性が、六ペンスのハンドルに手をかけた。六ペンスがサドルに重みを感じると、次には男性がペダルに足をかけて漕ぎ始めていた。無駄のない一連の動きに、六ペンスは好感を持った。何だかこの男性とは気が合うような気がした。六ペンスは車道の脇を走りながら「自転車に乗るのが上手ですね」と話しかけようか考えた。それともまずは「おはようございます」と話しかけようか、「今日も暑くなりそうですね」にしようか、それとも――
 
 突然、六ペンスの体が杭を打たれたように止まった。

「どういうことだ」と男性は慌てた。いつものように、職場近くの駐輪場まで自転車で通勤するつもりだった。しかし目的地に着く前に、乗っていた自転車が止まってしまった。男性は降りてタイヤやチェーンを確認したが、調子の悪いところはなかった。もう一度、自転車に乗りペダルに足をかけてみる。全く動かなかった。そこで仕方なく、自転車を手で押して駐輪場まで運ぶことにした。
 駐輪場に到着した男性は、「この役立たずの自転車」と大きく舌打ちをして去った。六ペンスは、男性に押されて移動する間、自分は自転車ではないように感じ、惨めで、悲しかった。

 数分後、日よけ帽子をかぶった五十歳くらいの女性が駐輪場にやってきて、六ペンスに近づいた。六ペンスは、もう誰かを乗せて走りたくなかった。きっとまた途中で走られなくなると思った。とても怖かった。だから女性の指がハンドルに触れた瞬間、六ペンスは叫んでいた。

「嫌だ、離して!」

 女性は喋る自転車に驚き悲鳴を上げ、かぶっていた帽子を投げつけた。帽子はタイヤに当たり地面に落ちた。
 六ペンスは、逃げ去る女性の姿を見てもう一度悲しくなった。体中の全てのネジが一度にきつく絞められたように苦しくなった。そして思った――この悲しいのと苦しいのが消えるなら、人間のように泣いてみたい。けれど、やはり泣くことはできなかった。六ペンスは自転車だった。

(もう自転車なんて、やめてしまいたい。こんな思いをするくらいなら、あの時、鉄工場へ送られた方がよかった。少なくとも、鉄くずになれば何かに使われて、また誰かの役に立つことができた。突然走られなくなることも、それに恐怖することも、人に拒絶されることもなかった)

 駐輪場の側の道路を、何台ものトラックが走り去って行く。六ペンスは、どのトラックでもいいから自分を乗せて、どこかへ連れて行ってほしいと願った。
 しかしいくら待っても、六ペンスを迎えに来るトラックはなかった。

 ◆◆◆

 蝉の鳴き声が響き、畑の白いビニールハウスに陽が反射して眩しい。黙っていても汗が滲む。そういう暑いところで、僕はまだ、例の自転車を見つめていた。
 乗り捨てられて長い間放置された自転車に違いなかった。周囲を見渡しても、他にバスを待つ人も道を歩く人もない。つまり、この自転車に何をしても咎める人はいない。それでも僕は決心がつかない。バスが来るまであと五分。 
 もう少しだけ話を続けよう。

 ◇◇◇

 もうどうにでもなれと、六ペンスが人間のように自暴自棄になりかけた時、「ハロー」と少女の明るい声がした。制服を着たその子は、高校一年生くらいに見えた。目の大きい幼い顔立ちで、肩くらいの長さの髪を二つに結んでいた。
「あれ、さっきは喋っているようだったのに」
 ぶつぶつ言いながら彼女は、もう一度「ハロー」と挨拶した。六ペンスは、なぜこの子は自分に話しかけてくるのだろうと不思議だった。
「ハイテクだと思ったのに」
 どうやら彼女は、六ペンスのことを、今流行りの人工知能が搭載された会話する“ハイテク”自転車だと思ったらしい。六ペンスは、彼女の勘違いが面白くてちょっとからかってみることにした。

「ハロー 行キ先ハ ドチラデスカ」とロボットのように話しかけた。
「やっぱり!」彼女は大げさに喜んだ。「行き先は決まってないけど、行けるところならどこまでも。ちなみに、あなたはどこまで走れますか」
「ドコマデモ」
「最高!」

(あれ、今、何と答えたのだろう)

 六ペンスは、自分でも信じられないことを答えたので驚いた。彼女は、そんな六ペンスの戸惑いなど知らず、小さなおしりをサドルに乗せて、鼻歌交じりにペダルを漕ぎだした。

(どうしよう。走り始めてしまったけれど、きっと止まってしまう)

 彼女は、急にペダルが重たくなったように感じた。けれど漕ぐ足にさらに力を入れて、速度を落とさずに六ペンスを走らせた。近くの公園の中に入りサイクリングロードを一周した後、また車道の脇に戻り、真っ直ぐに伸びる道路を六ペンスと走った。

「最高!」

 と、彼女は向かい風に言った。本当に、どこまでも六ペンスと走ろうとしているらしかった。途中、いくつか高校の校舎が見えたが、彼女は全て通り過ぎた。六ペンスは、ひょっとしたら彼女は、あの神様が姿を変えているのではないかと思った。自転車をやめたいと嘆いていた自分を心配して、もう一度だけ、自由に走らせてくれているのではないかと思った。

(そうでなければ、なぜ止まらずに走られるのだろう)

 ◆◆◆

 待っていたバスがやって来た。僕は、心臓の鼓動が速くなるのがはっきり分かった。カウントダウンが始まっていた。あのバスに一人で乗ってしまえば、そこで空想の話は終わる。なぜ止まらずに走られるのか、この質問にも答えられない。そうなったら僕は絶対に後悔する。
 だから横たわる自転車の体を力いっぱい両手で起こし、そのまま抱えてバス停まで走った。バスはがらがらに空いていた。運転手は自転車を乗せてもいいと言った。僕は息の上がった声で、何度も礼を言った。
 つまり例えるなら、六ペンス銀貨を道端に見つけて拾うのとは訳が違った。見つけたのは自転車だった。手の平に乗せられる大きさではなく、ポケットにも入らない。欲しいと思っても、まずはそれが良いか悪いか判断する前に、自分自身を動かす理由が必要だった。そして六ペンスの――ある自転車の話を続けたいというのは、僕を動かすのに十分過ぎる理由だった。

 とにかくこうして僕は、古い銀色の自転車を拾った。


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このストーリーに関するコメント

18/07/28 文月めぐ

拝読いたしました。
空想の世界ではありますが、とてもすっきりとした物語でした。
拾われた自転車はうれしかったのでしょうね、と考えただけで楽しくなりました。

18/07/29 木野 道々草

ご感想をいただき、ありがとうございます。
そもそも古くて壊れていても自転車を拾っていいかという問題がありますが、あり得ない話でも書いてみたくてこのようにまとめました。拾われた自転車はうれしかっただろうと、想像してもらえるような話になっていたら、やっぱり書いて良かったなと思います。

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