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宮下 倖さん

宮下 倖です。 楽しくたくさん書いていきたいです。

性別 女性
将来の夢 誰かの心にひとつでも響く言葉が紡げたら幸せです。
座右の銘 臨機応変

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ほんうたい

18/07/16 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:5件 宮下 倖 閲覧数:259

時空モノガタリからの選評

良き本との出会いは、自己の中の良き部分との邂逅でもあるのでしょう。つまり鏡のように、まだ見ぬ自分の感情を映し出し引き出してくれる作品こそが、その人にとっての良作であるのだと思います。そうしてコアな”自分自身”と向き合う時、女子高生がそうであったように、忘れていた大切な人との絆や人生の喜びがあふれ出てくることも稀なことではないのだと思います。映画やテレビなどの媒体とは違って本の中に没頭することは、より自分だけの時間と空間の中で内面の中に深く沈潜する行為なのかもしれません。また本は作者自らの心の内面の客観視の産物でもあるわけで、文字を通して書き手と読み手の共鳴が深い部分で起こる時、それは一種の奇跡的な出会いとでもいうべきものなのだと思います。本を読むことの原初的な喜びを改めて感じさせてくれる作品でした。

時空モノガタリK

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 信号が青に変わった。再生ボタンが押されたみたいに一斉に人々が動き出す。
 その流れに足を任せ、ぼくは左手に持っていた本を右手に持ち替えた。周囲にも本を携えて歩く人がいる。彼らの足取りは弾み、表情も楽しげだ。もしかしたらぼくも同じように見えているのかもしれない。
 しずかに宵が迫ってきた。鬼灯色の夕陽が空を溶かし、地平からゆっくりと夜を引き上げてくる。
 今日はよく晴れていたから、きっと「本謡」の歌声も澄んで響くことだろう。
 顔見知りの幾人かと目礼を交わしながら児童公園に入る。公園内にはすでに多くの人々が集まり、それぞれ持ってきた本を片手に立ち話をしていた。
「昔読んだ本をね、もう一度読んでみたの。前に感じたこととは別の思いが湧いて驚いたわ」
「パパに買ってもらった本なんだ。もう何回も読んだんだよ!」
「今回はちょっと自信ないなあ。わからない表現が多くてねえ」
 あちこちで静かに咲く本の話は、そのかけらが耳に届くだけで楽しい。「本謡」は自分と本との宴なのだ。
 たいせつに読まれ深く愛された本は、新月の夜、持ち主のために歌いだす。人の心に響いたぶん朗々と歌う。童話が、恋愛小説が、戦記物が、ホラーや料理本までが高らかに歌い上げる様子は毎回圧巻の一言だ。
 こんなにも本を愛する人がいるのだと実感することも嬉しい。
 本謡の場は本来どこでも構わないのだが、本と自分がどれだけ心を通わせたかを自慢できる場でもあるので、読書家たちはとっておきの一冊を手にこんなふうに夜の公園に集まってくる。
「やあ小西くん、こんばんは」
「こんばんは有馬先生。いい夜ですね」
 高校時代の恩師である有馬先生とは、卒業後も本謡の同志として交流が続いている。
「この公園もだいぶ人が増えたね。前回の電子書籍の子は来てないのかな?」
「ああ……どうでしょうねえ。顔をよく覚えてないなあ。でも収穫でしたよ、電子書籍も歌うんだってことがわかりましたから」
