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入江弥彦さん

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押入に花束を

18/07/16 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:4件 入江弥彦 閲覧数:331

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 もしも、僕に可愛い彼女ができたなら。
 そう思った翌日、僕の隣には裸の女の子が寝ていた。わざとらしいくらいカールしたまつ毛にほどよく上気した頬が可愛らしい。作り物みたいに透き通った肌に触れると、彼女が本当に作り物だということが分かった。けれども、後ろめたさを隠しながらめくった布団の下にある彼女の胸は上下しているし、温度の変化のためか鳥肌も立っていた。
「カイリ、そろそろ起きなさいよー?」
 階下から聞こえた母さんの声に慌てて布団から飛び起きる。いつもなら痺れを切らした母さんが部屋に来るまで寝転がっているのだが、今日はそう言うわけにもいかない。緊急事態だ。
 僕に心当たりはないと言っても、高校生の息子の隣に裸の女の子が寝ていたら、母さんがどんな反応をするかくらいは安易に想像できた。初めて見る女性の体にどぎまぎしながら彼女のわきに腕を通して思い切り持ち上げた。僕より頭二つ分ほど小さい彼女は、いつも母に持たされるスーパーの買い物袋よりも軽かった。
 落としたら割れてしまいそうなほど固い彼女を、まだ物の入っていない押し入れの中に押し込んで襖を閉める。
「ちょっとカイリ!」
「起きてるよっ!」
 近付いてくる母さんの声に言い返して、ベッドに視線を向ける。彼女が寝ていた形跡はなくて、一人分のあとが付いているだけだった。所せましと積まれた段ボールをよけて一階に向かうと、紙皿に朝食が用意してある。僕のほうを一度も見ずにコーヒーをすする父さんのお皿だけは、陶器だった。
「ごめんね、まだ荷ほどき終わってなくて」
「別にいいよ」
 僕の視線に気が付いた母さんが申し訳なさそうに言った。父さんの食器だけ他のところにいれていたわけじゃないだろ、そう言わなかったのは母さんの服の袖から、新しい痣が見えていたからだ。
 温められていない食パンにケチャップをつけて口の中に押し込む。本当はバターがいいけれど、朝からそんなわがままを言う気にはなれなかった。
 ゆで卵をダイニングターブルで軽く叩くと、ぐしゃりと嫌な音がして液体が手を汚した。食パンと一緒に卵があったら、それはゆで卵だと思うのが普通ではないだろうか。
 父さんが不愉快そうに大きな舌打ちをして、慌てた母さんがその辺に置いてあった布を掴んで飛んでくる。卵のこぼれた床とテーブルを拭いているものは、僕のお気に入りのTシャツだ。昨日、洗濯カゴにしっかりと入れなかった自分を呪う。
「ごめん、こぼした」
 母さんは何も答えずに悲しそうな顔をしてからTシャツをゴミ箱の中に捨てた。
「学校の用意するから」
「あら、忘れてたわ。今日からだったかしら」
「うん、一人でいけるから、大丈夫」
「そう? そうよね、カイリはいい子だものね」
 母さんの言葉を聞き終わる前にリビングを出て階段を上る。
 もしも、あの卵がゆで卵だったら僕のTシャツは捨てられなかったのに。でも、ゆで卵を食べさせてもらえるくらいなら、それよりもまともな食事がとりたい。そう、例えば和食とか。
 部屋のドアを開けると、ほんのり甘い香りが漂っていた。甘いと言っても、スイーツのようなものではなくて、煮詰めた醤油とみりんのようなものだ。
「魚の、煮付け?」
 においの正体に気が付いて言葉を漏らしたのと、段ボールの上に置かれたおぼんを発見したのはほぼ同時だった。
 カレイだろうか、半分に切られた魚の腹部には卵が見えていて、まるでたった今鍋からあげたかのように湯気がたっている。つやつやの白米にお麩の浮かぶ味噌汁、それから小鉢の中には鰹節のかかった冷奴が入っていた。
 誰が、なんのために。そんなことはどうでもよかった。
 震える手で割りばしを持ち上げたのだが、まるで持った感じがしない。羽毛を掴んだような感覚を覚え、割りばしをお盆の上に置く。おぼんごと定食を持ち上げると、薄いノートくらいの重さだった。驚くほどの軽さに首を傾げて、再度定食を段ボールの上に置く。湯気のたっているカレイをつついてみるが、温かさは感じない。味噌汁の中に指を入れようとしても、ゆらゆら揺れる水面が固くて不可能だった。
「なん、だよこれ……」
 お盆を持ち上げて途方に暮れていると、階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。押し入れを開けて、おぼんごと定食を置く。襖を閉める前に見た女の子が、Tシャツを着ていたのはきっと気のせいだろう。
「ちょっと、学校の準備は?」
 ノックもなしに開け放たれた扉から、母さんが鋭い言葉を投げる。それをかわすように今から着替えると返すと、ブツブツ言いながら扉を閉めずに階段を降りて行った。


 一人だけ違う制服に身を包んでいれば浮いてしまうのは仕方のないことだろう。好奇の目にさらされながら廊下を歩いて、新しく担任になる男の話を聞き流す。一人で来たのが偉いだとか、母さんが美人だったとか、みんなが仲のいい学校だとか。僕の緊張をほぐすために次から次へと出てくる言葉が少し鬱陶しい。
「じゃあ、先生が合図したら入ってきてな」
 担任は僕にそう告げると、チャイムと同時に教室に入っていく。僕はまだ外部のものとして接待をされているのだ。もしも、転校生じゃなかったら担任は今から教室に入る僕を遅刻だと叱るだろう。
 しばらく廊下に立っていたが、合図のようなものはない。普通に始まるホームルームの声に焦りを覚えてドアについた窓から覗くと、僕を見つけた男が指をさした。
 合図がわかりにくい。こんなの、僕が見ていなかったら気づきようがないじゃないか。声をかけるだとか、もっと何かあっただろうに。
 不満を顔に出さずに教室のドアを開けると、最前列に座っていた男子生徒が声をあげた。
「カイリ、遅刻なんて珍しいな!」
「おい、伊崎! お前、堂々と前のドアから入ってくるなんて……」
「ちょっと先生、普段は遅刻しないんだから大目に見てやれよー」
 僕の名字を呼んだ担任を、他の男子生徒が咎める。大げさに溜め息をついた担任が腰に手をやって、早く座れと言った。
「あ、えっと、僕の席って」
「はあ? なんだ、ふざけてるのか?」
 教室を見回すと窓際の一番後ろの席だけが空いていた。クラスメイトの視線を避けるように下を向くと、いつの間にか制服が変わっている。自分の席らしき場所に座ると、前の席の女の子が振り向いて、寝癖ついてるよと笑った。


 僕とクラスメイトの関係は決して良好ではなかったらしい。
「なあ、金は?」
「え?」
 休み時間に僕の席にやってきた三人組は、僕に向かって大きな手のひらを差し出した。指の付け根には大きなタコがある。
「さっき、かばってやったろ」
 そう言われて、先ほど担任を咎めた男子生徒だということに気が付く。
「まあ、ここじゃなんだから、外で話そうか」
「いや、その」
「小島くんが外でって言ってるだろ」
 取り巻きのように後ろのついていた男子生徒が僕の腕を引っ張る。クラスメイトの好機の視線に気が付いてしぶしぶ立ち上がると小島くんと呼ばれたクラスメイトは誇らしそうに胸をそらした。
 結果的に僕の財布は空になったし、おまけに左頬がひどく腫れてしまった。僕と小島くんは初対面のはずなのに、彼が今まで僕にどれだけむかついたかをつらつらと述べるものだから、少し滑稽で笑ってしまったせいだ。
 放課後には雨が降り出した。傘を持っていない僕はそれを見上げて溜め息を吐くしかできない。小島くんが、僕の前の席の女の子と相合傘をして帰っていく。もしも小島くんがこの雨でスリップした車に轢かれたら、明日から学校に来なくなったら、僕はもう少しまともな人生を送れるようになるだろうか。
 おもえば、僕は今まで傘を持ったことがない。買う場所もなかったのかもしれない。物理的な話じゃなくて、心の話だ。雨ざらしのまま十数年、腐食も進んだかもしれない。
 濡れる覚悟をして家までの道を走る途中で、僕は後悔した。
 さっき、何を想像したっけ。


 暗い人生を送ってきた僕が想像する理想というのは、何かが欠けているのかもしれない。彼女になるはずだった女の子を奥に押しやって、甘い匂いのする定食もひっくり返した。小島くんの死体に背を向けると、恨めしそうな視線を感じる。もしも僕がいなくなったなら家族はどうなるのだろう、そう考えながら狭くてかたい押し入れの中で眠った。
 アラームより早く目を覚まして布団から這い出る。部屋は確かに僕のものなのに、僕が寝ていたのはダブルサイズのベッドだった。
 時計を確認すると、いつもなら母さんが僕を呼びに来る時間だ。階段を一段一段降りると、リビングから両親の談笑する声が聞こえる。父さんの笑い声なんてもう何年も聞いていない。
「おはよう」
 扉を開けて挨拶をしても、二人は会話をやめなかった。歳相応ながらも美しさを保つ母さんと、シワの少ない父さんが金に縁どられたお皿に乗ったマフィンを食べている。僕の席は、用意されていない。
「ねえ、おはようって!」
 少し音量を上げた僕の声がリビングにこだまする。父さんが動きを止めたのを見て、僕に気が付いたんだと思った。けれども父さんは、母さんの口端についたソースを指先で拭って笑っただけだった。
 耐えきれなくなって階段を駆け上がる、わざとらしく足音を立てても両親は僕を追ってこない。もしも、もしも、僕がこのまま消えてしまえたなら、死んでしまえたなら。いや、本当は消えているかもしれないけれど。消えていないなんて、保証はないし、僕の頭がおかしくなっていない保証もない。それから、あの二人が僕を産んだなんて保証も。
 息を整えることもせずに押し入れの襖を開けると、そこには両親の冬服が詰まったクリアボックスが置いてあった。


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このストーリーに関するコメント

18/07/25 クナリ

私はおそらくこの作品を正しく読み解けていないのですが、静かな中に迫力の秘められたお話でした。
いいこと?が起きているようでもそこには不気味な緊張感があり、主人公にも理解できていない何かが進行している底知れなさがありました……。

18/07/28 入江弥彦

クナリ様
コメントありがとうございます。
想像というのは完全な無からできるものではないのだろうなあと考えたのがきっかけの話でしたが、圧の強いものが出来上がりました。
最後までお読みいただけて非常に嬉しく思います。

18/07/28 文月めぐ

拝読いたしました。
空想と現実はときに境目がわからなくなることがありますよね。この物語もそんな空想と現実が折り重なっているような印象を受けました。
押し入れを開けた時に出てくるクリアボックスが現実的で、むなしさが広がってきました。

18/07/28 入江弥彦

文月めぐ様
コメントありがとうございます。
海に浮かぶような感覚で、空想と現実について描かせていただきました。
クリアボックスのところは個人的に気に入っているので、そう言っていただけて嬉しいです。

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