「そうだね。やけに早口できんきん響く声だったけれど歌っていたね」
 前回の本謡の夜、高校生くらいの女の子がスマホで本を読んだと言いながら参加していたのだ。果たして歌うものだろうかと見ていたのだが、ちゃんと歌っていた。早口できんきんしていたけれども。
 いちばん驚いていたのは当の女の子だったが、本謡に参加してみようと思うくらい心に響く本を読めたのだから素晴らしいことだとぼくは思っている。
 あたりをゆっくりと見渡してみた。高校生くらいの女の子はいたけれども前回の子かどうかは自信がない。彼女は絵本を胸に抱えて、一心に夜空を見つめていた。
「小西くん、今日は何の本だい?」
 有馬先生に問われてはっと視線を戻す。ぼくが自分の本の表紙を見せると、先生はおもしろそうに目を細め、白くなった顎髭をつまむように撫でた。
「ほう。出たばかりの新刊だね」
「よかったですよ。書評や前評判通りで楽しめました。先生は今回なにを?」
 初めて読む分野なんだがねと有馬先生は照れくさそうに本の表紙を見せてくれる。
「歌集…ですか? 先生、短歌にも興味があるんですか」
「いやあ、今までさっぱりわからなかったんだがね、家内に薦められて読んでみたらなかなか胸に迫るものがあるんだよ」
 先生は何回もうんうんと頷いて歌集を眺めていた。
 そのとき、公園の空気が大きく膨れた気がした。おしゃべりが一斉に止む。一瞬の沈黙のあと、公園に高く低く声が重なりだした。本謡がはじまったのだ。
 朗らかな声、澄んだ声、子どものような声もあれば、深く響く老人の声に似た歌もある。女性の声、男性の声、どちらともつかない響きのものもあった。
 歌詞の言葉はわからない。本たちだけに通じる言葉なのかもしれない。
 人々は自分の本の声を愛おしむように表紙を何度も撫で、それに応えるように本は歌っている。
 しばらくその声に耳を傾けていると、ふいに泣き声が交じった。驚いて顔を動かすと、うずくまる人影が見えた。本を抱えてしゃがみ込み、背中を震わせているのはさっき見かけた女の子だった。絵本を胸にじっと空を見上げていたあの子だ。
 すぐに友だちらしき女の子が駆け寄ってきたので、ぼくはほっとした。思い入れの強い本ならば、その本が歌いだすことで感情があふれることもあるかもしれない。
「小西くんどうしました?」
「あ、いいえ」
 慌てて有馬先生を見ると、先生は誇らしげに歌集を撫でているところだった。歌集はじつにいいテノールで朗々と歌っている。
 さすがだなと思う。先生はよほど短歌に心を奪われ、胸を打たれたのだろう。ぼくも読ませてもらおうかなどと考えながら自分の本を見る。
 つい最近刊行された話題書で、発売日に書店に駆けこんで買った。通読は一度だけだがおもしろかった。ぼくはつるりとした本の表紙をそうっと撫でる。
 やたら長いタイトルのその本は、歌おうとしてはつっかえ、つっかえながらもたどたどしく歌っていたが、そのうち大きな欠伸をして黙ってしまった。
「あれっ?」
 有馬先生はにこにこしながらぼくの肩をたたく。
「まだちょっと早かったのかもしれないね。小西くんが楽しく読んだのは間違いないんだろうけど、前評判とか他人の書評とか、そういうものに左右されない読み方をしてほしいと本は思ってるんじゃないかな」
 たった一度しか読んでいないのに知ったようなふりで本を持ってきてしまったことをぼくは恥じた。話題書をいち早く読んだということを自慢したかっただけかもしれない。
 「ごめんな」と本を撫でる。本が小さく笑った気がした。
 次は娘と一緒に参加してみようか。彼女が目を輝かせて、妻に「ママもっかい読んで!」と何度もせがむあの本はどんな声で歌うのだろうか。

―― * * * ――

 本謡なんて一生縁がないと思ってた。
 特別本が好きなわけでもない。現国の教科書に載っている小説さえ頭に入らないし残らない。本が歌う、という世界に触れてみたいと思わなくもないけど、自分の読書歴を振り返ってみても「これ」という本には出会っていない気がする。たぶん私の持っている本は歌わないだろう。
 そんなふうに敬遠していた本謡に行ってみる気になったのは、亜由美が参加したと聞いたからだ。
 彼女は目を輝かせ、先月はじめて経験したという本謡の話をしてくれた。
「ホントに歌うんだよ! あたしね、本じゃなくてスマホの電子書籍版で読んだんだけどさ、ちゃんと歌ったの! ほかの人の本みたいにいい声じゃなくて、ちょっと落ちつきない感じだったけど、あたしおもしろくて何回も読んだ話だからさ、もう嬉しくって!」
 亜由美は本当に嬉しそうに話してくれて、もし興味があったら次は一緒に行こうという。読書にさほど興味はないが、亜由美の言葉が遠い記憶をひっかいた。
 おもしろくて何回も読んだ話だからさ――
 そういえば私にもそんな本があった気がする。むかし読んだ、あれはたしか絵本だ。
 私は、次の本謡には一緒に行くと亜由美に約束して、さっそく絵本を探し始めた。
 絵本はほどなく見つかった。電信柱とつくしの友情を描いた本だった。電信柱は電線を切らないようにそうっと屈みこんで、つくしは目一杯背伸びをしておしゃべりをするシーンが好きだった。春が終わるとつくしはさよならをするけど、電信柱はまた次の春につくしを待つ。ちょっぴり切ないのもよかった。
 誰が買ってくれたのだったか思い出せないけど、お気に入りで何回も読んだ。おかげで絵本は角のところがぼろぼろだ。
 次の新月、私は絵本を持って本謡に出かける準備をした。
「由香子、どこ行くの? 今から……」
「ごめん。今日じゃなきゃだめなんだ」
 私は母の言葉を振り切って家を出た。さらに次の新月なんて待っていられない。
 本謡は圧巻だった。こんなに多くの人が参加しているのかと驚くところから始まって、本が歌いだす頃にはもう言葉もなかった。歌声が夜空に吸い込まれるようでただただ見上げてしまう。
「ね、すごいでしょ! 由香子の本もきっと歌うよ!」
 亜由美に促され絵本の表紙をそっと撫でてみる。絵本が手の中で身じろぎするような感覚があり、すぐにやわらかな声が私をつつんだ。その声に聞き覚えがある……と考えてはっとした。
「おばあちゃん……」
 祖母の声に似ている。そして思い出した。
 この絵本は祖母が買ってくれたものだ。小学校に入ったばかりの頃プレゼントしてくれた本だったはず。
 その祖母は今、体調を崩し入院している。
 学校から帰ったらお見舞いに行こうと母から言われていたのに、私はそれを断って飛び出してきてしまった。後悔がお腹の底からせり上がり、喉から嗚咽になってあふれた。私は絵本を抱いてしゃがみ込む。あとからあとから涙が出てきた。
「由香子、大丈夫?」
 亜由美が私の背中をさすってくれる。何度も頷きながら、私は胸に抱いた絵本に頬を寄せた。本はまだ祖母の声で歌ってくれている。子守唄のようなやさしい旋律に涙が止まらない。
「これ使ってください」
 低い声に顔を上げると、三十代くらいの男の人と白い顎鬚のおじいさんが傍にいて、私にハンカチを差し出してくれていた。
「とてもやさしい声で歌ってますね。本もあなたのことが好きなんでしょうね」
 私もこの本が好きです。これを選んでくれた祖母が大好きです。声にならなかったからただ頷いた。
 祖母のお見舞いに行こう。この本を一緒に読んで、祖母が元気になったら一緒に本謡に来よう。
 愛された本たちの歌声が高く低く月のない夜空に響いていた。


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このストーリーに関するコメント

18/07/21 クナリ

いくつもの発想とロマンが詰まっているお話ですね。
自分の好きなものを好きに称えながら、人と集まって喜び合うということに根元的な楽しさがあるので、変わった世界観にも入り込めます。
本への思い、人と本の関わり、とても素敵なお話でした。

18/07/28 石蕗亮

拝読致しました。
なんて羨ましい世界観。この世界に入ってみたい!
そんな風に思える作品でした。
私の本、魔術書が多いですが、どんな歌を歌うやら。

18/08/27 宮下 倖

【クナリさま】
本が好きで、すてきな時間をくれる本たちと深く関わりたくて、もしこんな世界があったらいいなあ……という自分の夢をえがいた物語になりました。本好きさんたちに届いたらうれしいなあと思います。
読んでいただき、またコメントをくださりありがとうございました!

【石蕗亮さま】
自分自身の夢をえがいた世界に「入ってみたい!」と言っていただけて飛び上がるほどうれしいです。わたしの本棚にも怪談本やミステリがずらりなので、どんな歌が聴けるか……ですね。
読んでいただき、またコメントをくださりありがとうございました!

18/08/29 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
本を読むことで得られる喜びや感動、気付き。読書の素晴らしさを再認識させられました。
「本謡」、私も新月の夜に試してみたくなりました。
素敵なお話をありがとうございます!

18/08/30 待井小雨

拝読させていただきました。
自分の好きな本が謡うという発想がとても素敵です! 私の好きな本はうたってくれるだろうか、どんな歌声だろうかと想像し、夢が広がりました。
ストーリーも暖かく優しくて大好きです。

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